用語集
記事に出てくる言葉のうち、説明なしでは通じないものを集めました。
ここに並んでいるのは、この媒体の記事に実際に出てくる語だけです。記事に出てこない語は載せません。載せると、用語集そのものが典拠のない事実の置き場になるからです。
テフラ
記事での言い方:火山灰/広域火山灰/灰の層
火山の噴火で空中に放り出された物のうち、火山灰や軽石のように、飛んで積もったものをまとめてこう呼びます。
歴史を調べる道具として、これがとても役に立ちます。
同じ噴火の灰は、広い範囲にほぼ同時に降ります。だから地層のなかにその灰の層が見つかれば、離れた場所の地層どうしを「この線は同じ時」でつなげます。
日本列島では、姶良(あいら)カルデラの噴火による灰(AT)と、鬼界(きかい)カルデラの噴火による灰(K-Ah、アカホヤ)の2つが特によく使われます。前者は東北地方まで、後者は九州から東北地方南部までを覆っています。
★ただし、目印そのものの年代に幅があります。 ATの年代は、産業技術総合研究所が30,009±189年前、気象庁が約29,000年前としています。約1,000年ずれています。 測り方が違うためです。
較正暦年代(cal BP)
記事での言い方:暦の年に直す/補正/較正
炭素の一種を使った年代測定(放射性炭素年代測定)で出てくる数字を、暦の年数に直したものです。
なぜ直す必要があるのか。
測定でまず出てくるのは「炭素の減り方から計算した年数」で、これは暦の年数とずれます。 大気中の炭素の量が時代によって変わっていたためです。そこで、年輪や湖の底の縞など、1年ずつ数えられる記録と突き合わせて補正します。
- yrs BP/14C BP = 補正前の値
- cal BP = 補正後の、暦に直した値(BP は「1950年から数えて何年前か」)
★この2つは混ぜられません。 青森県・大平山元Ⅰ遺跡の土器の例では、補正前が12,680〜13,780年前、補正後が15,320〜16,540年前です。2,000年以上違います。
そして補正に使う表(較正曲線)は改良され続けているので、同じ測定値でも、いつ補正したかで答えが変わります。
年縞
湖の底などに、1年に1組ずつ縞ができて積み重なったものです。
夏と冬で沈むものが違うため、木の年輪と同じように1年ずつ数えられます。
福井県の水月湖の年縞は、放射性炭素年代を暦に直すときの世界の基準の一つとして使われています。姶良カルデラの噴火の年代(30,009±189年前)も、この湖の年縞のなかにある火山灰の層から出た値です。
ハイドロアイソスタシー
記事での言い方:土地そのものが上下する/土地の上下
海水の重さが変わると、土地そのものが上下するという現象です。
氷期に海の水が減ると、海の底にかかる重さが軽くなって海底が持ち上がり、そのぶん陸側が沈みます。氷がとけて水が増えると、逆のことが起きます。
★これが厄介なのは、「海面が何m下がったか」の答えが場所によって変わることです。
最終氷期最盛期の海面は、世界全体ではいまより約120〜134m低かったとされますが、日本列島の周辺では約100〜130mと、浅めの値が出ます。海面の下がり方が違ったのではなく、土地の上下が違ったのです。
縄文時代の海面上昇(縄文海進)のあと海面が下がって見えるのも、氷が増えたからではなくこの土地の上下によるものだと、日本第四紀学会は説明しています。
縄文海進
縄文時代に、海面がいまより高くなって、海が陸の奥まで入り込んだ現象です。
関東平野では、いまの東京の低地から埼玉県まで海(奥東京湾)が入り、大阪平野では上町台地の東側に河内湾という内海が広がりました。内陸で貝塚が見つかるのは、そのためです。
★時期と高さは、機関によって値が違います。
- 日本第四紀学会:約7,000年前、いまより2〜3m高い
- 横浜市の博物館:約6,000年前(縄文前期)、4〜6m高い
差の一部は場所による違い(上のハイドロアイソスタシー)ですが、「7,000年前/6,000年前」「早期/前期/中期」という時期の呼び方のずれは、それでは説明できません。
ドメスティケーション
野生の動植物が、人とのつきあいのなかで、野生のものとは違う姿に変わっていくことです。日本語では「栽培化」「家畜化」と訳されます。
植物では、種が大きくなることが分かりやすい目印になります。縄文時代のダイズ・アズキでは、現在の野生種の最大値を超える大きさの種が、6,000〜4,000年前ごろに現れます。
★ただし「種が大きくなった」と「人が栽培していた」は、まだイコールではありません。
研究者自身が、こう書いています。種を播いて育てなくても、野生の集団を見守って採り続けるだけで大きくなる可能性が残っている、と。 その区別をつける実験が必要だとされています。
レプリカ法
土器の粘土に残った、種などの跡(圧痕)を型取りして調べる方法です。
粘土をこねるときに種が混ざり、焼くときに種は燃えてなくなり、種の形をしたくぼみだけが残ります。 そこに樹脂を流し込んで型を取り、顕微鏡で見て種類を見分けます。
強いところ:土器が作られた時期に、その種が確かにあったと言えます。土のなかから出た種は、あとの時代のものが混ざり込んでいる可能性がありますが、土器の中の種にはそれがありません。
★弱いところが3つ、研究者自身の言葉で示されています。
- 種類によって残りやすさが違う。 神奈川県中屋敷遺跡では、土器の圧痕からイネが0点だったのに、同じ遺跡の土坑から出た種はイネ338点でした
- 表面に出ている跡しか見えない。 器の内部に隠れた跡(潜在圧痕)のほうが本来は多いはずで、X線CTなら見えますが、費用と時間がかかり大規模な調査には向きません
- 大きさの補正が決まっていない。 種は粘土の水を吸って膨らみ、焼けた種は縮みます。補正の方法が研究者間で違い、直接くらべられません
環状ブロック群
記事での言い方:石器のかたまりが輪のかたちに並び/輪のかたち
石器のかたまり(ブロック)が、輪のかたちに並んでいる遺構です。後期旧石器時代のものが知られています。
千葉県の墨古沢(すみふるさわ)遺跡では、南北70m×東西60mの輪に石器のかたまりが並び、石器の数は1万点に迫るとされます。長野県の日向林B遺跡では、15か所のかたまりが長径30mの輪をなしていました。
★何のために輪になっているのかは、決まっていません。 文化庁は墨古沢について「動物資源を目的に集まった人々が営み、狩猟具を含む活発な石器製作を行った集落遺跡」と書き、地元の町は「石器を製作、または使用した生活の痕跡だと考えられます」と留保しています。
細石刃
長さ数センチ、幅5mm程度の、小さくて細長い石の刃です。後期旧石器時代の終わりごろに広く使われました。
そのままでは小さすぎて使えません。骨や木の軸に何枚も並べて埋め込み、1本の刃物や槍先として使ったと考えられています。刃が欠けたら、その1枚だけ取り替えられます。
北海道の白滝遺跡群では、この細石刃を作る独特の技法が確認され、「湧別(ゆうべつ)技法」と名付けられました。同遺跡群の出土品1,965点は、2023年に国宝になっています。
接合資料
割れた石の破片を1つずつつなぎ直して、元の石のかたちに戻したものです。
なぜそんなことをするのか。戻すと、石器を作った手順が見えるからです。 どこから割り始め、どの順に打ち欠いたか。そして足りない破片は、持ち去られた石器ということになります。
北海道の白滝遺跡群の国宝の出土品には、この接合資料が含まれています。
貝塚
食べたあとの貝殻が捨てられ、積み重なった場所です。
貝殻が大事な役割を果たします。 貝殻に含まれるカルシウムで土が酸性でなくなるため、ふつうなら溶けてなくなる骨が残るのです。 魚の骨、獣の骨、そして人の骨も。
だから貝塚は「ゴミ捨て場」であると同時に、その時代の人が何を食べていたかが分かる、数少ない場所になります。千葉市の加曽利貝塚は、貝塚としてはじめて特別史跡になりました。
環状列石(ストーンサークル)
石を輪のかたちに並べた遺構です。縄文時代後期のものが東北地方などで見つかっています。
秋田県の大湯環状列石は、最大径52mと44mの2つの輪からなります。青森県の小牧野遺跡は、中央・内・外の三重で全体の直径が約55mあります。
★何のためのものかについて、書き方が機関によって違います。
- 文化庁の指定解説は、構造だけを記して用途に踏み込みません
- 鹿角市は「『集団墓』であるとともに『祭祀施設』であったと考えられています」
- 世界遺産の公式説明は「祭祀遺跡」と位置づけています
「祭りが行われた」というところまでは断定に近く、「何のための、誰に向けた祈りか」になると、どの機関も留保に切り替わります。
抜歯(風習的抜歯)
健康な歯を、決まった型にしたがって抜く風習です。縄文時代の人骨に多く見られます。
岡山県の津雲貝塚や愛知県の吉胡貝塚では、成人した人の全員が上あごの左右の犬歯を抜いていたと報告されています。さらに、下あごのどの歯を抜くかでグループが分かれることも知られています。
意味については、成人の儀式ではないか、結婚の際のものではないか、出身の違いを示すのではないか——いずれも仮説として書かれており、断定した公的な説明は見当たりません。
屈葬
手足を折り曲げた姿で埋葬することです。縄文時代の墓に多く見られます。
愛知県の吉胡貝塚の文化庁の解説には、屈葬のほかに伸展葬(伸ばした姿)や甕棺葬(土器に納める)の例もあると書かれています。1つの墓地に、複数のやり方が並んでいたことになります。
なぜ折り曲げたのかについては、確かめられた答えがありません。