決着していない論点 / 飛鳥

大野城は、いつ築かれたのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-08-02

いま何が争われているか

★★『日本書紀』は665年に築いたと書く。ところが城門から出た木柱の年輪年代は648〜650年ごろの伐採を示す。 九州国立博物館・福岡県・熊本県教育委員会が刊行した資料で、赤司善彦は「650年の伐採年代という知見が得られたが、665年の築城記事との15年の年代差について考えてみたい」と書き、杉原敏之は「年輪年代による伐木年代は648年頃とされる」と書く。★しかも赤司自身が「650年まで溯ることの当否は、私自身まだ疑問に思うところもある」と留保している

何が出てくれば決着するか

★同じ城の別の部材で、独立に年輪年代が測られたとき。 ★1点の測定では、材の転用(古い材を使い回した)か、築造そのものが早いのかを分けられない。★白村江の敗戦(663年)より前に材が伐られていたことになるかどうかが、この15年に掛かっている

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史⑤ 飛鳥時代二次情報から引いている中国側の史料(『隋書』『旧唐書』劉仁軌伝・『新唐書』)の原文。公的機関が刊行したものではなく、オンラインの原文叢書から取っている。底本も、校訂による異同も確かめていない「史料にそう書いてある」と「その本文がそう伝わっている」を分けて書けるようになる
通史⑤ 飛鳥時代この記事では手が回っていない十七条憲法と冠位十二階について、公的機関の記述に1件も到達できなかった教科書でいちばんよく知られている項目について、何がどこまで言えるかを書けるようになる
通史⑤ 飛鳥時代情報が食い違っている『日本書紀』の大野城築城(665年)と、城門の木柱の年輪年代(648〜650年)が15年ずれる。測定した本人が「私自身まだ疑問に思うところもある」と書いており、決着していない白村江の敗戦の前から城の材が伐られていたのかどうかが分かる
通史⑤ 飛鳥時代この記事では手が回っていない6世紀から8世紀の気温・降水量の数値。復元の方法には到達したが、この時代の値には到達できていない環境について、この記事が書けなかった節が書けるようになる
通史⑤ 飛鳥時代この記事では手が回っていない『隋書』が書く倭王(妻・後宮・太子を持つ男の王)と、日本側の年の当てはめ(推古天皇)の食い違い。正面から扱った公的機関のページに到達できていないこの食い違いをどう読むかについて、何が言われているかを書けるようになる
通史⑤ 飛鳥時代二次情報から引いている藤原宮跡出土の「評」木簡そのものの読みと画像。解説記事の結論部分までしか読めていない「評」から「郡」への切り替わりを、木簡そのもので示せるようになる
通史⑤ 飛鳥時代この記事では手が回っていない井真成の墓誌がどこで出土したか。紹介している自治体のページに記述がなかった「現存する最古」が何の範囲での最古かを、正確に書けるようになる

この問いに対応する史料台帳