決着していない論点 / 古墳
4世紀に、列島で何が作られていたのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-07-30
いま何が争われているか
★空白なのは中国の史書だけで、モノはむしろ増えている。 行燈山古墳「4世紀前半」242m、渋谷向山古墳「4世紀後半」約300m(天理市)、津堂城山古墳「4世紀後葉」210m(藤井寺市)。三角縁神獣鏡の既知面数は約330枚→500面以上→約600面と増え続けている。★製作地は京都国立博物館が留保し、東京国立博物館(e国宝)は「3面が中国製、1面が日本製」と断定していて、書き方が割れている
何が出てくれば決着するか
★4世紀に絞った古墳の基数が、公的な統計として出されたとき。 いまは世紀別の内訳が公表されておらず、全国古墳データベースも全数でないと自ら明記している。★「4世紀の遺跡は少ない」と書いた公的機関には、到達できなかった
この問いを扱った記事
この問いの手前に残っている未確認事項
問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。
| どの記事か | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| 3分でわかる|「謎の四世紀」 | 情報が食い違っている | 空白が明ける年を、413年とする書き方と421年とする書き方がある。同じ市の同じ連載でも、片方は「約150年」と丸め、もう片方は413年と特定している | どちらを採るかが定まれば、空白の長さが147年か155年かに決まり、倭が最初に向き合った相手が東晋か宋かも決まる |
| 通史④ 古墳時代 | 情報が食い違っている | 七支刀の銘文の日付。同じ自治体のページの中で、釈文が「五月十一日」、説明文が「正月十一日」となっており、どちらが誤記かを確かめられていない | 日付を書けるようになり、干支の日付から年代を論じた説の当否を追えるようになる |
| 通史④ 古墳時代 | 二次情報から引いている | 『宋書』倭国伝の訓読と、倭の五王の比定の研究史。訳注書と研究史の本そのものを読めていない(自治体の解説を通じて読んでいる) | 訳者がどこで語を補ったかが分かり、「史料にある」と「訳者がそう読んだ」を分けて書けるようになる |
| 通史④ 古墳時代 | 二次情報から引いている | 広開土王碑の辛卯年の一節を「戦の大義名分」と読む議論。1972年の元の論文に到達できていない(大学の公開ページでの紹介まで) | この読みをどこまで強く書けるかが決まる |
| 通史④ 古墳時代 | 情報が食い違っている | 江田船山古墳の墳丘の長さ。国の解説ページの中に約47メートルと約50メートルが併記され、町は62メートル(周溝を含めて約77メートル)とする | 墳丘の長さが確定する |
| 通史④ 古墳時代 | この記事では手が回っていない | 三ツ寺I遺跡の居館の規模・濠・石積みの数値 | 豪族の居館がどれほどの構えだったかを書けるようになる |
この問いをめぐる検討の全文
この問いに対応する史料台帳
まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。