決着していない論点 / 古墳

「倭の五王」は、記紀の誰にあたるのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-07-30

いま何が争われているか

『宋書』は「讃は誰か」を書いていない。比定は史料の記述ではなく、後世の推定である。 ★そして同じ機関の中で書き方が2つある——藤井寺市教育委員会は本文で「比定問題は今にいたっても定説がない」と書きながら、図版のキャプションでは五王それぞれの墳墓比定を用いている

何が出てくれば決着するか

五王の名を記した同時代の国内資料が出たとき。 ★いまあるのは中国側の記録と、後世に編まれた記紀だけである。古墳の側から見ると比定はさらに難しくなる(堺市が築造順と在位順の食い違いを明記している)

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史④ 古墳時代情報が食い違っている七支刀の銘文の日付。同じ自治体のページの中で、釈文が「五月十一日」、説明文が「正月十一日」となっており、どちらが誤記かを確かめられていない日付を書けるようになり、干支の日付から年代を論じた説の当否を追えるようになる
通史④ 古墳時代二次情報から引いている『宋書』倭国伝の訓読と、倭の五王の比定の研究史。訳注書と研究史の本そのものを読めていない(自治体の解説を通じて読んでいる)訳者がどこで語を補ったかが分かり、「史料にある」と「訳者がそう読んだ」を分けて書けるようになる
通史④ 古墳時代二次情報から引いている広開土王碑の辛卯年の一節を「戦の大義名分」と読む議論。1972年の元の論文に到達できていない(大学の公開ページでの紹介まで)この読みをどこまで強く書けるかが決まる
通史④ 古墳時代情報が食い違っている江田船山古墳の墳丘の長さ。国の解説ページの中に約47メートルと約50メートルが併記され、町は62メートル(周溝を含めて約77メートル)とする墳丘の長さが確定する
通史④ 古墳時代この記事では手が回っていない三ツ寺I遺跡の居館の規模・濠・石積みの数値豪族の居館がどれほどの構えだったかを書けるようになる

この問いに対応する史料台帳