資料室 / 史書(勅撰)
日本書紀
720年(養老4年)成立 / 2026-07-29
★ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文も現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。
どんな史料か#
日本の朝廷が編纂した最初の正史。720年に完成した定説。舎人親王らが編纂にあたったとされる有力説。
漢文で書かれ、神代から持統天皇の代までを、中国の正史にならった編年体で記す。 全30巻に加えて系図1巻があったとされるが、系図は現存しない有力説。
★この史書がいつ書かれたかを、まず押さえてください。
720年は、白村江の敗戦(663年)から半世紀ほどのちです。大宝律令(701年)が施行され、 「日本」という国号と「天皇」という称号が使われるようになった、その直後にあたります。
つまり本書は、「日本」という国が自分の来歴を初めて書いた文書です。 何が書かれているかと同じくらい、なぜそれが書かれたかが問題になります。
原本はあるか#
★ありません。
編纂当時の原本は現存しません定説。いま読めるのは、すべて後世の写本です。
現存する最古級の写本は平安期のものとされますが、巻によって伝わり方が違います。 どの巻がどの写本で最もよく伝わっているかは巻ごとに異なり、 「日本書紀の写本」として一括りにできる状態ではありません有力説※1。
**書かれた時(720年)と、いま読めるもの(平安期以降の写本)の間には、 少なくとも数百年あります。**
この間に、写し間違い、注記の本文への混入、訓の付加が起きうる——というのが、 写本で伝わる文献を扱うときの一般的な前提です定説。 本書について具体的にどこでそれが起きたかは、本台帳では確認できていません(型C・欠測)。
後世の手#
編纂の時点で、すでに「後世の手」が入っています。 本書はそういう性質の文書です。
- 本書は複数の先行資料をもとに編纂された有力説。「一書に曰く」として異伝を併記する箇所が多数あり、
編纂者が複数の伝承を前にしていたことが、本文自体から分かります
- 年代の記述は、遡るほど信頼性が下がる有力説。とくに応神・仁徳より前の
天皇の在位年数には、そのままでは受け取れない数値が並びます
- 氏族の系譜は、編纂当時の氏族が主張したものを反映している可能性がある有力説。
たとえば渡来系氏族の渡来時期が古い時代に置かれている例について、 後代の系譜意識による遡及的な構築と見る議論があります
★どこが加筆でどこが原型かを、本台帳は判定しません。 判定は研究の仕事であり、 台帳の仕事は「判定が割れている場所がある」と示すことです。
どこで読めるか#
- 国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)に、
近代以降に刊行された諸本の画像が公開されています※2
- ジャパンサーチ(https://jpsearch.go.jp/)から、各機関の所蔵状況を横断的に探せます※2
- 現代語訳・注釈書は複数の出版社から刊行されています。
本台帳はそれらを転載しません。 翻刻・校訂・訳文には、それを作った人の権利があります
★どの写本にもとづく本文を読んでいるかを、必ず確認してください。 「日本書紀にはこう書いてある」と言うとき、**その本文がどの系統の写本から来たのかで、 細部が変わる場合があります**有力説。
典拠にするときの注意#
★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 典拠は、実際に参照した本文と研究を直接あげてください。
そのうえで、本書を典拠にするときの注意を3点。
- 「日本書紀にこうある」は、「720年の朝廷がそう書いた」という事実である。 記述された出来事があったことの証明ではない。この2つを混ぜないこと
- 年代は、遡るほど別の性質のものになる。 7世紀の記事と、応神以前の記事を、 同じ確度で扱わないこと
- 異伝(「一書に曰く」)を落とさないこと。 本文だけを引くと、 編纂者自身が複数の伝えを前にしていたという情報が消える