決着していない論点 / 平安

9世紀の気候は、何と呼ぶべきか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-16

いま何が争われているか

★★2つの機関の研究が、別の言葉で呼んでいる。 年輪セルロース酸素同位体比(国立歴史民俗博物館研究報告・2022)は「数十年周期の顕著な気候変動が6世紀と9世紀に認められ」と9世紀を名指しし、海底堆積物のアルケノン(東京大学大気海洋研究所・2017)は「平安初期(西暦820年)の嵯峨天皇の頃に最高気温(25.9℃)」と書く。★前者は夏の降水量の振れ幅、後者は気温。測っているものが違う

何が出てくれば決着するか

★同じ地域について、雨と温度の両方が同じ時間の目盛りで復元されたとき。 ★それまでは2つは2つのまま並べる。「暖かく、しかし雨が不安定」と1文にした瞬間、どちらの研究も書いていないことを書くことになる。 ★年輪の研究自身が社会との対応を「見かけの関係性」と呼び、「可能性がある」で書いている

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない応天門の変の『日本三代実録』の本文。 読めたのは貞観8年9月22日条の抄(編纂所が抜き書きした1条)のみ。閏3月10日条・8月の諸条は当たっていない(経路はある:国立国会図書館デジタルコレクションの『国史大系』第4巻)。承和の変の『続日本後紀』の本文も当たっていない「歴史書にこう書かれている」と、当時の文で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている784年11月11日・794年10月22日という遷都の日付の典拠。機関が典拠を示していない日付を、出典の史料を添えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている長岡京の南北(5.3km/5.2km)。隣り合う2自治体で違い、計測の基準が書かれていない都の大きさを1つの数字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている長岡京を捨てた理由(洪水・怨霊)の典拠。 機関が典拠を示していない。洪水の発掘での痕跡を書いた記述にも届いていない理由の2つを、性質ごとに分けて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない平安宮の大極殿・朝堂院跡の発掘と、応天門の位置。 奈良文化財研究所の総覧と京都市埋蔵文化財研究所のページを開けなかった(応答が429)。応天門がどこにどう建っていたかを書いた機関の記述にも当たっていない平安宮がどう掘られたか、門がどこにあったかを書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている胆沢城の一辺(約670m/675m)。同じ市の2ページ城の大きさを1つの数字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない胆沢城から出た漆紙文書(暦・兵士についての文書)の中身北の城で人が何をしていたかを、文字で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない「38年戦争」という呼び名の、学問の世界での位置。盛岡市の用語として確認したのみ呼び名を、機関の語として使えるかどうかが決まる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない列島の外で書かれた9世紀の史料(唐・新羅・渤海の側)東アジアの中の位置を書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない薬子の変(810年)・摂政の始まり(866年)・阿衡の紛議(887年ごろ)。 綱文にも当たっていない。摂政の始まりは『日本三代実録』の条が別の論文で特定されており、本文は未着手9世紀の政治の流れを、綱文で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている貞観津波の「溺死者千人」は論文が歴史書から引いた数。歴史書の条文に当たっていない書物の数として、出典の条を添えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期情報が食い違っている津波の砂の内陸への到達距離。 産総研は距離を書かず、論文は「当時の海岸線から3km以上/4km」「現在の海岸線から1.5km程度」と、基準の海岸線が当時と現在で混ざる距離を、いまの海岸からの値に揃えて書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている海底堆積物の気温の研究(川幡2017)は大学の紹介ページまで。原論文の数値に当たっていない820年ごろの「最高気温」を、原論文の値で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない右京の農村化を示す発掘の記述。 京都市の概説の1文まで「畑になった」を、掘った結果で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない9世紀後半の火災・疫病の個々の年と規模。京都市の概説の1文まで都の側の暮らしを、年で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない9世紀の人口の推計、家の形、食べたもの「どう暮らしたか」に近づける
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない『日本後紀』の現存10巻がどの巻か。 国立公文書館のページに巻番号は無い。図書館の回答記録が事典を引いて巻番号を挙げるが、機関の一次記述ではないので、この記事は書かないどの年の記事が失われたかを書けるようになる。新しい発見を待つ話ではない
通史⑦ 平安時代 前期二次情報から引いている「藤原時平らの謀略で」(道真左遷)は国立公文書館の解説の言葉。編纂所の綱文には「謀略」に当たる語は無く、その本文には当たっていない左遷の経緯を「〜と書かれています」の形で書けるようになる
通史⑦ 平安時代 前期この記事では手が回っていない894年の遣唐使の件。 公的機関・大学の記述に到達できなかった「停止」か「廃止」か、何の史料によるかを書けるようになる
3分でわかる|奈良時代の気候は、この記事では手が回っていない8世紀の各年の復元値そのもの(研究の図の数値データ)「連続している」「大きな荒れが挙がっていない」を、値で示せるようになる
3分でわかる|奈良時代の気候は、二次情報から引いている気温の復元が「800年以降」という対象期間。もとの海外研究の原文では確かめていない「奈良時代はほぼ入らない」の端の年が正確になる

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。