決着していない論点 / 古墳
大きな古墳に、誰が葬られたのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-16
いま何が争われているか
★機関で真っ二つである。 宮内庁は陵号と天皇名を留保なしに掲げ(規模は書かない)、堺市博物館は「本当はよくわかっていません」と書き、文化庁は被葬者に一切触れない。 ★そして堺市自身が「日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりもあとで築造されたことが、わかっています」と書いている
何が出てくれば決着するか
墳丘の内部が調査され、被葬者を特定できる文字資料が出たとき。 ★ただし陵墓は立ち入りが限られており、発掘を待つという道そのものが開いていない。★上位10基のうち7基は宮内庁の管理下にあると各機関が書き、墳丘に立ち入れる造山・作山のうち作山で2025年9月に初の発掘調査が始まった(報道)
この問いを扱った記事
この問いの手前に残っている未確認事項
問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。
| どの記事か | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| 通史④ 古墳時代 | 情報が食い違っている | 七支刀の銘文の日付。同じ自治体のページの中で、釈文が「五月十一日」、説明文が「正月十一日」となっており、どちらが誤記かを確かめられていない | 日付を書けるようになり、干支の日付から年代を論じた説の当否を追えるようになる |
| 通史④ 古墳時代 | 二次情報から引いている | 『宋書』倭国伝の訓読と、倭の五王の比定の研究史。訳注書と研究史の本そのものを読めていない(自治体の解説を通じて読んでいる) | 訳者がどこで語を補ったかが分かり、「史料にある」と「訳者がそう読んだ」を分けて書けるようになる |
| 通史④ 古墳時代 | 二次情報から引いている | 広開土王碑の辛卯年の一節を「戦の大義名分」と読む議論。1972年の元の論文に到達できていない(大学の公開ページでの紹介まで) | この読みをどこまで強く書けるかが決まる |
| 通史④ 古墳時代 | 情報が食い違っている | 江田船山古墳の墳丘の長さ。国の解説ページの中に約47メートルと約50メートルが併記され、町は62メートル(周溝を含めて約77メートル)とする | 墳丘の長さが確定する |
| 通史④ 古墳時代 | この記事では手が回っていない | 三ツ寺I遺跡の居館の規模・濠・石積みの数値 | 豪族の居館がどれほどの構えだったかを書けるようになる |
| 日本でいちばん大きい墓、上から1 | この記事では手が回っていない | 仲津山古墳(仲姫命陵古墳)について、宮内庁の治定(陵名)を宮内庁または藤井寺市の記述で確認できていない。堺市の順位表の括弧書きに「仲姫命陵」とあるのみ | 「10基のうち宮内庁の管理下にあるのは何基か」を、7基ではなく8基と書けるようになる |
| 日本でいちばん大きい墓、上から1 | 二次情報から引いている | 作山古墳の2025年9月からの発掘調査は、放送局の報道で確認した。総社市自身の公表文には届いていない | 調査の目的・範囲・主体を、市の言葉で書けるようになる |
| 日本でいちばん大きい墓、上から1 | この記事では手が回っていない | 誉田御廟山・造山・五条野丸山・渋谷向山の4基について、発掘の有無を機関の記述で確認できていない(確かめたページに記述がない) | 「掘られていないと明記されているのは4基」を、10基それぞれについて書けるようになる |
| 日本でいちばん大きい墓、上から1 | 情報が食い違っている | 五条野丸山古墳の墳丘長(310m/330m)、作山古墳の墳丘長(286m/282m)、大山古墳の後円部の高さ(35.8m/34.8m)が機関ごとに異なる。測り方の説明にはいずれも届いていない | 割れの理由(堀を含むか、どの時点の測量か)が書け、順位表の読み方が一段確かになる |
この問いに対応する史料台帳
- 日本書紀史書(勅撰)