決着していない論点 / 平安

貞観津波は、どこまで来たのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-16

いま何が争われているか

★産業技術総合研究所は「宮城県から福島県の海岸付近の平野に広く津波堆積物が分布する」と書き、距離を書かない。 数値シミュレーションの論文(行谷ほか2010)は「当時の海岸線から3km以上内陸まで(石巻)」「当時の海岸線から4km(仙台)」「現在の海岸線から1.5km程度内陸まで(請戸)」と書く。★基準の海岸線が「当時」と「現在」で混ざっており、当時の海岸線は現在より1〜1.5km内陸と推定されている。 ★歴史書の「溺死者千人」は書物の数であり、検証されていない

何が出てくれば決着するか

★「いまの海岸から何キロ」に揃えて書き直された値が出たとき。 ★そして、砂が来た場所に当時人が住んでいたかどうかは別の問いである——集落の跡と津波堆積物が同じ地点で重なって出たときに、はじめて「人が被った」と書ける。★産総研は「津波堆積物の分布域は実際の津波浸水域より小さいはず」と書いている

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない応天門の変の『日本三代実録』の本文。 読めたのは貞観8年9月22日条の抄(編纂所が抜き書きした1条)のみ。閏3月10日条・8月の諸条は当たっていない(経路はある:国立国会図書館デジタルコレクションの『国史大系』第4巻)。承和の変の『続日本後紀』の本文も当たっていない「歴史書にこう書かれている」と、当時の文で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている784年11月11日・794年10月22日という遷都の日付の典拠。機関が典拠を示していない日付を、出典の史料を添えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている長岡京の南北(5.3km/5.2km)。隣り合う2自治体で違い、計測の基準が書かれていない都の大きさを1つの数字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている長岡京を捨てた理由(洪水・怨霊)の典拠。 機関が典拠を示していない。洪水の発掘での痕跡を書いた記述にも届いていない理由の2つを、性質ごとに分けて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない平安宮の大極殿・朝堂院跡の発掘と、応天門の位置。 奈良文化財研究所の総覧と京都市埋蔵文化財研究所のページを開けなかった(応答が429)。応天門がどこにどう建っていたかを書いた機関の記述にも当たっていない平安宮がどう掘られたか、門がどこにあったかを書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている胆沢城の一辺(約670m/675m)。同じ市の2ページ城の大きさを1つの数字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない胆沢城から出た漆紙文書(暦・兵士についての文書)の中身北の城で人が何をしていたかを、文字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない「38年戦争」という呼び名の、学問の世界での位置。盛岡市の用語として確認したのみ呼び名を、機関の語として使えるかどうかが決まる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない列島の外で書かれた9世紀の史料(唐・新羅・渤海の側)東アジアの中の位置を書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない薬子の変(810年)・摂政の始まり(866年)・阿衡の紛議(887年ごろ)。 綱文にも当たっていない。摂政の始まりは『日本三代実録』の条が別の論文で特定されており、本文は未着手9世紀の政治の流れを、綱文で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている貞観津波の「溺死者千人」は論文が歴史書から引いた数。歴史書の条文に当たっていない書物の数として、出典の条を添えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている津波の砂の内陸への到達距離。 産総研は距離を書かず、論文は「当時の海岸線から3km以上/4km」「現在の海岸線から1.5km程度」と、基準の海岸線が当時と現在で混ざる距離を、いまの海岸からの値に揃えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている海底堆積物の気温の研究(川幡2017)は大学の紹介ページまで。原論文の数値に当たっていない820年ごろの「最高気温」を、原論文の値で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない右京の農村化を示す発掘の記述。 京都市の概説の1文まで「畑になった」を、掘った結果で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない9世紀後半の火災・疫病の個々の年と規模。京都市の概説の1文まで都の側の暮らしを、年で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない9世紀の人口の推計、家の形、食べたもの「どう暮らしたか」に近づける
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない『日本後紀』の現存10巻がどの巻か。 国立公文書館のページに巻番号は無い。図書館の回答記録が事典を引いて巻番号を挙げるが、機関の一次記述ではないので、この記事は書かないどの年の記事が失われたかを書けるようになる。新しい発見を待つ話ではない
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている「藤原時平らの謀略で」(道真左遷)は国立公文書館の解説の言葉。編纂所の綱文には「謀略」に当たる語は無く、その本文には当たっていない左遷の経緯を「〜と書かれています」の形で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない894年の遣唐使の件。 公的機関・大学の記述に到達できなかった「停止」か「廃止」か、何の史料によるかを書けるようになる

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。