決着していない論点 / 平安

平安中期の政変は、同時代の記録でどこまで書けるか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-16

いま何が争われているか

★将門の死(940年)と安和の変(969年)は、『日本紀略』(龍谷大学図書館の解題で「歴史書」・「編者は不詳」・「編年体の体裁を採り、漢文で記されている」。成立は「平安時代後期」「平安時代末期」と解題で語が違う)の本文に到達した(2026-09-08・史料編纂所の刊本の頁画像)。★将門の死は「信濃国の飛駅が2月25日に京へ伝えた」奏文の形で残り、京にいた人は戦いを見ていない。★同じ1条の下に、10世紀の奏文から江戸の地誌(神田明神の由来)まで77条(同じ本の複数の箇所を含む)が並ぶ。安和の変は、綱文「橘敏延」と『日本紀略』「橘繁延」で人名の字が違う。★「なぜ起きたか」「誰が仕組んだか」は、綱文にも歴史書の本文にも無い

何が出てくれば決着するか

★「なぜ」に届くのは、同時代の日記に動機や経緯が書かれている箇所が見つかったとき。 『日本紀略』の本文にも、動機や経緯は書かれていない。★将門の死の日付(13日/14日)は、刊本(大日本史料 第1編之7・623〜624頁)で史料を読んだ(2026-09-10・1人の判読)——『日本紀略』の奏文と『浄蔵法師伝』は「今月十三日」、『扶桑略記』は「十三日、貞盛、秀郷等、至下總國、征襲將門」の翌日「十四日未刻」に「秀郷馳至、斬將門頸」と書く。編纂所は14日条に立てている。何に従ったかは未確認(刊本の校訂注は読んでいない)。1日のずれは、史料の側にある。 『将門記』の続きは未読

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『小右記』の文は、史料編纂所のデータベースの機械テキストから、検索で出た断片をつないだもの。 校閲未了——人の目による校閲を経ていない。断片の間に欠けがありうる人の目で刊本の頁を読めば、逐語の確かさが上がり、1本の文として引けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『御堂関白記』の1018年10月16日の記事——道長自身はその夜、何を書いたか。史料編纂所のデータベースで当たれる型で、まだ当たっていない「望月の歌」を、詠んだ本人の側からも書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『日本三代実録』のあと国史が「完成を見ずに終わった」経緯(『新国史』)何が着手され、なぜ止まったかを書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『日本紀略』の10世紀の部分が何に依拠しているか。 解題は六国史の部分を「抄録」と書くが、その後の部分の材料は書いていない将門の奏文が、どういう形でこの本に入ったかを書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『延喜式』の完成年(927年)・施行年(967年)。文化遺産オンラインのページに記載なし「905年に編集開始」の先を書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『日本紀略』『貞信公記』『扶桑略記』『本朝神社考』の文は、史料編纂所の刊本の頁を機械で読んだもの。 校閲未了——人の目による校閲を経ていない。将門・安和の頁は別の読み手2つ(機械)と突き合わせて字は一致したが、それは校閲ではない人の目で同じ頁を読めば、逐語の確かさが上がる
通史⑧ 平安時代 中期情報が食い違っている将門の死の日付。 『日本紀略』の奏文と『浄蔵法師伝』は「今月十三日」、『扶桑略記』は「十四日未刻」。編纂所は14日の条に立てているが、何に従ったかは確かめていない。「13日に戦い、14日に死んだ」は下調べの側の読みで、逐語に無い。『将門記』の続きは未読『将門記』の続きと刊本の校訂注を読めば、13日と14日の関係がもう1本で確かになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『将門記』の成立年・作者・本文の性格。目録の1行まで最古の写しの1099年と、書かれた時との距離を書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期二次情報から引いている『御堂関白記』の中身は東京国立博物館の解説が「〜によると」として引いた形。本文に当たっていない日記の記述を直接引けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『源氏物語』『枕草子』『古今和歌集』の現存最古写本。 文化遺産オンラインの検索で該当0件この時代の文学を、いつの写しで読んでいるかを添えて書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない十和田の泥流に埋まった建物の住人・暮らし「灰に埋まった家」に人を書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期二次情報から引いている海底堆積物の気温の研究(川幡2017)は大学の紹介ページまで。原論文の数値に当たっていない「寒冷」を、原論文の値で書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない10〜11世紀の人口・家の形・食べたもの「どう暮らしたか」に近づける
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない十和田以外の災害(地震・疫病・飢饉)都の側の暮らしを年で書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない白頭山の10世紀噴火の年列島の外の環境を1件書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない列島の外で書かれた10〜11世紀の史料(宋・高麗)。刀伊の入寇(1019年)刀伊の入寇や宋との交易を書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない応天門の変の『日本三代実録』の本文。 読めたのは貞観8年9月22日条の抄(編纂所が抜き書きした1条)のみ。閏3月10日条・8月の諸条は当たっていない(経路はある:国立国会図書館デジタルコレクションの『国史大系』第4巻)。承和の変の『続日本後紀』の本文も当たっていない「歴史書にこう書かれている」と、当時の文で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている784年11月11日・794年10月22日という遷都の日付の典拠。機関が典拠を示していない日付を、出典の史料を添えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている長岡京の南北(5.3km/5.2km)。隣り合う2自治体で違い、計測の基準が書かれていない都の大きさを1つの数字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている長岡京を捨てた理由(洪水・怨霊)の典拠。 機関が典拠を示していない。洪水の発掘での痕跡を書いた記述にも届いていない理由の2つを、性質ごとに分けて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない平安宮の大極殿・朝堂院跡の発掘と、応天門の位置。 奈良文化財研究所の総覧と京都市埋蔵文化財研究所のページを開けなかった(応答が429)。応天門がどこにどう建っていたかを書いた機関の記述にも当たっていない平安宮がどう掘られたか、門がどこにあったかを書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている胆沢城の一辺(約670m/675m)。同じ市の2ページ城の大きさを1つの数字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない胆沢城から出た漆紙文書(暦・兵士についての文書)の中身北の城で人が何をしていたかを、文字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない「38年戦争」という呼び名の、学問の世界での位置。盛岡市の用語として確認したのみ呼び名を、機関の語として使えるかどうかが決まる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない列島の外で書かれた9世紀の史料(唐・新羅・渤海の側)東アジアの中の位置を書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない薬子の変(810年)・摂政の始まり(866年)・阿衡の紛議(887年ごろ)。 綱文にも当たっていない。摂政の始まりは『日本三代実録』の条が別の論文で特定されており、本文は未着手9世紀の政治の流れを、綱文で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている貞観津波の「溺死者千人」は論文が歴史書から引いた数。歴史書の条文に当たっていない書物の数として、出典の条を添えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている津波の砂の内陸への到達距離。 産総研は距離を書かず、論文は「当時の海岸線から3km以上/4km」「現在の海岸線から1.5km程度」と、基準の海岸線が当時と現在で混ざる距離を、いまの海岸からの値に揃えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている海底堆積物の気温の研究(川幡2017)は大学の紹介ページまで。原論文の数値に当たっていない820年ごろの「最高気温」を、原論文の値で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない右京の農村化を示す発掘の記述。 京都市の概説の1文まで「畑になった」を、掘った結果で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない9世紀後半の火災・疫病の個々の年と規模。京都市の概説の1文まで都の側の暮らしを、年で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない9世紀の人口の推計、家の形、食べたもの「どう暮らしたか」に近づける
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない『日本後紀』の現存10巻がどの巻か。 国立公文書館のページに巻番号は無い。図書館の回答記録が事典を引いて巻番号を挙げるが、機関の一次記述ではないので、この記事は書かないどの年の記事が失われたかを書けるようになる。新しい発見を待つ話ではない
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている「藤原時平らの謀略で」(道真左遷)は国立公文書館の解説の言葉。編纂所の綱文には「謀略」に当たる語は無く、その本文には当たっていない左遷の経緯を「〜と書かれています」の形で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない894年の遣唐使の件。 公的機関・大学の記述に到達できなかった「停止」か「廃止」か、何の史料によるかを書けるようになる

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。