資料室 / 金石文(石碑)

広開土王碑(好太王碑)

414年建立 / 2026-07-31

ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文も現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。

どんな史料か#

中国吉林省集安にある高句麗の石碑。 広開土王(在位391〜412年)の没後、次の王である長寿王が414年に建てたものです定説

九州国立博物館は、この碑を「広開土王(在位391-412年)の勲績を後世に示すため建てられた広開土王碑」と説明しています【定説:記述の事実として】。 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部のページ(早乙女雅博)は、碑文中の「甲寅…立碑」から414年の建立とし、 碑の位置づけをこう書いています【定説:記述の事実として】。

「この時代を記した歴史書は、日本では8世紀につくられた『日本書紀』、朝鮮では12世紀につくられた『三国史記』や13世紀につくられた『三国遺事』があるが、いずれも後代の史料である。同時代史料としての石碑は歴史史料として1等級の価値がある。

★ここが、この史料が特別である理由です。

4世紀末から5世紀初めの倭について、後代の編纂物ではなく、その時代に立てられた文字がある。 『晋書』(S-J011)は7世紀、『三国史記』(S-J013)は12世紀、『日本書紀』(S-J001)は8世紀の編纂物です。 この碑だけが、出来事とほぼ同時代に立っています。

★ただし、この史料には、留保が最初から付いています#

★同時代であることと、書いてあることが事実であることは、別です。

碑文は、王の勲績を後世に示すために建てられたものです定説顕彰碑であることは、機関の説明そのものに書かれています。

そして、辛卯年条(391年)については、日本側・韓国側で読みが割れています論争中※1

誰が何と書いているか
東京大学(早乙女雅博)「『倭が海を渡って百済を破り□に新羅を□し、臣民とした』のは、戦の大義名分にあたり、必ずしも事実かどうかはわからないのである」
日韓歴史共同研究委員会(第1期)第1分科・韓国側(金泰植)「永楽6年条の前置文である辛卯年記事は、全て虚構として作られた文章であり」

★「わからない」と「虚構である」は、同じではありません。

そして、両者が引く釈文が、一字違います。論争中※1

  • 早乙女雅博(東京大学):「百残新羅舊是屬民、由來朝貢、而倭以辛卯年來、渡海破百残□□新羅、以爲臣民」
  • 金泰植(日韓歴史共同研究):「而倭以辛卯年來渡□破百殘□□新羅以爲臣民」

★早乙女が「海」と読む位置が、金泰植の釈文では欠字(□)になっています。

本台帳は、ここから何も導きません。 二つの機関の釈文が、この一字で違っている、という事実だけを記録します(資料室規程 第4条)。 ここに挙げたのは割れている位置を指し示すための字句であって、本文の翻刻でも訳文でもありません(資料室規程 第1条)。

★この史料は、現代の国家間の主張に最も接続しやすい場所です#

歴史PRESS運営憲章 第1条・第5条に基づき、本台帳はここで判定しません。

辛卯年条の読みは、日本と朝鮮半島の関係史をめぐる現代の主張に、そのまま接続します。 だからこそ、両論を並べたまま置きます。

★「どちらが正しいか」は、この台帳の職掌ではありません。 両方が何と書いているかを、逐語で読者に渡すのが職掌です。

原本はあるか#

★碑そのものは、現地に立っています。ここは他の史料と決定的に違います。

『晋書』も『三国史記』も、いま読めるのは後世の刊本です。 この碑は、414年に立てられたものが、そのまま残っています定説

★しかし、ほとんどの研究者が読んでいるのは、碑ではなく拓本です。 そして、その拓本に、最大の問題があります。

★日本国内の主要な所蔵機関は、そろって自館の拓本を「石灰拓本」と明記しています。【定説:記述の事実として】

機関何と書いているか
九州国立博物館(収蔵品 P15015)「石灰を充填して碑面よりもやや高く突出させた状態で採拓した痕跡が一部に見られることから、石灰拓本であることが明らかである
お茶の水女子大学附属図書館本学所蔵の拓本は、典型的な『石灰拓本』です
学習院大学東洋文化研究所両本とも石灰拓本であることは一目瞭然
東京大学(早乙女雅博)「1900年ころより石灰を塗って拓本をとり、その石灰は現在まで碑に名残を留めている」

★石灰拓本とは何か。碑面に石灰を塗り、その上から拓本を採ったものです。

つまり読者が「碑文」として見ている字は、石灰の面から採られた字です。 碑の石そのものから直接採られた字ではありません。

九州国立博物館は自館の拓本の採拓時期を「1920年頃~1938年頃」、 お茶の水女子大学は「1927年頃」と推定しており有力説、 学習院大学は武田幸男の型式分類として、乙本を「1895年(明治28)前後~」、甲本を「1903年(明治36)ごろ~1912年頃の間の拓出」に相当すると紹介しています有力説※2

★414年に立った碑の、いま読まれている字は、19世紀末から20世紀前半にかけて、石灰の上から採られたものです。 そのあいだに、およそ1500年あります。

そして石灰は、碑面の欠けを埋めるために塗られています。 埋めた者が、どの字を埋めたのかは、埋めた面の上からは見えません。 ★釈文が機関ごとに一字違うことと、この事情は、切り離せません有力説※1

後世の手#

1. 石灰が、後世の手そのものである。

上に書いたとおりです。この史料における「後世の加筆」は、比喩ではありません。 物理的に、後世の物質が碑面に足されています定説

2. 改竄をめぐる議論がある。

碑文の字の一部が意図的に改められたのではないか、という議論が提起されてきました論争中※3★本台帳は、この議論の当否を判定しません。 そして本台帳は、この議論の内容・提唱者・経緯に、まだ到達できていません※3到達していないものを、要約しません(憲章第3条)。

3. 顕彰碑である。

碑は、王の勲績を示すために立てられました定説倭が強く書かれているほど、それを破った王の功が大きくなるという構造が、 早乙女の「戦の大義名分にあたり」という表現の指すところです有力説

★「同時代史料だから信用できる」は、この史料には効きません。 同時代であることは伝来の問題を解決しますが、書き手の動機の問題は解決しません。

4. 欠字がある。

釈文には□(欠字)が含まれます定説欠字をどう埋めるかは、埋める人の解釈です。 埋めた結果を「碑にこう書いてある」と言うと、解釈が記述にすり替わります。

どこで読めるか#

  • 九州国立博物館 収蔵品ギャラリー「広開土王碑拓本」(P15015)

https://collection.kyuhaku.jp/gallery/34788.html /文化遺産オンライン https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/578666

  • お茶の水女子大学附属図書館 デジタルアーカイブズ「広開土王碑拓本」

https://www.lib.ocha.ac.jp/archives/shiryo_takuhon.html

  • 学習院大学東洋文化研究所「東アジア学バーチャルミュージアム/広開土王碑拓本」

https://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c01_zenkindai/c0101_koukaido.html

  • 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部「ひらけ!ゴマ!! 早乙女雅博先生の巻」(2013年6月)

https://www.l.u-tokyo.ac.jp/digitalarchive/collection/saotome_masahiro.html

  • 日韓歴史共同研究委員会(第1期)第1分科(古代)報告書(公益財団法人日韓文化交流基金)

金泰植「4世紀の韓日関係史-広開土王陵碑文の倭軍問題を中心に-」 https://www.jkcf.or.jp/cms/wp-content/uploads/2019/11/1-02j.pdf ※4

★どの機関の拓本を見ているかを、必ず確かめてください。 拓本ごとに採拓の年代が違い、石灰の状態が違います。 「広開土王碑にこう書いてある」は、実際には「どの拓本にこう写っている」です。

本台帳は、釈文も訳文も転載しません。 釈文と訳注には、それを作った人の権利があります。

典拠にするときの注意#

★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 実際に参照した釈文・拓本・研究を直接あげてください。

  1. 辛卯年条は、両論を並べる。判定しない。 東京大学は「必ずしも事実かどうかはわからない」、日韓歴史共同研究の韓国側は「全て虚構として作られた文章」と書いている。 ★この論点は現代の国家間の主張に接続する。片方だけを引くことは、本媒体では行わない(憲章第1条・第5条)
  2. 釈文を引くなら、誰の釈文かを必ず書く。 「渡海」と「渡□」で割れている。釈文名を書かずに引用すると、割れていることが消える
  3. 同時代史料であることを、内容の信頼性の根拠にしない。 伝来の問題と、書き手の動機の問題は別である
  4. 拓本は石灰拓本である。 「碑文にこう書いてある」と言うとき、その字は石灰の面から採られている
  5. 欠字を埋めた読みを、碑の記述として引かない。 埋めたのは読む側である

この台帳の未確認事項#

番号どういう種類か内容確認できたら何が変わるか
※1情報が食い違っている辛卯年条の釈文が、東京大学(早乙女雅博)と日韓歴史共同研究(金泰植)で一字違う(「渡海」/「渡□」)。どちらの釈文がどの拓本に基づくかを確認できていない釈文の割れが、拓本の違いから来るのか、読み方の違いから来るのかが決まる。 この史料でいちばん効く未確認事項である
※2二次情報から引いている拓本の採拓年代(1895年前後/1903〜1912年/1920〜1938年/1927年頃)は各機関の推定であり、推定の根拠と武田幸男の型式分類そのものに当たっていない「いま読まれている字が、いつ石灰の上から採られたか」を、根拠まで含めて書けるようになる
※3この記事では手が回っていない碑文の改竄をめぐる議論の内容・提唱者・その後の検証経過に到達していない「後世の手」の欄が、議論の所在まで書けるようになる。 現状は「議論がある」までしか書けていない
※4二次情報から引いている金泰植の釈文と「全て虚構として作られた文章」の逐語を、報告書PDFから直接確認できていない(DEBATE-J007 の記録を経由している)逐語の引用元を、自分で開いた頁として示せるようになる
この記事では手が回っていない碑の現地(中国吉林省集安)の保存状況、中国側・韓国側の機関による釈文と解説釈文の割れの全体像に関わるが、本台帳の範囲を超える