資料室 / 中国の正史(外国伝)

『三国志』魏書 東夷伝 倭人条(魏志倭人伝)

西晋の時代の編纂(陳寿撰) / 2026-07-30

★ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文の翻刻も単独の現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この媒体が実際に読んだ範囲に限り、判読と下訳を「読んだ本文(対照)」の節に置くことがあります(AI の判読・専門家の校閲未了)。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。

どんな史料か#

魏・呉・蜀の歴史を記した中国の正史。西晋の陳寿が撰したものとして伝わります定説。 現在ひろく使われている校訂本には、南朝宋の裴松之の注が付きます定説。

巻30「魏書」の東夷伝のなかに倭人の項があり、「魏志倭人伝」と通称されます。 国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、 中華書局『三国志』第2冊(1959年)p.854 という所在が記録されています※1。

★この史料の位置は、同時代性の高さです。

3世紀の倭について、3世紀末に編まれた記録である——という点で、 『後漢書』(5世紀の編纂)より出来事に近いところにあります有力説。

そして、この史料は長い。 『漢書』地理志の倭人記事が1文であるのに対し、 こちらは行程、風俗、官の名、人口の数字まで書かれています。

★長いことは、確かさとは別のことです。

書かれている量が増えると、読者は「詳しく分かっている」と感じます。 しかし詳しいのは記録であって、記録が正しいかどうかは、記録の量では決まりません。

原本はあるか#

★ありません。そして、ここがこの史料でいちばん具体的に分かっている部分です。

陳寿が撰した時点の原本は現存しません定説。

国立国会図書館のレファレンス事例には、現存する古い刊本について次の記録があります有力説※2。

  • 紹興本:南宋の紹興年間(1131〜1162年)の刊本。 宮内庁書陵部、台湾の国家図書館、国立故宮博物院図書館が所蔵
  • 紹熙本:南宋の紹熙年間(1190〜1194年)の刊本。宮内庁書陵部が所蔵

さらに、広く使われている影印本(百衲本)について、 「紹熙刊本の欠けている魏志3巻を、紹興刊本で補った」という趣旨の記載があることも 記録されています※3。

★ここを声に出して読んでください。

書かれたのは3世紀末。いま手に取れるいちばん古い本は、12世紀の刊本です。 そのあいだに、およそ900年あります。

そして魏志の一部は、別の版から補われています。 倭人条がその補われた3巻に含まれるかどうかは、本台帳では確認できていません※3。

「魏志倭人伝にこう書いてある」と言うとき、その「書いてある」は、 900年ぶんの写しと刊行を通ってきた文字列のことです。

後世の手#

1. 注が本文と同じくらい引かれる。

裴松之の注は、失われた別の書物を引く形で情報を伝えています有力説。 注に書いてあることを「魏志倭人伝に書いてある」と言うと、 5世紀の引用が3世紀の記録に見えます。

2. 数字は、記録された数字である。

戸数や距離が書かれています。それらが何を数えた値なのか、 誰が測った値なのかは、この史料には書かれていません。

★弥生時代の人口や範囲を論じるとき、この数字を持ち出すことがあります。 そのときに持ち出しているのは、3世紀の中国側の記録に載った値であって、 発掘から数えた値ではありません。 2つは別の系統です。

3. 場所の比定は、史料の記述ではない。

地名がどこにあたるかの議論は、この史料の外にあります。 比定と記述を混ぜると、「魏志にこう書いてある」が「だからここだ」にすり替わります。

どこで読めるか#

  • 中華書局の校訂本(陳寿撰・裴松之注)に該当箇所があります。 国立国会図書館のレファレンス事例が、第2冊 p.854(巻30 魏書 東夷 倭)と所在を記録しています
  • 漢籍の全文データベースが公開されており、該当箇所を検索できます※4
  • 日本語の訳注つきの書物が複数あります (岩波文庫の『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』、 講談社学術文庫の『倭国伝』、平凡社東洋文庫の『東アジア民族史』、 雄山閣の『評釈魏志倭人伝』など)。本台帳はそれらを転載しません
  • 影印本(百衲本二十四史)が刊行されています※3

★訓読が異なると、意味が変わる箇所があります。 同じ原文から違う読みが出るため、 訳文だけを見て「原文にこう書いてある」と言えません。

典拠にするときの注意#

★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 実際に参照した校訂本と研究を直接あげてください。

  1. 本文と裴松之注を分ける。 引くときに、どちらかを書く
  2. 記載された数字を、発掘から数えた値と同じ表に並べない。 並べるなら、系統が違うことを書く
  3. いま読んでいる本文は、南宋の刊本を経ている。 同時代性が高いのは記事の内容であって、本文の伝来ではない
  4. 地名の比定は史料の記述ではない。 比定であることを必ず書く

★追記 2026-08-17:本文が名を挙げる国の一覧(2つの証本で照合・担当:ウタガウ/機関の比定:ホル)#

下調べの申告(研究室規程 第8章):★本文は発行人が取得代行した2つのHTML(取得:発行人/Claude Code 経由・照合:実行層・2026-08-17)に依る。 ①中國哲學書電子化計劃『三國志』魏書三十 倭人傳(電子圖書館底本:《武英殿二十四史》本《三國志》と頁に明記)②ja.wikisource「魏志倭人伝」(頁の記載は「出典:三国志魏書巻三十東夷伝(国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/899855/1/59)」。★その資料がどの版本かは、頁からは分からない)。いずれも全文を取得し、「倭人在帶方東南大海之中」〜「自郡至女王國萬二千餘里」を照合した。 ★実行層が同日に直接開こうとした同じURLは 403/取得不可だった(経路の記録は日誌)。

1. 本文が名を挙げる国——延べ30、別の名は29#

「今使譯所通三十國」と本文は自分で書く【定説:字の確認そのもの】。名を挙げる国を、書かれた順に数える。

区分国名(武英殿本系の字)数本文が添えるもの
行程の国對海國・一大國・末盧國・伊都國・奴國・不彌國・投馬國・邪馬壹國8方角・里数または日数・官名・戸数(「戶」6国・「家」2国)★狗邪韓國は「其北岸」と書かれ、倭の国の列には入れない
旁国(「其餘旁國遠絶,不可得詳。次有〜」)斯馬・已百支・伊邪・都支・彌奴・好古都・不呼・姐奴・對蘇・蘇奴・呼邑・華奴蘇奴・鬼・為吾・鬼奴・邪馬・躬臣・巴利・支惟・烏奴・奴21名前だけ。方角も里数も戸数も官名も無い。列の末尾に「此女王境界所盡」
女王に属さない国狗奴國(「其南有狗奴國,男子為王,其官有狗古智卑狗,不屬女王」)1方角(南)・官名。里数・戸数は無い
延べ30★「三十國」と一致する

★★ただし「奴國」は行程の6番目と旁国の末尾に2回出る。 別の名で数えれば 29。★2つの奴國が同じ国か別の国かは、本文からは決まらない。判定しない論争中。★そして「三十國」の数え方——狗奴國(不屬女王)を入れて30なのか、奴國を2つ数えて30なのか——も本文は書いていない。延べ30と一致する、という事実だけを記す。

2. 証本のあいだで字が違う(3か所)#

武英殿本系(ctext)wikisource(NDL 由来・版本不明)DEBATE-J008 で確認済みの現代語訳(平野邦雄)
對海國對馬國対馬国
末盧國末廬國—
為吾國爲吾國—
邪馬壹國邪馬壹國邪馬台国(校訂)

★對海/對馬は、DEBATE-J008 が「原文=對海、現代語訳=対馬」と整理した箇所である。本日、對馬と書く証本が1つ現れた。 ★wikisource の底本が分からないので、これが版本の異同なのか転写なのかは決められない。 ★決めるには NDL デジタルコレクション pid 899855 の書誌(何の版本か)に当たる必要がある(未達・下記)。壹は2証本とも壹【定説:字の確認】。

3. 機関の比定——集められた範囲(ホル)#

国誰が何と(逐語)出典
伊都國糸島市三雲・井原遺跡は「中国の歴史書『魏志』倭人伝に記される「伊都国」の中心的拠点集落=王都に位置付けられます」/「『魏志倭人伝』には「(伊都国は)郡使の往来常に駐まる所なり」と記述」(国史跡指定 2017-10-13 官報告示)https://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/170/20171129102855.html
奴國福岡市比恵遺跡群は「『魏志倭人伝』に記された「奴国」の一大拠点であったことが明らかになってきました」https://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/excavation_news/detail/17
不彌國吉野ヶ里歴史公園「福岡県糟屋郡宇美町付近と考えられている不弥国」(DEBATE-J008 で逐語確認済み)DEBATE-J008
(全体)弥生ミュージアム(吉野ヶ里歴史公園・平野邦雄注)「何れのばあいも地名比定は不確定である」(L-J003 で逐語確認済み)L-J003
旁国21国—★機関の比定に1件も到達していない(型C に近いが、探し切っていないので型A)—
狗奴國—★同上・未達—

★言えることは3つ。①機関の比定は「位置付けられます」「明らかになってきました」「考えられている」と、すべて留保の語尾で書かれている②同じサイトの注が、比定は不確定だと明記している③旁国21国について、機関の比定は本日1件も集められなかった——「名前だけの国」は、機関の側でも名前だけである可能性があるが、探し切っていないので「無い」とは書かない。

★到達できなかったもの(2026-08-17)#

何を試した経路状態
NDL デジタルコレクション pid 899855 の書誌(wikisource の底本が何の版本か)未着手(取得代行の対象外だった)未達
壱岐市立一支国博物館の一支國についての記述http://www.iki-haku.jp/harunotsuji/harunotsuji-1.html → robots.txt の取得がタイムアウト未達
唐津市の末盧國についての記述末盧館の頁(https://www.city.karatsu.lg.jp/page/1223.html)は施設案内のみで比定の文言なし記述なし(頁は開けた)
対馬市の對海/對馬國についての記述未着手未達
旁国21国・狗奴國の機関の比定未着手(上位の国で経路が塞がったため)未達

この台帳の未確認事項#

番号型内容確認できたら何が変わるか
※1A(孫引き)中華書局本 p.854 の該当箇所そのものに当たっていない。国立国会図書館のレファレンス事例に記録された所在を経由している本文の字句を自分で確かめた上で書けるようになる
※2A(孫引き)紹興本・紹熙本の年代と所蔵は、レファレンス事例の記述による。所蔵機関の目録で直接確認していない「いま読める最古の本」の所在を、一次の目録で示せるようになる
※3B(齟齬)百衲本で紹興本から補われた魏志3巻に、倭人条が含まれるかどうかを確認できていないいま読んでいる倭人条の本文が、どちらの版に由来するかが決まる。 この史料でいちばん効く未確認事項である
※4B(齟齬)漢籍の全文データベースの公開範囲と利用条件を個別に確認していない読者への案内が正確になる
※5A(孫引き)wikisource「魏志倭人伝」の底本(NDL pid 899855)が何の版本かを確認していない。★對海/對馬・末盧/末廬の異同が版本の差か転写かは、これが決まるまで判定できない追記2の表の異同を「版本の異同」と書けるかどうかが決まる
—D(範囲外)陳寿の編纂方針、裴松之注の全体像、東夷伝の構成倭人条の読み方に影響しうるが、本台帳の範囲を超える