決着していない論点 / 古墳

中国の史書から倭が消えた約150年は、なぜ空白なのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-07-30

いま何が争われているか

まず、区間そのものが「4世紀」とずれている。 『三国志』倭人条で紀年が明示された最後は正始8年(247年)で、266年(泰始2年)は『晋書』の記事である。明ける年も、『晋書』安帝本紀 義熙9年(413)とする書き方と『宋書』倭国伝 永初2年(421)とする書き方に割れる。★そして同じ『晋書』のなかで、百済は372・384・386年に現れる。「途切れ」は周辺国に共通する現象ではない

何が出てくれば決着するか

倭の記事が落ちた理由を、編纂の事情から説明した研究が出たとき。 ★いまは「中国が分裂していたから」も成り立たない——分裂していた同じ時期に、百済は載っている。 言えるのは「倭の側の事情とは限らない」という否定形までである

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
「謎の四世紀」は、4世紀ではない二次情報から引いている266年(泰始2年)の記事が『晋書』のどの巻にあるかを、石井正敏の論文を経由して引いている。校訂本での確認ができていない巻と葉まで示して引けるようになり、読者が同じ場所を自分で開けるようになる
「謎の四世紀」は、4世紀ではない情報が食い違っている東晋が建てられた年を、317年と書く記述と318年と書く記述がある。どちらが正しいかを確かめられていない4世紀の中国側の年表を、一本の線として書けるようになる
「謎の四世紀」は、4世紀ではないこの記事では手が回っていない『三国史記』の4世紀の記事の年次をどこまで額面どおり受け取れるかについて、専門の論考に当たれていない312年から399年までの記事を、どこまで使えるか年ごとに書き分けられるようになる
3分でわかる|「謎の四世紀」情報が食い違っている空白が明ける年を、413年とする書き方と421年とする書き方がある。同じ市の同じ連載でも、片方は「約150年」と丸め、もう片方は413年と特定しているどちらを採るかが定まれば、空白の長さが147年か155年かに決まり、倭が最初に向き合った相手が東晋か宋かも決まる

この問いをめぐる検討の全文

この問いに対応する史料台帳