決着していない論点 / 平安
平安前期の政変は、書物の外から確かめられるのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-16
いま何が争われているか
★842年の承和の変・866年の応天門の変は、都道府県・市の自治体史(資料編)と、田島公編『日本、中国・朝鮮対外交流年表(稿):大宝元年〜文治元年』増補改訂版(2012)が『続日本後紀』『日本三代実録』から編んだ綱文(出来事の概要)に到達した(2026-09-08・東京大学史料編纂所のデータベース経由。書目の帰属は 2026-09-16 に条ごとに取り直した)。応天門の変は「閏3月に焼け、9月に大納言が伊豆へ配流、871年に門の名を改めるかを議し、875年に没収した田を道橋の修理に充てた」まで、10年分の後始末が並ぶ。★ただし、これらはすべて歴史書の記述であり、書物の外(同時代の文字資料・物)から確かめられたものは、依然として無い。810年の薬子の変・866年の摂政の始まり・887年ごろの出来事には、綱文にも届いていない
何が出てくれば決着するか
★事件に対応する同時代の文字資料(木簡・墨書・金石文)が出れば動く。 ★そして『日本三代実録』の該当条の本文そのものに当たること——それは新しい発見を待つ話ではなく、こちらの読む作業である。★2026-09-16:貞観8年9月22日条は、史料編纂所のデータベース(九世紀編年史料)の本文欄で抄に届いた(全文ではない)。閏3月10日条・8月の諸条は未着手(経路:国立国会図書館デジタルコレクション『国史大系 第4巻』pid 991094・ログインなしで閲覧可)
この問いを扱った記事
この記事が行き着く問い
この問いの手前に残っている未確認事項
問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。
| どの記事か | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 応天門の変の『日本三代実録』の本文。 読めたのは貞観8年9月22日条の抄(編纂所が抜き書きした1条)のみ。閏3月10日条・8月の諸条は当たっていない(経路はある:国立国会図書館デジタルコレクションの『国史大系』第4巻)。承和の変の『続日本後紀』の本文も当たっていない | 「歴史書にこう書かれている」と、当時の文で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 784年11月11日・794年10月22日という遷都の日付の典拠。機関が典拠を示していない | 日付を、出典の史料を添えて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 情報が食い違っている | 長岡京の南北(5.3km/5.2km)。隣り合う2自治体で違い、計測の基準が書かれていない | 都の大きさを1つの数字で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 長岡京を捨てた理由(洪水・怨霊)の典拠。 機関が典拠を示していない。洪水の発掘での痕跡を書いた記述にも届いていない | 理由の2つを、性質ごとに分けて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 平安宮の大極殿・朝堂院跡の発掘と、応天門の位置。 奈良文化財研究所の総覧と京都市埋蔵文化財研究所のページを開けなかった(応答が429)。応天門がどこにどう建っていたかを書いた機関の記述にも当たっていない | 平安宮がどう掘られたか、門がどこにあったかを書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 情報が食い違っている | 胆沢城の一辺(約670m/675m)。同じ市の2ページ | 城の大きさを1つの数字で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 胆沢城から出た漆紙文書(暦・兵士についての文書)の中身 | 北の城で人が何をしていたかを、文字で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 「38年戦争」という呼び名の、学問の世界での位置。盛岡市の用語として確認したのみ | 呼び名を、機関の語として使えるかどうかが決まる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 列島の外で書かれた9世紀の史料(唐・新羅・渤海の側) | 東アジアの中の位置を書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 薬子の変(810年)・摂政の始まり(866年)・阿衡の紛議(887年ごろ)。 綱文にも当たっていない。摂政の始まりは『日本三代実録』の条が別の論文で特定されており、本文は未着手 | 9世紀の政治の流れを、綱文で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 貞観津波の「溺死者千人」は論文が歴史書から引いた数。歴史書の条文に当たっていない | 書物の数として、出典の条を添えて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 情報が食い違っている | 津波の砂の内陸への到達距離。 産総研は距離を書かず、論文は「当時の海岸線から3km以上/4km」「現在の海岸線から1.5km程度」と、基準の海岸線が当時と現在で混ざる | 距離を、いまの海岸からの値に揃えて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 海底堆積物の気温の研究(川幡2017)は大学の紹介ページまで。原論文の数値に当たっていない | 820年ごろの「最高気温」を、原論文の値で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 右京の農村化を示す発掘の記述。 京都市の概説の1文まで | 「畑になった」を、掘った結果で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 9世紀後半の火災・疫病の個々の年と規模。京都市の概説の1文まで | 都の側の暮らしを、年で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 9世紀の人口の推計、家の形、食べたもの | 「どう暮らしたか」に近づける |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 『日本後紀』の現存10巻がどの巻か。 国立公文書館のページに巻番号は無い。図書館の回答記録が事典を引いて巻番号を挙げるが、機関の一次記述ではないので、この記事は書かない | どの年の記事が失われたかを書けるようになる。新しい発見を待つ話ではない |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 「藤原時平らの謀略で」(道真左遷)は国立公文書館の解説の言葉。編纂所の綱文には「謀略」に当たる語は無く、その本文には当たっていない | 左遷の経緯を「〜と書かれています」の形で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 894年の遣唐使の件。 公的機関・大学の記述に到達できなかった | 「停止」か「廃止」か、何の史料によるかを書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | 情報が食い違っている | 平城京の東西の長さ(4.3km/5.8km)。同じ機関の2記事で違い、後者には外京を含むかの記載が無い | 都の大きさを1つの数字で書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | 情報が食い違っている | 都の人口(20万/5〜10万/3万〜10万)と、列島の人口(451万/500万〜700万)。推計方法に到達していない | 数字の差が何によるのかを書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | 情報が食い違っている | 病の致死率(25〜30%/30〜50%)。根拠となる文献の書誌に到達していない | どちらの推算がどういう前提かを書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | この記事では手が回っていない | この時代の主要な政変の経緯を裏づける同時代の物証。 探したが1件も見つからなかった | 「書かれていること」と「確かめられていること」の境目を、事件ごとに書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | この記事では手が回っていない | 「律」(刑罰の決まり)の現存状況。 令については「大宝令の原文は残らず、注釈書に引用された養老令が残る」ところまで到達したが、律について明記した機関の記述には届いていない。 三世一身法(723年)も2度探して届かなかった | 「律令国家」の「律」について、何が言えるかが決まる |
| 通史⑥ 奈良時代 | 情報が食い違っている | 列島の外で書かれた8世紀の史料。 ★2度目の探索で、下調べは「韓国の国の機関のデータベースで『三国史記』の記事3件に到達した」と報告したが、確かめ直したときに同じページを開けなかった(robots.txt の取得に失敗)。中国側の正史も、確かめ直せず、かつ出所が公的機関の刊行物ではなかった | ★開ければ、日本側の記録と突き合わせられる。 とくに731年の記事は、日本側に対応する記述が無いとされており、事実なら大きい |
| 通史⑥ 奈良時代 | この記事では手が回っていない | 8世紀の気温の値。 降水量の指標については研究に到達したが、気温の復元データは西暦800年より後しかない | この時代が暑かったのか寒かったのかを、値で書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | 二次情報から引いている | 現存最古の戸籍についての記述。到達できたのは市町村の自治体のページまでで、国の機関の記述に届いていない | この戸籍の位置づけを、より確かな形で書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | 二次情報から引いている | 班田収授・租庸調の数値と、正倉院に残る布の墨書。 到達できたのは市町村が刊行した市史までで、国の機関の記述にも、正倉院の側にも届いていない。★また「二束二把」の束の字を、2度の取得で「束」と「東」の両方に読んだ | 制度の数値を、より確かな形で書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | この記事では手が回っていない | 平城宮跡から出土した木の札の、累計の総数。指定された点数しか見つからなかった | 「何点出ているのか」を書けるようになる |
| 通史⑥ 奈良時代 | この記事では手が回っていない | 全国に寺を建てる命令が、実際にどれだけ実行されたか | 「命じられた」から先を書けるようになる |
この問いに対応する史料台帳
- 『続日本紀』史書(勅撰)