決着していない論点 / 奈良

平城京に、何人住んでいたのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-08-05

いま何が争われているか

同じ機関の中で3通りある。「古くは20万人と推定されましたが」「最近では5〜10万人」と書く記事と、「3万〜10万人の人々が暮らしていたと考えられています」と書く記事。★20万から5〜10万への変化は「推定の見直し」と説明があるが、5〜10万と3〜10万の差には、どちらの記事にも説明が無い。 列島全体でも451万人500万〜700万人が並ぶ

何が出てくれば決着するか

推計の方法が示されたとき。 戸籍からの逆算か、遺跡数からか、家の跡の数からかで、出る値も、値の意味も変わる。★そして、すべて推計である。この問いは「本当の人数」を探す問いではなく、「何をどう数えたか」を並べる問いである

この問いを扱った記事

この問いの手前に残っている未確認事項

問いそのものが決着していないこととは別に、編集の側が、まだ元の資料に届いていない箇所です。

どの記事かどういう種類か内容確認できたら何が変わるか
通史⑥ 奈良時代情報が食い違っている平城京の東西の長さ(4.3km/5.8km)。同じ機関の2記事で違い、後者には外京を含むかの記載が無い都の大きさを1つの数字で書けるようになる
通史⑥ 奈良時代情報が食い違っている都の人口(20万/5〜10万/3万〜10万)と、列島の人口(451万/500万〜700万)。推計方法に到達していない数字の差が何によるのかを書けるようになる
通史⑥ 奈良時代情報が食い違っている病の致死率(25〜30%/30〜50%)。根拠となる文献の書誌に到達していないどちらの推算がどういう前提かを書けるようになる
通史⑥ 奈良時代この記事では手が回っていないこの時代の主要な政変の経緯を裏づける同時代の物証。 探したが1件も見つからなかった「書かれていること」と「確かめられていること」の境目を、事件ごとに書けるようになる
通史⑥ 奈良時代この記事では手が回っていない「律」(刑罰の決まり)の現存状況。 令については「大宝令の原文は残らず、注釈書に引用された養老令が残る」ところまで到達したが、律について明記した機関の記述には届いていない。 三世一身法(723年)も2度探して届かなかった「律令国家」の「律」について、何が言えるかが決まる
通史⑥ 奈良時代情報が食い違っている列島の外で書かれた8世紀の史料。2度目の探索で、下調べは「韓国の国の機関のデータベースで『三国史記』の記事3件に到達した」と報告したが、確かめ直したときに同じページを開けなかった(robots.txt の取得に失敗)。中国側の正史も、確かめ直せず、かつ出所が公的機関の刊行物ではなかった開ければ、日本側の記録と突き合わせられる。 とくに731年の記事は、日本側に対応する記述が無いとされており、事実なら大きい
通史⑥ 奈良時代この記事では手が回っていない8世紀の気温の値。 降水量の指標については研究に到達したが、気温の復元データは西暦800年より後しかないこの時代が暑かったのか寒かったのかを、値で書けるようになる
通史⑥ 奈良時代二次情報から引いている現存最古の戸籍についての記述。到達できたのは市町村の自治体のページまでで、国の機関の記述に届いていないこの戸籍の位置づけを、より確かな形で書けるようになる
通史⑥ 奈良時代二次情報から引いている班田収授・租庸調の数値と、正倉院に残る布の墨書。 到達できたのは市町村が刊行した市史までで、国の機関の記述にも、正倉院の側にも届いていない。★また「二束二把」のの字を、2度の取得で「束」と「東」の両方に読んだ制度の数値を、より確かな形で書けるようになる
通史⑥ 奈良時代この記事では手が回っていない平城宮跡から出土した木の札の、累計の総数。指定された点数しか見つからなかった「何点出ているのか」を書けるようになる
通史⑥ 奈良時代この記事では手が回っていない全国に寺を建てる命令が、実際にどれだけ実行されたか「命じられた」から先を書けるようになる

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。