決着していない論点 / 飛鳥
「天皇」の号は、いつから使われたのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-08-02
いま何が争われているか
飛鳥池遺跡から「天皇」と書かれた木簡が出ており、奈良文化財研究所は「天皇号が遅くとも天武朝には存在していたことを示す確実な出土資料」と書く。★「遅くとも」である。下限が確かめられただけで、上限は開いている。 一方『日本書紀』は推古朝の記事にも「天皇」の語を使う
何が出てくれば決着するか
★推古朝の年が入った木簡や金石文に「天皇」の語が見つかれば、下限が一気に100年近く遡る。★逆に、7世紀前半の木簡が増えても出てこない状態が続けば、それ自体が意味を持ちはじめる。 ★「確認できていない」を「無かった」と読まないこと
この問いを扱った記事
この問いの手前に残っている未確認事項
問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。
| どの記事か | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| 通史⑤ 飛鳥時代 | 二次情報から引いている | 中国側の史料(『隋書』『旧唐書』劉仁軌伝・『新唐書』)の原文。公的機関が刊行したものではなく、オンラインの原文叢書から取っている。底本も、校訂による異同も確かめていない | 「史料にそう書いてある」と「その本文がそう伝わっている」を分けて書けるようになる |
| 通史⑤ 飛鳥時代 | この記事では手が回っていない | 十七条憲法と冠位十二階について、公的機関の記述に1件も到達できなかった | 教科書でいちばんよく知られている項目について、何がどこまで言えるかを書けるようになる |
| 通史⑤ 飛鳥時代 | 情報が食い違っている | 『日本書紀』の大野城築城(665年)と、城門の木柱の年輪年代(648〜650年)が15年ずれる。測定した本人が「私自身まだ疑問に思うところもある」と書いており、決着していない | 白村江の敗戦の前から城の材が伐られていたのかどうかが分かる |
| 通史⑤ 飛鳥時代 | この記事では手が回っていない | 6世紀から8世紀の気温・降水量の数値。復元の方法には到達したが、この時代の値には到達できていない | 環境について、この記事が書けなかった節が書けるようになる |
| 通史⑤ 飛鳥時代 | この記事では手が回っていない | 『隋書』が書く倭王(妻・後宮・太子を持つ男の王)と、日本側の年の当てはめ(推古天皇)の食い違い。正面から扱った公的機関のページに到達できていない | この食い違いをどう読むかについて、何が言われているかを書けるようになる |
| 通史⑤ 飛鳥時代 | 二次情報から引いている | 藤原宮跡出土の「評」木簡そのものの読みと画像。解説記事の結論部分までしか読めていない | 「評」から「郡」への切り替わりを、木簡そのもので示せるようになる |
| 通史⑤ 飛鳥時代 | この記事では手が回っていない | 井真成の墓誌がどこで出土したか。紹介している自治体のページに記述がなかった | 「現存する最古」が何の範囲での最古かを、正確に書けるようになる |
この問いに対応する史料台帳
- 日本書紀史書(勅撰)