決着していない論点 / 飛鳥
なぜ大工は、聖徳太子を祀ったのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-08-02
いま何が争われているか
★行為は数で残っている。 さいたま市の太子講は正徳3年(1713年)結成とされ、明和2年(1765年)以降の講中帳が22冊残る。市は「近世以降、産業の発達に伴って発生した職人仲間の講です」と書く。★ところが「なぜ太子なのか」を説明した公的機関の記述に、1件も到達できなかった
何が出てくれば決着するか
★他地域の太子講の結成年が集まったとき。 ★さいたま市の1713年と同じころに各地の結成年が集まるなら、中世からの信仰ではなく、近世の産業の側から生まれたことになる。★年が10件も集まれば分布が見える。新しい発見を待たずに決まる
この問いを扱った記事
この問いの手前に残っている未確認事項
問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。
| どの記事か | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | 二次情報から引いている | 「聖徳太子」の呼び名の初見が751年『懐風藻』序文であること。『懐風藻』の成立年は機関の頁で確認したが、「初見」であることは確認できなかった | ★この記事の出発点が、機関の記述で裏づけられる |
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | 二次情報から引いている | 『日本書紀』用明天皇紀の別名の列挙。私設のサイトが明示する底本に依拠しており、校訂本を見ていない | 別名の一覧を、機関の刊行物で示せるようになる |
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | 二次情報から引いている | 南無仏太子像が「2歳で合掌して南無仏と唱えた」伝承に基づくという説明。機関の頁の要約を経ている可能性があり、原文で再確認していない | 2歳の像が作られた理由を、機関の記述として書けるようになる |
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | この記事では手が回っていない | ★なぜ大工・職人が聖徳太子を職能の祖としたのか。公的機関の記述に到達できなかった | ★この記事でいちばん大きな空白が埋まる |
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | この記事では手が回っていない | 紙幣の種類数。確認できたのは5種で、他にもあるという言い方が流通している | 「何種類の紙幣になったか」が決まる |
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | この記事では手が回っていない | 唐本御影に描かれた人物が太子本人ではないとする説。公的機関の記述に到達できなかった | いちばんよく知られた顔について、何が言われているかを書けるようになる |
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | 情報が食い違っている | 聖霊会の起源。文化庁は「王朝時代の舞楽法要の姿を伝えている」、四天王寺は「千四百年の歴史を持つ」 | 「いつから続いているか」を、正確に書けるようになる |
| まず、これだけ|聖徳太子とは誰か | この記事では手が回っていない | 太子絵伝(聖徳太子絵伝)。1点も当たれていない | 中世の信仰を、代表例ではなく本体から書けるようになる |
この問いに対応する史料台帳
まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。