決着していない論点 / 平安

安和の変は、誰が仕組んだのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-30

いま何が争われているか

事典は、969年の安和の変を、藤原氏が謀略によって左大臣源高明を失脚させた事件と説明する。人の名を挙げる事典もある。右大臣藤原師尹らが密告を利用した、と書く辞書があり、中心人物は師尹と藤原兼家で、同じ日に右大臣になった藤原在衡は「無関係と思われる」と書く事典がある。その事典は、真相には諸説があるとしたうえで「結局は藤原氏の陰謀と考えられる」とする。★けれども、この事件を日付とともに伝える『日本紀略』の記事と、東京大学史料編纂所の綱文にあるのは、密告と、その後の処分や人事だけで、誰が仕組んだのかは書かれていない。 綱文に書かれているのは、密告の翌日、高明を大宰権帥に落とすのと同じ人事で、右大臣藤原師尹が左大臣に、大納言藤原在衡が右大臣に繰り上がったことである。★事典が中心人物に挙げる師尹の名は、史料の上では、仕組んだ人としてではなく、その日に昇った人として出てくる

何が出てくれば決着するか

★969年の前後を書いた同じ時代の日記や文書が、新しく見つかったとき。 ★ただ、新しい発見だけを待つ問いではない。事件の2年前の967年、同じ母から生まれた兄の為平親王を越えて、弟の守平親王が皇太子に選ばれている。事典はこれを、高明の娘を妃とした為平親王が藤原氏に警戒されたため、と説明する。その選び方を誰の意向と読むかで、事件の見え方は変わる。いまある記録の読み直しでも動く問いである

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
まず、これだけ|『日本紀略』とはこの記事では手が回っていない940年と969年の『日本紀略』の本文は、東京大学史料編纂所『大日本史料』の刊本の頁を機械で読んだもの。 別の読み手2つ(機械)と突き合わせて字は一致したが、人の目による校閲を経ていない。『日本紀略』の校訂本そのものとも突き合わせていない人の目で同じ頁を読み、校訂本と突き合わせれば、逐語の確かさが上がる

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