決着していない論点

この媒体が扱ってきた、まだ決まっていないことの一覧です。

それぞれに「何が出てくれば動くか」を書いています

「決着していません」で終わる文章は、行き止まりの標識にしかなりません。読者にとって、閉じた扉と開いた扉は別のものです。だからこの一覧では、何が見つかれば、あるいは誰が何をすれば動くのかを、論点ごとに書いています。

いちばん面白いのは、発見を待たなくてよいものです。「誰かが数えれば、今日にでも決まる」という空白が、いくつかあります。

旧石器

前・中期旧石器は、あったのか

2000年に発覚した捏造で根拠が失われた。日本考古学協会の検証は「確実な前・中期旧石器時代と判断し得る証拠は認められなかった」と結論したが、「なかった」とは言っていない

動くとしたら——捏造に関わっていない調査者が、関わっていない層から、独立に石器を掘り出したとき。 この事件で失われたのは石器ではなく出所の信用だったので、同じ石器を見直しても戻らない。★そして石か道具かの判別自体が難所で、栃木県星野遺跡の珪岩製石器は「人工品か否か決着がついていない」と協会が書いている

日本列島の前期旧石器は、なぜ地図から消えたのか——そして「なかった」とは、まだ言えない通史① 旧石器時代——日本列島に、最初の人がいた

旧石器

3万年前、渡ろうとしたのか。それとも流されたのか

2019年の実験で「渡れる」ことは示された。だが計算は意図を出力しない。 渡航の準備を示す遺構は、台湾側からも与那国島側からも出ていない

動くとしたら——台湾東部か与那国島で、渡る準備をした跡が見つかったとき。 舟を作った場所、出発前に何かを置いた跡、向こう岸のものを持ち帰った跡。「渡れた」と「渡ろうとした」を分けられるのは、この形の証拠だけ

3万年前、丸木舟は本当に黒潮を越えた——それでも「渡ろうとした」とは言えない理由通史① 旧石器時代——日本列島に、最初の人がいた

旧石器

大型動物は、なぜ消えたのか

気候の変動によるという説と、人間の狩猟圧によるという説がある。狩猟圧説は「人が環境を変えた」という主張であり、決着していないということは、この時代について「変えた」とも「変えなかった」とも言えないということ

動くとしたら——人が解体した跡のある骨が、まとまった数で出てきたとき。 1体では偶然と区別がつかない。★いまあるのはゾウの骨で作った道具まで(野尻湖、約4万年前)。骨に残った解体の傷ではない。「骨を使った」と「骨から肉をとった」の間に、まだ1段ある

通史① 旧石器時代——日本列島に、最初の人がいた

旧石器

対馬海峡は、陸続きになったのか

陸続きなら「渡る」必要がない。渡海の議論の前提そのもの。 最終氷期最盛期の海峡水深を2〜9mと見積もる研究があり、同じ論文が「海底地形から直接読むと10〜30m」とも書いている

動くとしたら——水深の見積もりの幅が狭まったとき。 どちらの値でも水は残るので「陸橋にはならなかった」に傾く。ただし「ほとんど陸だった」と「海だった」は、渡る側にとって別の話

通史① 旧石器時代——日本列島に、最初の人がいた

旧石器

田名向原の建物は、住まいなのか仕事場なのか

神奈川県相模原市。石槍180点、柱穴12か所、焚き火跡2か所。文化庁は「日本最古の確実な建物跡」と書きながら、同じ解説で「サケの解体・加工の作業場的建物と推定することもできる」とも書いている。相模原市は「住居」と書かず「住居状遺構」という語を使う。★年代も、文化庁の約1万5千年前と市の約2万年前で5,000年ずれている

動くとしたら——同じ形の遺構が、もう1例か2例、別の場所で見つかったとき。 1例では、それが例外なのか普通なのかが決まらない。★文化庁は「旧石器時代の人々は遊動生活を送り、ほとんど土地に生活痕跡を残さない」と書いており、1例しかないこと自体は説明がついている

通史① 旧石器時代——日本列島に、最初の人がいた

旧石器

旧石器時代の人は、何を食べていたのか

住まいの跡、火を使った跡、石の道具、獣の骨で作った道具——どれも出ている。けれども、食べ残しがまとまって出た場所がない

動くとしたら——食べたものの残りが、まとまって見つかったとき。 解体の傷が並んだ獣の骨、木の実の殻、魚の骨。★その場所がいま海の底にある可能性がある。 海が引いていた時代の平地は、いま水の下

通史① 旧石器時代——日本列島に、最初の人がいた

縄文

縄文時代は、いつ始まったのか

大平山元Ⅰ遺跡の土器が15,320〜16,540年前とされる一方、世界遺産の公式説明は「紀元前13,000年頃」=約15,000年前と書く。★さらに、「草創期を縄文から切り離すべきだ」という説がある(大平山元を発掘した研究者自身の提言)。氷期のうちに始まる草創期と、温暖期の縄文を同じ時代とすることへの疑問

動くとしたら——時代の区切りを何で引くかが合意されたとき。 これは新しい発見の問題ではなく、区切りの定義の問題である。★土器の出現で引くか、定住・貝塚・植物利用の定着で引くかで、答えが5,000年変わる

通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった

縄文

縄文海進は、いつ、どれだけだったのか

日本第四紀学会は「約7,000年前・2〜3m高い」、横浜市の博物館は「約6,000年前・4〜6m高い」。★差の一部は土地の上下(ハイドロアイソスタシー)で説明できるが、「7,000年前/6,000年前」「早期/前期/中期」という時期の呼び方のずれは、それでは説明できない

動くとしたら——各地の海面変化の記録が、同じ基準で並べ直されたとき。 ★研究者本人が「日本列島の統一した古地図は、まだ完成していないと思います」と書いている

通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった

縄文

縄文時代は、いまより何度暖かかったのか

「約2℃」「数℃以上」といった値が流通しているが、花粉や貝から復元した温度と、気候モデルが計算した温度が、逆の符号を出している。 国際的に「完新世の気温の謎」と呼ばれる未解決問題

動くとしたら——復元とモデルの食い違いの原因が特定されたとき。 ★これは日本の問題ではなく世界の問題である。そして研究者本人が「具体的に各地の温度を数値で示してはいません」と書いている

通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった

縄文

鬼界カルデラの噴火は、縄文の暮らしに何をしたのか

産業技術総合研究所は「縄文文化に大きな影響を与えました」、大学のプレスリリースは「壊滅的な被害」と書く。一方、査読論文は「土器文化は継続したと推察される」「森林植生の回復に約600〜900年」「遺跡の再定着の時期は地域差が大きい」と留保つきで書いている

動くとしたら——火山灰の層の上下で、同じ地域の遺跡が連続して調べられたとき。 ★すでに分かっているのは、噴火直後は南九州中部以北にしか遺跡がなく、大隅諸島や半島南端では再定着がさらに遅れたこと。「絶滅」という言葉は査読論文には出てこない

通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった

縄文

縄文時代に、何人いたのか

よく引かれる「中期に約26万人」は、1984年の1本の推計である。 ★そして日本列島規模の推計は、それ以降40年間更新されていない(2018年の論文の記述)。推計の元になる遺跡数は調査が進めば増え、増えれば答えも変わる

動くとしたら——遺跡数ではない原理で数え直されたとき。 住居跡の数から数える方法、炭素年代の分布から数える方法、ゲノムから集団の大きさを推定する方法が出てきている。★産業技術総合研究所は「推定値の有効数字は1桁程度」と書いている——つまり「およそ20〜30万人」までしか言えない

通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった3分でわかる|縄文人は農耕していたのか——答えは「言葉を3つに分けると出る」

縄文

縄文人は、栽培していたのか

ダイズ・アズキの種が、6,000〜4,000年前に現在の野生種の最大値を超える大きさになる。だがそれが栽培によるのか、野生の集団を見守って採り続けた結果なのかが分かれていない

動くとしたら——同じ植物で、栽培したものと管理だけしたものを比べる実験がされたとき。 ★研究者自身が「栽培行為を伴わなくても野生個体群の管理・採集によっても大型化が起きる可能性はまだ残されており、実験的研究による検証が必要である」と書いている

3分でわかる|縄文人は農耕していたのか——答えは「言葉を3つに分けると出る」通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった

縄文

土偶は、何のために作られたのか

130年以上決着していない。そして今回たどり着いたのは「まだ答えが見つかっていない」ではなく「単一の答えがそもそも存在しない可能性が高い」という見立てだった。 1万年にわたり広い地域で作られたものを、1つの問いで括れるのか

動くとしたら——問いを時期と地域で絞ったとき。 「土偶とは何か」ではなく「この時期・この地域の土偶は何か」。★そして数え方をそろえたとき。 神奈川県の集計は1992年の155点から2020年の584点へ4倍近くに増えたが、県自身が「顔面把手や人面装飾も含まれるので、土偶の実数はもっと少なくなる」と注記している。新しい発掘を待たずに決まる

土偶は、壊されて捨てられていた——縄文の人びとは、それを何だと思っていたのか通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった

縄文

九州で土偶が消えた理由

鬼界カルデラの噴火のあとに姿を消すが、噴火は人口そのものを激減させる。 作る文化が変わったのか、作る人がいなくなったのか

動くとしたら——噴火のあとも人が住み続けた場所が九州で見つかり、そこから土偶が出なかったとき。 人がいたのに作らなかったのなら、消えたのは文化のほう。この2つを分けられるのは、この形の証拠だけ

土偶は、壊されて捨てられていた——縄文の人びとは、それを何だと思っていたのか

縄文→弥生

弥生時代は、いつ始まったのか

国立歴史民俗博物館が炭素年代から約500年さかのぼる年代観を示した。だが福岡市博物館は「この年代観に関してはまだ確定したものではありません」と明記している。 世界遺産の公式説明は「約2,400年前」を採っており、公的機関のあいだで前10世紀と前400年が併存している

動くとしたら——同じ遺跡で測定が重ねられ、土器の型式との対応が動かなくなったとき。 1点の測定値は、それだけでは年代観を決められない

弥生時代、人は入れ替わったのか——「日本人のルーツ」はどこまでわかっているのか3分でわかる|「日本人のルーツ」という問いは、なぜ答えが出ないのか通史② 縄文時代——海が上がり、人はとどまった

弥生

弥生の始まりに、人は入れ替わったのか

「置換か伝播か」という二択が間違いで、混ざったというところまでは来た。だが最初に渡ってきた集団の規模が分からない。現代人の構成比からは決められない——増加率にわずかな差があれば、数百年で構成比は逆転する

動くとしたら——弥生の早い時期の西日本の人骨からゲノムがまとまって読めたとき。 そして朝鮮半島南部の同時期の人骨が増えたとき。渡来元が分からないまま、渡来の規模を論じているのが現状

弥生時代、人は入れ替わったのか——「日本人のルーツ」はどこまでわかっているのか3分でわかる|「日本人のルーツ」という問いは、なぜ答えが出ないのか

弥生

現代日本人の「第三の層」とは何か

「三層である」ことでは研究が一致しているのに、三層目の中身では一致していない。 2021年の研究は古墳時代の東アジア系の流入とし、2024年の研究は東北日本に濃縮する成分とする

動くとしたら——2つの研究が、同じ地域・同じ時期の人骨を、同じ数だけ読んだとき。 いまは片方が古墳時代を見て、もう片方が東北日本を見ている。見ている場所が違うのに、同じ「第三層」の名で呼んでいる

弥生時代、人は入れ替わったのか——「日本人のルーツ」はどこまでわかっているのか3分でわかる|「日本人のルーツ」という問いは、なぜ答えが出ないのか

制度

事件後、発掘調査は本当に減ったのか

前・中期旧石器問題の後、調査が慎重になった/減ったという見方がある。検証できる形をしているのに、調査件数のデータがどこにも集計されていない

動くとしたら——誰かが数えれば、今日にでも決まる。 ★史料が失われているのでも、問いの立て方が悪いのでもない。まだ誰も数えていないだけ

日本列島の前期旧石器は、なぜ地図から消えたのか——そして「なかった」とは、まだ言えない

制度

検証調査が8遺跡にとどまった理由

本人の告白は42遺跡、文化庁が把握した関与は55遺跡、記録の分析からさらに3遺跡。それに対して発掘による検証は8遺跡。 石器そのものの検証は28遺跡・1,100点以上に及んだのに、発掘は8遺跡だった

動くとしたら——当時の委員会の議事や選定の基準が公にされたとき。 ★協会自身が「すべてが網羅されたものではない」と書いている。これも、探せば届く可能性のある空白

日本列島の前期旧石器は、なぜ地図から消えたのか——そして「なかった」とは、まだ言えない

この一覧は、記事で扱った論点だけを載せています。扱っていない論争は入っていません。