決着していない論点 / 古墳

古墳の大きさは、いくつなのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-07-30

いま何が争われているか

同じ古墳の値が、機関によって違う。 大山古墳の後円部高(堺市35.8m/文化庁34.8m)、箸墓古墳の墳長(奈良県280m/文化庁290m)、江田船山古墳(文化庁の同一ページ内に47mと50m/和水町62m)、五条野丸山古墳(奈良県310m/橿原市330m)、横瀬古墳(鹿児島県137m/文化庁「長徑約四百十尺」)。★堺市博物館の同一ページ内で、古墳の総数が「16万基以上」と「20万基」に割れている

何が出てくれば決着するか

同じ古墳を、同じ基準で測り直した値が公表されたとき。 ★これは新しい発掘を待たずに決まる。測っている場所と時点が違う可能性があり、誤りとは呼べない

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史④ 古墳時代情報が食い違っている七支刀の銘文の日付。同じ自治体のページの中で、釈文が「五月十一日」、説明文が「正月十一日」となっており、どちらが誤記かを確かめられていない日付を書けるようになり、干支の日付から年代を論じた説の当否を追えるようになる
通史④ 古墳時代二次情報から引いている『宋書』倭国伝の訓読と、倭の五王の比定の研究史。訳注書と研究史の本そのものを読めていない(自治体の解説を通じて読んでいる)訳者がどこで語を補ったかが分かり、「史料にある」と「訳者がそう読んだ」を分けて書けるようになる
通史④ 古墳時代二次情報から引いている広開土王碑の辛卯年の一節を「戦の大義名分」と読む議論。1972年の元の論文に到達できていない(大学の公開ページでの紹介まで)この読みをどこまで強く書けるかが決まる
通史④ 古墳時代情報が食い違っている江田船山古墳の墳丘の長さ。国の解説ページの中に約47メートルと約50メートルが併記され、町は62メートル(周溝を含めて約77メートル)とする墳丘の長さが確定する
通史④ 古墳時代この記事では手が回っていない三ツ寺I遺跡の居館の規模・濠・石積みの数値豪族の居館がどれほどの構えだったかを書けるようになる

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。