決着していない論点 / 平安
『日本後紀』の現存10巻はどれで、失われた30巻は逸文でどこまで埋まるのか
いま何が争われているか
★国立公文書館は「全40巻(現存10巻)」と書き、どの10巻かを書いていない。 ★「なぜ4分の1しか残らなかったのか」を書いた機関の記述は無い(2026-09-10 当たり直し)——「なぜ」は、機関が答える種類の問いではなかったので、問いを確かめられる形に立て直した(発行人裁定 2026-09-10)。★国立国会図書館のレファレンス協同データベースの回答記録(近畿大学中央図書館・2009年)が事典を引いて「現在は全40巻のうち、5、8、12、13、14、17、20、21、22、24の10巻しか知られていない」「写本に1524~33年(大永4~天文2)書写の三条西(さんじょうにし)家本がある」とするが、図書館の回答が事典を引いたもので、機関の一次的な記述ではない。 逸文(後の書物に引かれて残った文)の状況には当たっていない。★あとの3本(『続日本後紀』20巻・『日本文徳天皇実録』10巻・『日本三代実録』50巻)は全巻残る
何が出てくれば決着するか
★現存10巻の巻番号を、機関の一次記述(国立公文書館デジタルアーカイブの書誌・『国史大系』の解題)で確かめたとき。そして、失われた30巻の逸文を集めた刊本の有無を、機関の書誌で確かめたとき。 ★新しい発見を待つ話ではない。「なぜ残らなかったか」は、この媒体は問わない——残った巻と、埋まる範囲を書く。そして「『日本後紀』にこう書かれている」という文は、その箇所が現存巻にあるかどうかを確かめてからでないと書けない
この問いを扱った記事
この記事が行き着く問い
この問いの手前に残っている未確認事項
問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。
| どの記事か | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 応天門の変の『日本三代実録』の本文。 読めたのは貞観8年9月22日条の抄(編纂所が抜き書きした1条)のみ。閏3月10日条・8月の諸条は当たっていない(経路はある:国立国会図書館デジタルコレクションの『国史大系』第4巻)。承和の変の『続日本後紀』の本文も当たっていない | 「歴史書にこう書かれている」と、当時の文で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 784年11月11日・794年10月22日という遷都の日付の典拠。機関が典拠を示していない | 日付を、出典の史料を添えて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 情報が食い違っている | 長岡京の南北(5.3km/5.2km)。隣り合う2自治体で違い、計測の基準が書かれていない | 都の大きさを1つの数字で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 長岡京を捨てた理由(洪水・怨霊)の典拠。 機関が典拠を示していない。洪水の発掘での痕跡を書いた記述にも届いていない | 理由の2つを、性質ごとに分けて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 平安宮の大極殿・朝堂院跡の発掘と、応天門の位置。 奈良文化財研究所の総覧と京都市埋蔵文化財研究所のページを開けなかった(応答が429)。応天門がどこにどう建っていたかを書いた機関の記述にも当たっていない | 平安宮がどう掘られたか、門がどこにあったかを書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 情報が食い違っている | 胆沢城の一辺(約670m/675m)。同じ市の2ページ | 城の大きさを1つの数字で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 胆沢城から出た漆紙文書(暦・兵士についての文書)の中身 | 北の城で人が何をしていたかを、文字で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 「38年戦争」という呼び名の、学問の世界での位置。盛岡市の用語として確認したのみ | 呼び名を、機関の語として使えるかどうかが決まる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 列島の外で書かれた9世紀の史料(唐・新羅・渤海の側) | 東アジアの中の位置を書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 薬子の変(810年)・摂政の始まり(866年)・阿衡の紛議(887年ごろ)。 綱文にも当たっていない。摂政の始まりは『日本三代実録』の条が別の論文で特定されており、本文は未着手 | 9世紀の政治の流れを、綱文で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 貞観津波の「溺死者千人」は論文が歴史書から引いた数。歴史書の条文に当たっていない | 書物の数として、出典の条を添えて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 情報が食い違っている | 津波の砂の内陸への到達距離。 産総研は距離を書かず、論文は「当時の海岸線から3km以上/4km」「現在の海岸線から1.5km程度」と、基準の海岸線が当時と現在で混ざる | 距離を、いまの海岸からの値に揃えて書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 海底堆積物の気温の研究(川幡2017)は大学の紹介ページまで。原論文の数値に当たっていない | 820年ごろの「最高気温」を、原論文の値で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 右京の農村化を示す発掘の記述。 京都市の概説の1文まで | 「畑になった」を、掘った結果で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 9世紀後半の火災・疫病の個々の年と規模。京都市の概説の1文まで | 都の側の暮らしを、年で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 9世紀の人口の推計、家の形、食べたもの | 「どう暮らしたか」に近づける |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 『日本後紀』の現存10巻がどの巻か。 国立公文書館のページに巻番号は無い。図書館の回答記録が事典を引いて巻番号を挙げるが、機関の一次記述ではないので、この記事は書かない | どの年の記事が失われたかを書けるようになる。新しい発見を待つ話ではない |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | 二次情報から引いている | 「藤原時平らの謀略で」(道真左遷)は国立公文書館の解説の言葉。編纂所の綱文には「謀略」に当たる語は無く、その本文には当たっていない | 左遷の経緯を「〜と書かれています」の形で書けるようになる |
| 通史⑦ 平安時代 前期 | この記事では手が回っていない | 894年の遣唐使の件。 公的機関・大学の記述に到達できなかった | 「停止」か「廃止」か、何の史料によるかを書けるようになる |
この問いに対応する史料台帳
まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。