決着していない論点 / 平安

頼朝は、征夷大将軍になりたかったのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-30

いま何が争われているか

事典には、頼朝は征夷大将軍の地位を強く望んだが、後白河法皇が許さず、法皇が亡くなった1192年にようやく実現した、と説明するものがある。1184年には義仲が征夷大将軍になっていた、と書く事典も少なくない。けれども、征東大将軍に任じられたとする説もある、と書く事典もあり、頼朝は1194年に征夷大将軍の辞表を出している、と事典は書く。★近年、『三槐荒涼抜書要』という本に収められた、貴族中山忠親の日記『山槐記』の1192年7月9日の記事が、研究者の櫻井陽子によって紹介された。 川合康の紹介によれば、そこでは頼朝が「大将軍」の地位を望み、朝廷は征東大将軍・征夷大将軍・惣官・上将軍の4つの候補を比べ、平宗盛の惣官と、義仲の征東大将軍を「不快」な前例として避けて、坂上田村麻呂の征夷大将軍を選んだ、とされる。この記事によれば、頼朝が望んだのは「大将軍」で、「征夷」は朝廷が選んだものだった。事典の書き方は、まだこの新しい史料にそろっていない

何が出てくれば決着するか

★「何が出てくれば動くか」が、実際に出てきた問いである。 次に動くとしたら、同じ日々を書いたほかの記録がさらに見つかり、この1日分の記事と突き合わせられたとき

この問いを扱った記事

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。