決着していない論点 / 平安

後三年合戦は、「役」か「合戦」か

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-16

いま何が争われているか

★いつからいつまでかは、決着した(2026-09-10)。東京大学史料編纂所の綱文は、永保3年(1083)是月条「是より奥羽の地、連年兵結びて解けず」で始まりを置き、寛治1年(1087)12月26日条「是日、義家、平定の状を奏す」で終わりを置く。文化庁の「永保3〜寛治元年、1083〜1087」と一致する。★呼び名は、綱文が「奥州合戦」、合叙が「後三年合戦絵」——編纂所の用語は「合戦」である。 ★横手市は「朝廷は、清原氏が反乱を企てたという認識はなく…「役」ではなく「合戦」というようになっています」と書き、愛媛県歴史文化博物館は「後三年の役」と呼ぶ。呼び名には、出来事の性格づけ(朝廷から見た反乱か、そうでないか)が含まれる。 ★愛媛の「応徳3(1086)年に…起きた」は、綱文で見ると義家の申文が朝廷で議された年にあたる(この媒体の読み)

何が出てくれば決着するか

★性格づけの問いは、新しい発見では動かない。 動くとしたら、「役」と呼ぶ機関がその理由を書いたとき——朝廷の側の記録(綱文が「奥州合戦の事を問ふ」と書く応徳3年の議)に「追討」の語があるかどうかが、判断の材料になる。★年の問いは閉じた(到達記録 2026-09-10)

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『小右記』の文は、史料編纂所のデータベースの機械テキストから、検索で出た断片をつないだもの。 校閲未了——人の目による校閲を経ていない。断片の間に欠けがありうる人の目で刊本の頁を読めば、逐語の確かさが上がり、1本の文として引けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『御堂関白記』の1018年10月16日の記事——道長自身はその夜、何を書いたか。史料編纂所のデータベースで当たれる型で、まだ当たっていない「望月の歌」を、詠んだ本人の側からも書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『日本三代実録』のあと国史が「完成を見ずに終わった」経緯(『新国史』)何が着手され、なぜ止まったかを書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『日本紀略』の10世紀の部分が何に依拠しているか。 解題は六国史の部分を「抄録」と書くが、その後の部分の材料は書いていない将門の奏文が、どういう形でこの本に入ったかを書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『延喜式』の完成年(927年)・施行年(967年)。文化遺産オンラインのページに記載なし「905年に編集開始」の先を書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『日本紀略』『貞信公記』『扶桑略記』『本朝神社考』の文は、史料編纂所の刊本の頁を機械で読んだもの。 校閲未了——人の目による校閲を経ていない。将門・安和の頁は別の読み手2つ(機械)と突き合わせて字は一致したが、それは校閲ではない人の目で同じ頁を読めば、逐語の確かさが上がる
通史⑧ 平安時代 中期情報が食い違っている将門の死の日付。 『日本紀略』の奏文と『浄蔵法師伝』は「今月十三日」、『扶桑略記』は「十四日未刻」。編纂所は14日の条に立てているが、何に従ったかは確かめていない。「13日に戦い、14日に死んだ」は下調べの側の読みで、逐語に無い。『将門記』の続きは未読『将門記』の続きと刊本の校訂注を読めば、13日と14日の関係がもう1本で確かになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『将門記』の成立年・作者・本文の性格。目録の1行まで最古の写しの1099年と、書かれた時との距離を書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期二次情報から引いている『御堂関白記』の中身は東京国立博物館の解説が「〜によると」として引いた形。本文に当たっていない日記の記述を直接引けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない『源氏物語』『枕草子』『古今和歌集』の現存最古写本。 文化遺産オンラインの検索で該当0件この時代の文学を、いつの写しで読んでいるかを添えて書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない十和田の泥流に埋まった建物の住人・暮らし「灰に埋まった家」に人を書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期二次情報から引いている海底堆積物の気温の研究(川幡2017)は大学の紹介ページまで。原論文の数値に当たっていない「寒冷」を、原論文の値で書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない10〜11世紀の人口・家の形・食べたもの「どう暮らしたか」に近づける
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない十和田以外の災害(地震・疫病・飢饉)都の側の暮らしを年で書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない白頭山の10世紀噴火の年列島の外の環境を1件書けるようになる
通史⑧ 平安時代 中期この記事では手が回っていない列島の外で書かれた10〜11世紀の史料(宋・高麗)。刀伊の入寇(1019年)刀伊の入寇や宋との交易を書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期二次情報から引いている「あたかも都遷の如し」の典拠と、鳥羽の宅地の給付。京都市「といわれています」まで鳥羽に人が移った様子を、当時の記録で書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期情報が食い違っている鳥羽殿の広さ(100ha/180ha/120ha)の測り方・発掘開始(昭和33/35年)。 文化庁・京都市・京都市埋蔵文化財研究所。使われた時期は合った数字を1つで書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない中尊寺の4代の遺体の学術調査(1950年)「今も安置」の先を書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない夜光貝の産地と経路。 中尊寺「シルクロードを渡って」/岩手県は記載なし。産地を書いた機関の記述に当たっていない産地と経路を書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない『兵範記』(保元)の本文は、活字本の画像を機械で読んだもの。 校閲未了——人の目による校閲を経ていない。「辰剋、東方起煙炎」の行は1つの読み手だけが読んだもので、「不知行方」「今日不分明」の段は2つの読み手で字が一致した。『史料大成』の目録も同じ読み方で、現存する全体の目録は突き合わせていない。11日条の後半(官符)は読んでいない人の目で同じ頁を読めば逐語の確かさが上がり、平治元年の欠を現存全体の目録で言えるようになる
通史⑨ 平安時代 後期二次情報から引いている平家納経の原本の解説。 到達したのは国土交通省の英文解説と模本の書誌まで。「清盛の手になる文」は英文の「a handwritten message from Kiyomori」の訳33巻の中身と願文を、日本語の機関の記述で書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない『山槐記』『玉葉』の治承4年8月(頼朝の挙兵)の本文。書目まで挙兵の知らせが京にいつ届いたかを、当時の文で書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない『玉葉』(壇ノ浦)の本文は、活字本の画像を機械で読んだもの。 校閲未了——人の目による校閲を経ていない。2つの読み手が読んだ範囲は3月27日条と4月4日条の冒頭からで、「但舊主御事不分明云々」まで含むかは行の単位では確かめられていない。4月4日より後の記事は読んでいない人の目で同じ頁を読めば逐語の確かさが上がり、「崩じ」の語が『玉葉』のどこに出るか(出ないか)を書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない『平家物語』の現存最古写本。国が指定した3本(室町の写し)まで「多くの諸本」のうち、いちばん古いものがいつかを書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない『吾妻鏡』『公卿補任』の文は、史料編纂所の刊本の頁を機械で読んだもの。 校閲未了——人の目による校閲を経ていない。別の読み手2つ(機械)と突き合わせ、引いた範囲の字は一致したが、義澄の郎従の数(十人/十八人)は読み手で割れ、『公卿補任』の年齢「四十六」は1つの読み手が要再確認と注記した人の目で同じ頁を読めば、逐語の確かさが上がる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない1096年・1099年の地震に対応する津波堆積物「作業仮説」の側に、地面の証拠を添えられるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない11〜12世紀の人口・家・食べもの「どう暮らしたか」に近づける
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない宋・高麗との往来、博多。 列島の外の史料に0件。物は会津の城から出ている東アジアの中の位置を書けるようになる
通史⑨ 平安時代 後期この記事では手が回っていない『源氏物語』本文の最古写本。 12世紀の絵巻の詞書まで「いつの写しで読んでいるか」を本文についても書けるようになる

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。