決着していない論点 / 平安
保元の乱は、どちらが仕掛けたのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-30
いま何が争われているか
事典の中には、鳥羽法皇が亡くなると、天皇方が崇徳上皇と藤原頼長の2人をしきりに挑発し、上皇方がこれに乗って白河殿に武士を集めた、と書くものがある。★ところが、その日々を書いた日記『兵範記』の7月5日の記事は、上皇と左大臣が心を合わせて兵を起こそうとしている、という話を「風聞」——噂——として書き留めている。 上皇方の企てが先にあったのか、噂が先に立って上皇方が追い込まれたのか。日記は噂と事実をそこで書き分けておらず、日記からは決められない
何が出てくれば決着するか
★上皇方の側で、7月の日々を書いた同じ時代の記録が見つかったとき。 ★ただ、新しい発見だけを待つ問いではない。いまある日記を、「風聞」「云々」と書かれた伝え聞きと、書き手が見たことを書き分けながら読み直すことでも動く
この問いを扱った記事
この問いに対応する史料台帳
まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。