資料室 / 日記(同時代の記録)

『小右記』(藤原実資の日記・一名『野府記』『実資公記』)

982年〜1032年の記事(東京大学史料編纂所の刊行一覧の〔982~1032〕による) / 2026-09-29

★ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文の翻刻も単独の現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この媒体が実際に読んだ範囲に限り、判読と下訳を「読んだ本文(対照)」の節に置くことがあります(AI の判読・専門家の校閲未了)。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。

どんな史料か#

10〜11世紀の貴族、藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記です。 校訂本『大日本古記録』を刊行する東京大学史料編纂所の刊行一覧は、こう書きます(逐語・https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kokiroku/ ・取得 2026-09-08/2026-09-29 に取り直して一致)。

「小右記 藤原実資(957‐1046)の日記 全11冊完結〔982~1032〕」

宮内庁書陵部の目録は、九条本の書名を「小右記 (寛和3年―長元5年)」、編著者を「藤原実資」、註記に「一名:実資公記、野府記」と記します【定説:機関の目録の記載として】。

項目記載
書き手藤原実資(957〜1046)【定説:機関の記述として】
記事の範囲〔982~1032〕(史料編纂所の刊行一覧・全11冊の範囲として)【定説:機関の記述として】。★書陵部の各写本の書名に付く範囲は本ごとに違う(九条本「寛和3年―長元5年」、伏見宮本「天元5年―長元5年(有欠)」)。本の違いによるか目録の書き方かは判定しない
別名野府記・実資公記(書陵部・九条本の「一名」)/小右相記(同・江戸中期写の一名)【定説:機関の目録の記載として】
分類「歴史及伝記 > 歴史 > 日本史 > 記録」(書陵部)【定説:機関の目録の記載として】

★この史料について、最初に押さえていただきたいことが2つあります。

1. 「望月の歌」は、詠んだ本人の日記ではなく、この日記にあります#

通史⑧が冒頭に置いた寛仁2年(1018年)10月16日の記事——道長が「此世乎は我世とそ思望月乃虧たる事も無と思へハ」と詠み、実資が「御歌優美也、無方酬答、満座只可誦此御歌」と応じた場面——は、東京大学史料編纂所の古記録フルテキストデータベースが持つ『大日本古記録』の翻刻の機械テキストから、検索で出た断片をつないだものです【定説:史料編纂所の翻刻として・断片】。同日条の冒頭「十六日、乙巳、今日以女御藤原威子立皇后之日也、前太政大臣第三娘、一家立三后、未曾有、」は刊本の頁を機械で読んだものです【定説:刊本の記載として・校閲未了】。隣に座った人が書き留めた形で、この歌は残っています。 道長本人の『御堂関白記』(S-J024)の同日条に何が書かれているかは、この媒体はまだ当たっていません。

2. ★その日の記事を、平安後期・鎌倉期の写本では読めません——次の節へ#

原本はあるか#

★実資の自筆本があるかどうかを書いた機関の記述に、本台帳は到達していません※1。到達したのは、宮内庁書陵部の目録の記載と、史料編纂所の刊行一覧の説明までです。★ただし、平安後期の写本と鎌倉期の写本が目録に立っています。 これは通史⑧⑨に出る日記のうち、写本としては古い層です(年は目録にありません。本人の手が残る『御堂関白記』『兵範記』とは別の型です)。

宮内庁書陵部 図書寮文庫の目録(書陵部所蔵資料目録・画像公開システム・フリーワード「小右記」136件・取得 2026-09-29)【定説:機関の目録の記載として】。主なもの:

本函架番号書名(目録の表記)刊写情報点数
九条本『小右記』九・1小右記(寛和3年―長元5年)写, 平安後期12
九条本『小記目録』九・2小記目録(年中行事・神事・仏事・臨時(有欠))一名 小右記目録写, 平安後期14
伏見宮本『野府記』伏・2野府記(天元5年―長元5年(有欠))一名 小右記写, 鎌倉期32
九条本『官奏記』九・170官奏記(万寿3年・長元2年(首欠))一名 小右記写, 鎌倉期—
柳原本 断簡柳・1308小右記 断簡(長元3年8月)写, 鎌倉期—
三条西本 抄出415・294/295野府記(抄出)写, 室町中期—
九条本(別本)九・68小右記(寛和3年―長元5年)写, 江戸初期11
久世本・鷹司本ほか259・216/350・235/255・162小右記/野府記(いずれも「有欠」)写, 文政11年/江戸末期/江戸中期25/28/31

九条本『小右記』(九・1)の目録の逐語(https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000668000000 ):

「函架番号 九 ・ 1」「分類番号 415 歴史及伝記 > 歴史 > 日本史 > 記録」「書名 小右記 (寛和3年―長元5年)」「註記等 一名:実資公記、野府記」「編著者 藤原実資」「刊写情報 写, 平安後期」「家別 九条本」「点数 12」「複製番号 閲覧用紙焼写真帳:208(9冊)」「翻刻・紹介情報 -」「解説 -」 細目(12件)の内容:「寛和3年正月―6月」「永祚元年正月―6月」「永祚元年7月―12月」「永祚2年7月―12月」「正暦4年正月―6月」「寛弘5年7月―12月」「寛弘9年4月―6月」「長和5年正月―3月」「治安元年10月―12月」「長元2年8月―9月」「長元5年11月17日―12月」「残欠(長保6年7月1日―3日・正暦3年正月16日―20日・長元5年11月7日―16日・永延2年10月29日―12月5日)」

★読み取れること。 ①目録の語で「平安後期」の写本があります(年は目録にありません。「平安後期」の根拠——奥書か紙質か——も目録にはありません※1)。②目録はすべて「写」で、自筆本かどうかは書いていません。③12冊の年月は飛び飛びで、寛仁2年(1018年)10月は細目に立っていません。 ④「翻刻・紹介情報」欄が「-」なので、『大日本古記録』がこの本を用いたかどうかも、目録からは分かりません。

伏見宮本『野府記』(伏・2・https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000628270000 )は「刊写情報 写, 鎌倉期」「点数 32」、「翻刻・紹介情報 解説:宮内庁書陵部編『図書寮典籍解題 歴史篇』(昭和25年)。」「画像 国文研」。細目32件の内容は「天元5年4月―6月」から「長元5年正月8日―12月16日」まで年月で立ち、長和2年の次が治安3年で、寛仁2年はここにも立っていません【定説:機関の目録の記載として】。

★書かれた時と、いま読めるものの間#

書かれた時いま読めるもの隔たり
『小右記』(本台帳)982〜1032年(日々の記録)九条本「写, 平安後期」(12冊・年月は飛び飛び)、伏見宮本「写, 鎌倉期」(32冊・有欠)、室町中期の抄出、江戸期の写本(有欠が多い)※1目録の語で「平安後期」。年は無い。★ただし通史⑧が引いた寛仁2年10月の条は、この2本のどちらの細目にも立っていません※2
『御堂関白記』(S-J024)998〜1021年本人の自筆本14巻+写本12巻同じ人の手
『兵範記』(S-J020)1132〜1184年本人の自筆清書本+転写本同じ人の生涯の中
『日本紀略』(S-J022)「平安時代後期/末期」の編纂年代の記載が無い写本・1860年の刊本年数で書けない

「平安後期の写本がある」と「望月の歌の条が平安後期の写本で読める」は別です。 通史⑧が引いた逐語は『大日本古記録』の校訂本文で、その底本が何かは本台帳では未確認です(次の項)。

『大日本古記録』の本文は「校訂本文」です#

史料編纂所は刊行一覧の冒頭で、こう書いています(逐語・取得 2026-09-29)【定説:機関の記述として】。

「各時代の代表的な日記を取り上げ、史料として信頼できる最良のテキストを提供しています。日記には記主の自筆原本の残っているものだけではなく、後世の写本だけで伝わるもの、他の史料に引用された逸文として伝わるものなど様々です。これらを蒐集したうえで、相互に比較検討して本文を確定しています。」

つまり『大日本古記録』の本文は、1本の写本の翻刻ではなく、複数の本を比較して確定した本文です。 『小右記』がこの3類型(自筆原本/後世の写本/逸文)のどれで伝わるかは、この一覧には書かれていません。寛仁2年の条を収める冊は、国立国会図書館サーチの書誌で『大日本古記録』「[10] 5」(岩波書店・1969年・「内容細目 小右記. 5 / 藤原実資 著自寛仁2年至寛仁4年」・国立国会図書館永続的識別子 info:ndljp/pid/12210445・「デジタル 国立国会図書館内限定公開」)と立ちます【定説:同館の書誌の記載として】。この冊の底本(凡例・解題)には届いていません※2。

後世の手#

★本台帳は、真偽や解釈の当否を判定しません(資料室規程 第4条)。判定が割れる場所、または判定できない場所を示します。

  1. 写本で伝わる文献に共通する前提——写し間違い、注記の本文への混入、脱落定説。この日記について具体的にどこで起きたかを書いた機関の記述に、本台帳は到達していません。目録の「(有欠)」「残欠」「首欠」は冊や日の欠けを示すだけで、本文の異同は読んでいません。
  2. 抄出——三条西本(室町中期)は「抄出」(抜き書き)で、全文ではありません【定説:機関の目録の記載として】。江戸期の写本は多くが「(有欠)」です。
  3. 書名の違い——目録の書名は『小右記』(九条本)と『野府記』(伏見宮本・江戸期写本の多く)に分かれます。同じ日記の別名であることは目録の「一名」欄で立ちますが、書名の違いが本文の系統の違いを映すかどうかは、目録からは決められません。
  4. 校訂——通史⑧が引いた本文は「相互に比較検討して本文を確定」した校訂本文です(上の節)。校訂は、それ自体が後世の手です。 どの本の字を採ったかは凡例に当たっていません※2。
  5. 偽書説・後世の加筆の指摘——当たった機関の公開面に記述はありません。無いことの確認であって、無いことの証明ではありません。

どこで読めるか#

この台帳は、原文も現代語訳も置きません。読める場所を指し示します(資料室規程 第1条)。

  • 宮内庁書陵部 図書寮文庫(書陵部所蔵資料目録・画像公開システム https://shoryobu.kunaicho.go.jp/ )——九条本『小右記』(九・1・12冊・写, 平安後期・閲覧用紙焼写真帳 208)/伏見宮本『野府記』(伏・2・32冊・写, 鎌倉期・画像は「国文研」からのリンク)/三条西本 抄出(415・295・画像は「東大史」からのリンク)ほか【定説:目録の記載として】
  • 東京大学史料編纂所 古記録フルテキストデータベース——https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w16/search 。同所の説明は「現在は本所で刊行中の『大日本古記録』を対象としてデータベースを作成しています」「検索結果からは、『大日本古記録』刊本のイメージ閲覧ができます」【定説:機関の記述として】。★通史⑧はこの経路で 2026-09-08 にブラウザ経由で到達しました。2026-09-29 の無人の取材では、検索式を送ると「不正なパラメータがあったため、検索できませんでした」で止まり、届いていません(フォーム送信が要る型)
  • 『大日本古記録 小右記』全11冊(東京大学史料編纂所編・岩波書店・1959〜1986年)。寛仁2年の条は第5冊(1969年)。国立国会図書館の書誌 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001224598 。デジタル化されていますが「国立国会図書館内限定公開」です【定説:同館の書誌の記載として】
  • 『図書寮典籍解題 歴史篇』(宮内庁書陵部編・昭和25年)——伏見宮本の解説として書陵部の目録が挙げます。紙媒体で、本台帳は到達していません※1

典拠にするときの注意#

★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 典拠は刊本の冊・頁、または写本の目録を直接あげてください(資料室規程 第5条)。

  1. 望月の歌の逐語は、『大日本古記録』第5冊の校訂本文を、データベースの機械テキストと刊本の頁の機械判読で読んだものです。 底本が何かは未確認です。人の目による校閲を経ていません。断片をつないだものなので、断片の間に欠けがありえます。引くときは「『大日本古記録 小右記』五(1969年)p.53」を添え、「校訂本文を機械で読んだ」と書いてください
  2. 「平安後期の写本で読める」と書かないでください。 書陵部の九条本(写, 平安後期)と伏見宮本(写, 鎌倉期)の細目に、寛仁2年10月は立っていません。「立っていない」であって「無い」ではありません——「残欠」「有欠」の中に断片が含まれる可能性を、目録は否定していません
  3. 「自筆」と書かないでください。 目録はすべて「写」で、自筆本の有無を書いた機関の記述に届いていません。『御堂関白記』(自筆本14巻)と同じ言い方をしないでください
  4. 「同時代の日記」と書けるのは、その年が実資の在世中(957〜1046年)で、記事の範囲〔982~1032〕に入る場合だけです。 さらに、いま読める本文は校訂本文であって、「その日のまま」の保証ではありません
  5. 道長の言葉(「誇たる歌になむ有る、但非宿構者」)も、道長が書いたのではなく、実資が書き留めたものです。 「道長はこう書いた」と書かないでください。道長自身の同日条は『御堂関白記』(S-J024)で、この媒体はまだ当たっていません
  6. 所蔵機関の目録では『野府記』の名でも立っています。 目録を引くときは両方の名で探してください

この台帳の未確認事項#

番号どういう種類か内容確認できたら何が変わるか
※1この記事では手が回っていない実資の自筆本の有無。「平安後期」「鎌倉期」の根拠(奥書か紙質か)と年。② 未着手——書陵部の目録(すべて「写」)と史料編纂所の刊行一覧(3類型のどれかを書かない)まで。次の経路:『図書寮典籍解題 歴史篇』(昭和25年・紙)/『大日本古記録 小右記』第1冊の解題(紙)「書かれた時と、いま読めるものの間」を確かな形で書けるようになる
※2この記事では手が回っていない寛仁2年10月16日条の底本——『大日本古記録』第5冊が何を底本にしたか。② 未着手——書陵部の2本の細目で「立っていない」ことまで。第5冊の解題・凡例は紙、デジタル版は国立国会図書館内限定公開(① この経路では到達不可)。次の経路:紙/史料編纂所データベースの書誌データ(底本が出る型かは未確認)望月の歌の条が、どの写本に拠って読まれているかを書けるようになる
※3この記事では手が回っていない書陵部の目録の細目は、無人の取材で機械的に切り出したもので、列の対応(内容の欄がどの冊のものか)を取り違えている可能性がある。 九・1 の細目12件は 2026-09-29 に別の手で取り直して一致(内容欄の順序も字も同じ・「寛仁」を含む行なし)。伏・2(32件)は未取り直しで、取り違えの可能性はこちらに残る伏・2 について「寛仁2年10月は細目に立っていない」の確かさが上がる
※4この記事では手が回っていない国文学研究資料館 国書データベースの著作詳細(別名・分類・所蔵者一覧)。① 到達不可(この経路では)——検索画面の本文が無人の取材では出ない。次の経路:ブラウザのある回書陵部以外の所蔵と写本の層を書けるようになる
—この記事では手が回っていない『大日本古記録』の第5冊以外の各冊が収める年(「小右記」の語が書誌の行に立つのは第5冊・第10冊のみ)。1992年の「小右記 n (大日本古記録)」の行が何か各冊の書誌を確かな形で引けるようになる

改訂履歴#

  • 2026-09-29 初版。席(ウタガウ)が起草(伝来・写本・目録)。刊本の書誌と底本の冊の識別は同日の席(ホル)の取材による。逐語の出所は records/到達記録 2026-09-29 ウタガウ(日本紀略・小右記・御堂関白記・将門記の伝来).md 項目2・records/到達記録 2026-09-29 ホル(同・刊本・DB・本文).md 項目1・3。望月の歌の条の本文は通史台帳 L-J008 第7-3節(2026-09-08・ブラウザ経由)のまま。★無人の取材で、逐語は取得したページの文字列から写したもので、画面でも画像でも人の目でもない。「読んだ本文(対照)」の節は、底本のコマまで届いていないので置かない(資料室規程 改訂 v2 第1条の2)。