決着していない論点 / 奈良

囲いを作れた王権が、なぜ都だけを囲わなかったのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-16

いま何が争われているか

★「技術がなかったから」では説明がつかない。 664年の水城は高さ約9メートル・長さ1.2キロ、724年創建の多賀城は一辺1キロ前後を四方とも塀(高さ4〜5メートル)で囲う。★710年に遷都した平城京だけが、全周としては囲われていない。 外敵の脅威・費用・思想・地形といった説明が流通しているが、どれも決着していない

何が出てくれば決着するか

★★問いの立て方を変えると動く。 「なぜ壁がないのか」は無いことの理由を問うており、何とでも言える。★「囲いを作れた王権が、なぜ都だけを囲わなかったのか」は、囲いの有る場所と無い場所を数える問いである。 同じ世紀の列島で囲われた施設がいくつあり、それぞれ何を囲っていたかは、すでに史跡に指定されているものを数えれば輪郭が出る。掘る必要がない

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
幅6メートルの壁と、太さ12セン二次情報から引いている長安の城壁の幅(約6メートル)と周囲(約36キロ)。この記事が読んだのは、発掘の結果を伝えた報道であり、掘った機関が出した報告そのものではないこの記事の中心にある「幅6メートル」と「太さ12センチ」の対比が、報道を1つ経由した数値ではなく、直接の測定値で支えられる
幅6メートルの壁と、太さ12センこの記事では手が回っていない平城京の囲いが「南の面だけ」であることの、地面からの裏づけ。この記事が引いたのは書物の側の記述で、東・西・北の面を掘って何も出なかったと確かめた調査には届いていない「都をぐるりと囲む囲いがない」が、掘って確かめられたことなのか、まだ掘っていないだけなのかが決まる
幅6メートルの壁と、太さ12センこの記事では手が回っていない水城の高さ「約9メートル」が、築かれた当時の高さなのか、いま残っている高さなのか。引用した説明はその区別を書いていない平城京の囲いと並べたときの高さの比較が、当時どうしだったのか、いま残っているものどうしだったのかがはっきりする
幅6メートルの壁と、太さ12センこの記事では手が回っていない平城京の南の端で掘られた柱穴や濠の数値が、どの調査報告に載っているか。この記事は講演の資料から数値を取っており、元の報告書には届いていない数値の出どころが1段近くなり、調査ごとの検出範囲がより細かくわかる
幅6メートルの壁と、太さ12セン情報が食い違っている「囲いは南の面だけ」と書いた文献が、平城京について言っているのか、平安京について言っているのか。同じ文章のなかで両方の都が扱われている南の面だけという説明が、どちらの都について確かめられたことなのかが定まる

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。