決着していない論点 / 鎌倉
神護寺の「伝源頼朝像」は、誰の像なのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-10-06
いま何が争われているか
教科書で長く頼朝の肖像として載ってきた京都・神護寺の国宝の肖像画は、国の指定の名称が「絹本著色伝源頼朝像」で、「伝」の字が入っている。文化庁の解説は「鎌倉時代の作品。」の1文で、誰の像かを書いていない。★教科書会社の帝国書院は、この像が頼朝とされてきた根拠は『神護寺略記』の記録にあると説明したうえで、1995年に美術史家の米倉迪夫がこの像を足利尊氏の弟の足利直義の肖像とする説を出し、絵絹の素材が南北朝時代のものだという科学的な分析の指摘もあって、直義とする説が有力になっている、と書く。帝国書院は、自社の教科書では甲斐善光寺の坐像を頼朝として紹介している。★学説の側について、この媒体が読んだのは教科書会社の説明と米倉の本の書誌までで、本そのものと絵絹の分析の論文には届いていない(台帳 L-J010 表A A-3)
何が出てくれば決着するか
動くとしたら、絵絹を調べた分析の中身が詳しく公にされ、国の指定の解説がそれを踏まえて書き改められたときです。
この問いを扱った記事
この問いに対応する史料台帳
まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。