資料室 / 戦記(成立・作者は本台帳では未確認)
『将門記』(平将門の乱を記した書物・最古の写しは1099年)
内容は天慶3年(940年)ごろの平将門の乱。成立年は機関の記述に無い。いま読める最古の写しは承徳3年(1099年)(名古屋市博物館の出品目録による) / 2026-09-29
★ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文の翻刻も単独の現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この媒体が実際に読んだ範囲に限り、判読と下訳を「読んだ本文(対照)」の節に置くことがあります(AI の判読・専門家の校閲未了)。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。
どんな史料か#
平将門の乱を記した書物です。しかし、いつ・誰が・何のために書いたかを書いた機関の記述に、本台帳は1つも到達していません※1。★この台帳の薄さは、そのまま置きます。 機関の記述で言えるのは、次のことだけです。
名古屋市博物館の特別展「古事記1300年 大須観音展」(2012年12月1日〜2013年1月14日・主催:名古屋市博物館・大須観音宝生院)の出品目録(PDF・https://www.museum.city.nagoya.jp/document/exhibition/special/past/tenji121201/oosutenmokuroku.pdf ・取得 2026-09-07/2026-09-29 に取り直して一致)に、2行があります【定説:機関の目録の記載として】。
「102 重文 将門記 平安時代 承徳3年(1099)写 1巻 大須観音宝生院」 「103 将門記(模刻本) 江戸時代 寛政11年(1799)刊 1冊 名古屋市博物館」
| 項目 | 記載 |
|---|---|
| 何か | 宮内庁書陵部の分類は「歴史及伝記 > 歴史 > 日本史 > 戦記・物語」【定説:機関の目録の記載として】。★同じ目録で『小右記』は「記録」、『日本紀略』は「雑史・実録」——機関の分類として、この本は日記でも実録でもない棚にあります |
| 作者 | 機関の記述に無い※1 |
| 成立 | 機関の記述に無い※1。いま読める最古の写しの年(1099年)は、写しの年であって、書かれた年ではありません |
| 内容の年 | 天慶3年(940年)2月の記事を含む(『大日本史料』第一編之七 p.623〜の刊本に「以同年二月十三日、著強賊地下總之堺、新皇擬招弊敵等、引率兵使、隱於辛島之廣江、爰貞盛行事於左右、」まで)【定説:刊本の記載として・機械判読・続きは未読】 |
★この史料について、最初に押さえていただきたいことが2つあります。
1. 「1099年」は写しの年です#
通史⑧は「乱から約160年後の写し」と書きました。その160年は、乱と「写し」の間の距離であって、乱と「本文が書かれた時」の間の距離ではありません。 1099年の写本が、それより少し前に書かれた本を写したのか、ずっと古い本を写したのかは、機関の記述が無いので本台帳では書けません。用語集「奥書」の項が「奥書が示すのは『その写しの年』であって、『本文が書かれた年』ではありません」と書くとおりです。★なお、目録は「承徳3年(1099)写」と書くだけで、その年が奥書によるとは書いていません。
2. 通史⑧は、この本の本文を、『大日本史料』の刊本で1行だけ読んでいます#
読んだのは天慶3年2月13日の記事の冒頭「以同年二月十三日、著強賊地下總之堺…」までで、続き(14日の記事があるか)は読んでいません(「典拠にするときの注意」3)。
原本はあるか#
★原本(書かれた時の本)の有無を書いた機関の記述に、本台帳は到達していません。いま読める最古の写しは、承徳3年(1099年)写・1巻・重要文化財・大須観音宝生院(真福寺)です(名古屋市博物館の出品目録)【定説:機関の目録の記載として】。★この寺は、『古事記』の現存最古写本(S-J015・応安4・5年〈1371・72年〉写・国宝)を伝えたのと同じ寺です——同じ目録の「108 23 国宝 古事記 南北朝時代 応安4・5年(1371・72)写 3帖 大須観音宝生院」【定説:機関の目録の記載として】。
いま読める本の層(機関の目録から)#
| 本 | 所蔵 | 目録の記載 | 何か |
|---|---|---|---|
| 真福寺本 | 大須観音宝生院 | 「平安時代 承徳3年(1099)写 1巻」重文(名古屋市博物館) | 写本・最古 |
| 「楊守敬旧蔵本」 | (所蔵機関は未到達※2) | 「将門記(楊守敬旧蔵本) (解説)山田忠雄 コロタイプ, 昭和30年3月, 貴重古典籍刊行会」(宮内庁書陵部 B2・64) | 複製の書名として、真福寺本とは別の伝本があることが立つ。年代・所蔵は未到達 |
| 内閣文庫本 | 国立公文書館 | 「将門記」「請求番号 167-0019」「旧蔵者 昌平坂学問所」「書誌事項 写本」「数量 1冊」「関連事項 真福寺本 秦檍丸手校手跋本」 | 写本・年代の記載なし。目録が真福寺本の系統に結びつける |
| 谷森本 | 宮内庁書陵部 351・485 | 「将門記 谷森本 写, 江戸中期」 | 写本 |
| 寛政の版本 | 書陵部 351・484/207・421、早稲田大学、名古屋市博物館 | 「稲葉通邦校 版, 寛政9年, 植松茂岳」/「将門記(1巻) 松岡本 稲葉通邦校 版, 寛政11年, 名古屋 植松有信」(書陵部)/「寛政11[1799]序」「大須本天明2年稲葉通邦写の影刻」(早稲田大学 リ05 01501)/「将門記(模刻本) 江戸時代 寛政11年(1799)刊」(名古屋市博物館) | 刊本。★早稲田大学の目録の語で、寛政の版は「大須本」を天明2年(1782年)に写したものの「影刻」 |
| 弘化の版本 | 京都大学 谷村文庫 RB00011164 | 「出版年(和暦) 弘化2跋 刊」「[名古屋] : 植松茂岳」「巻首一部欠 原本:宝生院(名古屋大須)蔵」「画像二次利用自由(所蔵表示)」 | 刊本。所蔵館の注記が大須の本に結びつける |
| 複製 | 書陵部 260・94/261・206 | 「将門記(真福寺本) コロタイプ, 大正12年, 古典保存会」「同 大正13年8月」 | 真福寺本の写真複製 |
★読み取れること。 ①平安・鎌倉の写本は、当たった機関(書陵部・内閣文庫・京都大学・早稲田大学)には無く、真福寺本の1本だけです。②真福寺本のほかに「楊守敬旧蔵本」という伝本があることが、複製の書名として目録の上で立ちます※2。③寛政・弘化の版本は、3機関の目録がそろって大須(真福寺・宝生院)の本に結びつけます(「大須本…影刻」「原本:宝生院蔵」「真福寺本」)。ただし「原本」が1099年の写本そのものを指すかは、注記からは決められません。④植松茂岳の名が寛政9年(書陵部)と弘化2年跋(京都大学)の2つの年に付きます。同じ版木の後印か別版かは、目録は答えません。
★書かれた時と、いま読めるものの間#
| 書かれた時 | いま読めるもの | 隔たり | |
|---|---|---|---|
| 『将門記』(本台帳) | 機関の記述に無い※1 | 承徳3年(1099年)写の真福寺本 | ★書けません。 書かれた時が無いので、「写し」までの距離を数えられません。数えられるのは、内容の年(940年)から写しの年(1099年)までの約160年です |
| 『日本紀略』(S-J022) | 「平安時代後期/末期」の編纂 | 年代の記載が無い写本・1860年の刊本 | 年数で書けない |
| 『古事記』(S-J015) | 712年 | 1371・72年写の真福寺本 | 同じ寺の写本で、およそ660年 |
後世の手#
★本台帳は、真偽や解釈の当否を判定しません(資料室規程 第4条)。判定が割れる場所、または判定できない場所を示します。
- 写本で伝わる文献に共通する前提——写し間違い、注記の本文への混入、脱落定説。この本について具体的にどこで起きたかを書いた機関の記述に、本台帳は到達していません。京都大学の刊本の注記「巻首一部欠」は、その刊本の欠けを示すだけです。
- 伝本の系統——真福寺本と「楊守敬旧蔵本」の2本があることまでは目録で立ちますが、両者の関係(どちらが古いか、本文がどう違うか)は、機関の記述にありません※2。学術誌に笠栄治「将門記の本文について」(『軍記と語り物』5・軍記・語り物研究会・1967年・25–31頁・DOI 10.60342/gunkitokatarimono.5.0_25)という論文があることは、J-STAGE の書誌で確かめましたが、本文は読んでいません——本文の内容を本台帳に書きません。
- 校訂と手校——内閣文庫本は「秦檍丸手校手跋本」(目録の語)で、江戸期に手が入った本です。寛政の版本は「稲葉通邦校」です。校訂は、それ自体が後世の手です。 通史⑧が読んだ『大日本史料』の刊本の本文が、どの本に拠るかは凡例に当たっていません。
- 成立・作者をめぐる説——機関の記述に届いていないので、割れ方を示せません。「示せない」を、ここに書きます※1。
- 偽書説——当たった機関の公開面に記述はありません。無いことの確認であって、無いことの証明ではありません。
どこで読めるか#
この台帳は、原文も現代語訳も置きません。読める場所を指し示します(資料室規程 第1条)。
- 名古屋市博物館——特別展「古事記1300年 大須観音展」出品目録 https://www.museum.city.nagoya.jp/document/exhibition/special/past/tenji121201/oosutenmokuroku.pdf (真福寺本の行)。★真福寺本の画像・所蔵者(大須観音宝生院)の解説には、本台帳は到達していません※3
- 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(谷村文庫)——https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00011164 (弘化2年跋の刊本・1冊・「画像二次利用自由(所蔵表示)」・国文学研究資料館の事業により令和2年度に電子化)【定説:ページの記載として】
- 早稲田大学図書館 古典籍総合データベース——https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri05/ri05_01501/index.html (寛政11年序の刊本・市島文庫)
- 国立公文書館デジタルアーカイブ(内閣文庫)——https://www.digital.archives.go.jp/file/1227036 (写本・昌平坂学問所旧蔵・「利用制限の区分 公開」)
- 宮内庁書陵部 図書寮文庫(https://shoryobu.kunaicho.go.jp/ )——版本2種・江戸中期写・複製3種(上の表)。楊守敬旧蔵本の複製は https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000631370000
- 通史⑧が実際に読んだ本文——東京大学史料編纂所『大日本史料』第一編之七 p.623〜(天慶3年2月14日条の本文一覧の中の〔将門記〕)。刊本画像は SHIPS Image Viewer https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/0107/0623 (2026-09-10 取得)。真福寺本の画像でも、『将門記』の校訂本でもありません
- 文化庁の史跡解説——文化遺産オンライン「結城廃寺跡 附 結城八幡瓦窯跡」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/218259 。「「法成寺」とへら書きされた文字瓦があり,『将門記』にみえる結城郡法城寺にあたる可能性が高いことも指摘されている。」と、この本の地名に触れます【定説:機関の記述として・語尾は「可能性が高いことも指摘されている」のまま】
典拠にするときの注意#
★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 典拠は機関の目録、または刊本の編・頁を直接あげてください(資料室規程 第5条)。
- 成立年・作者・性格を書かないでください。 機関の記述が1つも無いためです。「10世紀の本」「乱の直後に書かれた」「軍記物語の最初」といった語は、この媒体はどれも典拠を持っていません。書けるのは「いま読める最古の写しは1099年」までです
- 「1099年の写し」を「1099年に書かれた」と書かないでください。 写しの年です(「どんな史料か」1)
- 通史⑧が読んだ本文は、『大日本史料』の刊本を機械で読んだ1行で、続きは未読です。 将門の死の日付(13日か14日か)について、この本が何と書くかは、続きを読むまで書けません。引くときは『大日本史料』の編・頁を添え、「刊本を読んだ」と書いてください。人の目による校閲を経ていません(別の読み手2つ〈機械〉との突き合わせで冒頭の字は一致しましたが、校閲ではありません)
- 綱文の本文一覧に『将門記』が3か所挙がることと、この本が「同時代の記録」であることは別です。 一覧は編纂所が集めた本の並びで、成立の古さの証明ではありません
- 結城廃寺の「『将門記』にみえる結城郡法城寺にあたる可能性が高いことも指摘されている」は、機関の語尾のまま引いてください。 「あたる」と断定しないでください。「10世紀中頃から後半に焼失」は土器と瓦からで、確かさの種類が違います
- 「真福寺本」「大須本」「宝生院蔵」は、3機関の目録がそれぞれ使う語です。 同じ本を指すと読めますが、引くときは各機関の語のまま添えてください。「楊守敬旧蔵本」は所蔵・年代が未到達なので、名前以上のことを書かないでください
この台帳の未確認事項#
| 番号 | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| ※1 | この記事では手が回っていない | 成立年・作者・本文の性格(機関の記述)。承徳3年の奥書の文言。② 未着手——名古屋市博物館の目録(1行)・宮内庁書陵部の分類(「戦記・物語」)・文化遺産オンライン(title 検索で真福寺本の単独項目が出ず、出たのは「将門記伝《国宝将門記伝》」〈東京国立博物館〉のみ)まで。文化財データベース・書陵部から入る当たり方が、この本には合っていなかった。次の経路:所蔵者(大須観音宝生院)の公式ページ「大須文庫」/名古屋市博物館の展示解説/名古屋市の文化財ページ/国文学研究資料館 国書データベースの著作詳細(ブラウザのある回) | 「どんな史料か」を機関の語で書けるようになる。1099年の写しと書かれた時の距離を書けるようになる |
| ※2 | この記事では手が回っていない | 「楊守敬旧蔵本」の所蔵機関・書写年代・真福寺本との関係。② 未着手——書陵部の複製の書名まで。次の経路:貴重古典籍刊行会の複製の解説(昭和30年・紙)/所蔵機関の目録(機関名を機関の記述で確かめてから) | 伝本が2本あることの中身を書けるようになる |
| ※3 | この記事では手が回っていない | 真福寺本の国指定(重文)の機関の記載と、真福寺本の画像。② 未着手——文化遺産オンラインの title 検索に単独項目が出ない。真福寺の典籍群としての一括指定に含まれる可能性があるが、確かめていない。次の経路:国指定文化財等データベースを所有者「宝生院」「真福寺」で検索/「大須文庫」「真福寺文書」の項目 | 「重文」の指定の形(単独か一括か)と、画像で読めるかが分かる |
| ※4 | この記事では手が回っていない | 東京国立博物館の「将門記伝《国宝将門記伝》」(文化遺産オンライン)が何か。書陵部の「〔国宝〕将門記伝(1巻) 織田完之 活版, 明治38年」と同じ類の明治の本と読めるが、確かめていない | 1099年の写本と混同しない案内が書けるようになる |
| — | この記事では手が回っていない | 『大日本史料』の刊本の〔将門記〕の続き(14日の記事があるか)と、刊本が何を底本にしたか(凡例)。書陵部の『今昔物語』松岡本に「一名 将門記」と立つ写本が何か | 将門の死の日付について、この本の側の記述を書けるようになる |
改訂履歴#
- 2026-09-29 初版。席(ウタガウ)が起草(伝来・目録・複製)。京都大学・早稲田大学・国立公文書館の3件(刊本2・写本1)は同日の席(ホル)の取材による。逐語の出所は
records/到達記録 2026-09-29 ウタガウ(日本紀略・小右記・御堂関白記・将門記の伝来).md項目4・records/到達記録 2026-09-29 ホル(同・刊本・DB・本文).md項目4。名古屋市博物館の目録の逐語は通史台帳 L-J008 第2-5節(2026-09-07)と一致。★無人の取材で、逐語は取得したページの文字列(PDF は文字列を抽出)から写したもので、画面でも画像でも人の目でもない。「読んだ本文(対照)」の節は、底本のコマまで届いていないので置かない(資料室規程 改訂 v2 第1条の2)。