資料室 / 日記(同時代の記録・自筆本あり)

『御堂関白記』(藤原道長の自筆日記)

長徳4年(998年)〜治安元年(1021年)の記事(東京大学史料編纂所の刊行一覧の〔998~1021〕による) / 2026-09-29

★ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文の翻刻も単独の現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この媒体が実際に読んだ範囲に限り、判読と下訳を「読んだ本文(対照)」の節に置くことがあります(AI の判読・専門家の校閲未了)。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。

どんな史料か#

藤原道長(ふじわらのみちなが)の日記で、本人の自筆本が14巻残っています。 文化庁の国指定文化財等データベースは、こう記載します(https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/816 ・取得 2026-09-29)【定説:機関の記載として】。

項目記載
名称御堂関白記〈自筆本十四巻/写本十二巻〉
員数26巻
種別・時代古文書・平安
指定国宝・1951年(昭和26年)6月9日・指定番号 00042
所有者・所在財団法人陽明文庫・京都府
附指定御堂御記抄(五巻、一幅)・御堂御暦記目録(一通)
解説文「平安時代の作品。」(★これで全文です。「年代」「作者」「画賛・奥書・銘文等」「伝来・その他参考となるべき事項」の欄は空欄)

東京大学史料編纂所の刊行一覧は「御堂関白記 藤原道長(966‐1027)の日記 全3冊完結〔998~1021〕」と書きます(https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kokiroku/ ・取得 2026-09-29)【定説:機関の記述として】。

同財団を名乗るサイトは、こう書いています(「公益財団法人 陽明文庫」を名乗るサイト https://ymbk.sakura.ne.jp/collection.htm ・取得 2026-09-29。★ドメインが同財団のものであることは、サイトの自称以上には確かめていません※1)【定説:同財団を名乗るサイトの記述として】。

「藤原道長の自筆による日記。具注暦という、日々の吉凶・禁忌などを詳しく注記した暦の余白に書かれています。」

項目記載
書き手藤原道長(966〜1027)【定説:機関の記述として】
記事の範囲〔998~1021〕(史料編纂所の刊行一覧・全3冊の範囲として)【定説:機関の記述として】
物の形「具注暦」の「余白に書かれています」(所蔵者)【定説:同財団を名乗るサイトの記述として】
書名の由来所蔵者の沿革ページは「歴代がその当職中に記した日記です。これを関白記と称しますが、その筆頭が藤原道長による『御堂関白記』であることはいうまでもありません。」と書く(https://ymbk.sakura.ne.jp/enkaku.htm )【定説:同財団を名乗るサイトの記述として】。★道長の「当職」が何かは、この文には無い

★この史料について、最初に押さえていただきたいことが2つあります。

1. 通史⑧は、この日記の本文を1行も読んでいません#

通史⑧が引いたのは、東京国立博物館の解説(e国宝「長徳四年紺紙金字経」)の「道長の自筆日記『御堂関白記』(京都・陽明文庫所蔵)によると、道長は、寛弘4年8月2日に京を発ち、11日に金峯山で供養法要を行い、14日に帰洛するまで、金峯山詣をしたことが知られる。」という1文です【定説:機関の記述として】——機関が「〜によると」の形で引いた、二次の形です。 寛仁2年(1018年)10月16日——「望月の歌」の日——に道長自身が何を書いたかは、通史⑧は当たっていません(S-J023「どんな史料か」1)。

2. 「自筆本14巻」は、どの年の分かが機関の記述に無い——次の節へ#

原本はあるか#

★あります。本人の自筆本が14巻、所蔵者の手元に残っています。 通史⑧⑨に出る日記の中で、『兵範記』(S-J020・自筆清書本)と並んで「本人の手」まで届く2本の1つです。所蔵者の沿革ページは、こう書いています(逐語・https://ymbk.sakura.ne.jp/enkaku.htm ・取得 2026-09-29)【定説:同財団を名乗るサイトの記述として】。

「陽明文庫は旧公爵近衞家に長年にわたって伝襲した、大量の古文書および古典籍、ならびに若干の古美術工芸品を一括して保存管理している、特殊な歴史資料館です。」 「藤原全盛期においてその最大権力者であった道長の、しかも正にその栄華の絶頂期での自筆にかかる日記十四巻が、一千年の年月を経て直系の家に伝存し得たことは、まさに驚愕に値するといえます。」 「藤原道長(966─1027) 『御堂関白記』(国宝)自筆本十四巻・古写本十二巻・御堂御記抄五巻一幅・御堂御暦記目録一通」

★伝来の型は「直系の家に伝存」です。 「一千年」「最大権力者」「栄華の絶頂期」は所蔵者の語で、本台帳はそのまま引き、評価しません。

14巻がどの年月の分かは、文化庁の該当欄が空欄で、所蔵者のページにも無く、本台帳では書けません※2。ただし、東京国立博物館の特別展「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」(2008年)の作品リスト(https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=48 ・取得 2026-09-29)に、出品された4巻が「1巻(自筆本14巻の内)」として立ちます【定説:機関の作品リストの記載として】。

No.名称(リストの表記)時代・年代
193御堂関白記 寛弘元年上巻平安時代・長保6年(1004)
8御堂関白記 寛弘四年下巻平安時代・寛弘4年(1007)
25御堂関白記 寛弘五年下巻平安時代・寛弘5年(1008)
12御堂関白記 寛仁二年上巻平安時代・寛仁2年(1018)

★読み取れること。 ①自筆本は1年を上巻・下巻に分ける型です。②「望月の歌」の年(1018年)の上巻が自筆で現存することが、この作品リストの語で立ちます。③ただし10月16日が「上巻」に入るか「下巻」に入るかは、上下の境の月が書かれていないので分かりません(「上巻=前半」と読むのは自然ですが、リストはそう書いていません)※2。④通史⑧が東京国立博物館の解説で引いた寛弘4年8月の金峯山詣は、「寛弘四年下巻」の年に当たります。8月が下巻に入るかも、同じ理由で決められません。

★書かれた時と、いま読めるものの間#

書かれた時いま読めるもの隔たり
『御堂関白記』(本台帳)998〜1021年(日々の記録)本人の自筆本14巻(具注暦の余白・所蔵者の語)+写本12巻※2※3★同じ人の手。 ただし自筆本が「日々そのまま」か、あとで本人が整えたかを書いた機関の記述は無い(「後世の手」1)
『兵範記』(S-J020)1132〜1184年本人の自筆清書本(晩年)+転写本同じ人の生涯の中。清書のとき本人が改めたかは判定できない
『小右記』(S-J023)982〜1032年九条本「写, 平安後期」ほか目録の語で「平安後期」。年は無い

『兵範記』は所蔵機関が「自筆清書本」と明記しています。『御堂関白記』の自筆本については、日々の原本か清書かを書いた機関の記述に、本台帳は到達していません。 「自筆」だから「その日のまま」とは、この日記についても言えません。

「写本十二巻」と「古写本十二巻」#

文化庁は「写本十二巻」、所蔵者は「古写本十二巻」と書きます【定説:機関の記述・同財団を名乗るサイトの記述として】。同じ12巻を指すと読むのが自然ですが、「古」の有無は機関の語の違いとして並べます。12巻の書写年代・自筆本との関係は、どちらの記述にもありません※3。

複製と「世界の記憶」#

  • 宮内庁書陵部は「御堂関白記 (近衛家本・道長自筆)」「附:解説釈文」「コロタイプ, 昭和10年11月, 立命館大学」「点数 15」を所蔵します(https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000614480000 )【定説:機関の目録の記載として】。昭和10年(1935年)に自筆本のコロタイプ複製が出ています。公開条件は未確認です
  • 同財団を名乗るサイトは「2013年にユネスコのMemory of the World(世界記憶遺産)に登録されました。」と書きます【定説:同財団を名乗るサイトの記述として】。★文化庁・文部科学省・ユネスコの側の記述には、本台帳は到達していません(文化庁の該当ページは404)。登録の正式名称・年月日は所蔵者の語の外にあります※4

後世の手#

★本台帳は、真偽や解釈の当否を判定しません(資料室規程 第4条)。判定が割れる場所、または判定できない場所を示します。

  1. 本人の手——自筆本が日々の記録そのものか、本人があとから整えたものかを書いた機関の記述に、本台帳は到達していません。『兵範記』の「自筆清書本」のような語は、当たった機関のどこにもありません。判定しません。
  2. 写本12巻——自筆本の無い年の分を写本が補うのか、重なるのかは、機関の記述にありません※3。
  3. 附指定の2点——『御堂御記抄』(五巻、一幅)と『御堂御暦記目録』(一通)が附指定です【定説:機関の記載として】。2点が何であるか(誰がいつ作ったか)は記載にありません。本文と混ぜないでください。
  4. 校訂——『大日本古記録 御堂関白記』上・中・下(岩波書店・1952〜1954年。上・中は「東京大学史料編纂所, 陽明文庫 共編」)は、史料編纂所の説明では「相互に比較検討して本文を確定」した校訂本文です(S-J023「原本はあるか」)。自筆本の字と校訂本文の関係は、凡例に当たっていません。
  5. 偽書説・後世の加筆の指摘——当たった機関の公開面に記述はありません。無いことの確認であって、無いことの証明ではありません。

どこで読めるか#

この台帳は、原文も現代語訳も置きません。読める場所を指し示します(資料室規程 第1条)。

  • 文化庁 国指定文化財等データベース——https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/816 /文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/204129
  • 所蔵者のサイト(「公益財団法人 陽明文庫」を名乗る)——所蔵資料の紹介 https://ymbk.sakura.ne.jp/collection.htm /沿革 https://ymbk.sakura.ne.jp/enkaku.htm 。トップページに「陽明文庫デジタルアーカイブ」の入口がありますが、自筆本の画像が公開されているかは開いていません※1
  • 東京大学史料編纂所 古記録フルテキストデータベース——https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w16/search 。『大日本古記録』所収の日記を対象とし「刊本のイメージ閲覧ができます」【定説:機関の記述として】。★寛仁2年10月16日条は、この経路で当たれる型ですが、2026-09-29 の無人の取材では検索式を送ると「不正なパラメータ」で止まり、届いていません。ブラウザ経由(フォーム送信)が要ります※5
  • 『大日本古記録 御堂関白記』上(1952年)・中(1953年)・下(1954年)——寛仁2年の条は下(「内容細目 御堂関白記. 下 / 東京大学史料編纂所, 陽明文庫 編自長和4年至治安元年」・国立国会図書館永続的識別子 info:ndljp/pid/3436202・「国立国会図書館内限定公開」・https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000892100 )【定説:同館の書誌の記載として】
  • 複製——立命館大学コロタイプ(昭和10年・解説釈文つき・宮内庁書陵部 C1・10)
  • 通史⑧が引いた東京国立博物館の解説——e国宝「長徳四年紺紙金字経」 https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100448&content_part_id=0&content_pict_id=0&langId=ja&webView=

典拠にするときの注意#

★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 典拠は機関の記載、または刊本の冊・頁を直接あげてください(資料室規程 第5条)。

  1. 通史⑧が引いた「8月2日に京を発ち、11日に金峯山で供養法要を行い、14日に帰洛」は、東京国立博物館の解説が「〜によると」で引いた形です。 日記の本文ではありません。引くときは「東京国立博物館の解説によれば、『御堂関白記』に〜とある」の形にし、「『御堂関白記』にこう書いてある」と直接引かないでください。本文に当たるまでは、二次の形のままです
  2. 「望月の歌」の日に道長が何を書いたかは、この媒体はまだ読んでいません。 「道長は日記に書かなかった」とも「書いた」とも書かないでください。自筆本「寛仁二年上巻」が現存することと、10月16日条がそこにあることは別です※2
  3. 「自筆」と「その日のまま」は別です。 日々の原本か、本人が整えた本かを書いた機関の記述に届いていません。『兵範記』の「自筆清書本」の語を、この日記に流用しないでください
  4. 自筆本14巻がどの年月かは、機関の記述にありません。 「自筆で残る年」を書くときは、東京国立博物館の作品リストに立つ4巻(寛弘元年上・寛弘4年下・寛弘5年下・寛仁2年上)の範囲で、リストを添えてください
  5. 「世界の記憶」は、同財団を名乗るサイトの記述(「2013年にユネスコのMemory of the World(世界記憶遺産)に登録」)までです。 文化庁・ユネスコの語では確かめていません。サイトの帰属も未確認です(※1)。書くならその旨と URL を添えてください
  6. 「写本十二巻」(文化庁)と「古写本十二巻」(所蔵者)の語の違いを、丸めないでください
  7. 「関白」の語について。 書名の「関白記」は所蔵者の語で「歴代がその当職中に記した日記」の呼び名です。道長がいつ何の職にあったかは、本台帳は機関の記述を持っていません。書名から道長の官職を書かないでください

この台帳の未確認事項#

番号どういう種類か内容確認できたら何が変わるか
※1この記事では手が回っていない所蔵者のサイト(ymbk.sakura.ne.jp)のドメインの帰属。② 未着手——トップページに「定款」の PDF へのリンクがあり、確かめる経路になるが開いていない。「陽明文庫デジタルアーカイブ」の入口も開いていない「所蔵者の記述」を確かな形で引けるようになる。自筆本の画像が公開されているかが分かる
※2この記事では手が回っていない自筆本14巻がどの年月の分か。上巻・下巻の境の月。② 未着手(公開面に無い)——文化庁のデータベース(年代欄が空欄)・所蔵者の沿革ページ(巻数のみ)・東京国立博物館の作品リスト(出品4巻のみ)まで。次の経路:『大日本古記録 御堂関白記』上の解題(紙)/立命館大学コロタイプ複製の「解説釈文」(紙)/所蔵者の「所蔵資料の紹介」の続き寛仁2年10月16日条・寛弘4年8月の条が自筆で残るかを書けるようになる
※3この記事では手が回っていない写本12巻の書写年代と、自筆本との関係。「写本」「古写本」の語の違いの意味「いま読めるもの」の全体像を書けるようになる
※4この記事では手が回っていない「世界の記憶」登録の文化庁・文部科学省・ユネスコ側の記述。① 到達不可(この経路では)——文化庁の該当ページ https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_no_kioku/ は404。所蔵者の記述(「2013年」「Memory of the World(世界記憶遺産)」)には届いた。次の経路:文部科学省のページ(URL 未確認)/ユネスコの Memory of the World Register(英語・URL 未確認)登録の正式名称・年月日を機関の語で書けるようになる
※5この記事では手が回っていない寛仁2年10月16日条の本文(道長自身は何を書いたか)。② 未着手(経路あり)——史料編纂所 古記録フルテキストデータベースの検索画面まで。無人の取材では GET で「不正なパラメータ」となり、ブラウザのフォーム送信が要る(通史⑧が『小右記』で 2026-09-08 に通った経路)。刊本は『大日本古記録 御堂関白記』下(国立国会図書館内限定公開)「望月の歌」を、詠んだ本人の側からも書けるようになる

改訂履歴#

  • 2026-09-29 初版。席(ウタガウ)が起草(伝来・指定・所蔵者の記述)。刊本の書誌・東京国立博物館の作品リスト・所蔵者の「所蔵資料の紹介」(具注暦・世界記憶遺産)は同日の席(ホル)の取材による。逐語の出所は records/到達記録 2026-09-29 ウタガウ(日本紀略・小右記・御堂関白記・将門記の伝来).md 項目3・records/到達記録 2026-09-29 ホル(同・刊本・DB・本文).md 項目1・3・5。★席(ウタガウ)の取材は「世界の記憶」を所蔵者の沿革ページに無いとしたが、同日の席(ホル)が隣の「所蔵資料の紹介」ページで見つけた——所蔵者の語で立つ。★無人の取材で、逐語は取得したページの文字列から写したもので、画面でも画像でも人の目でもない。「読んだ本文(対照)」の節は、底本のコマまで届いていないので置かない(資料室規程 改訂 v2 第1条の2)。