決着していない論点 / 鎌倉
『吾妻鏡』は、いつ、誰の主導で編まれたのか
論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-10-06
いま何が争われているか
鎌倉時代の前半を年の順に、幕府の側から語るのは、ほぼ『吾妻鏡』1冊である。国立公文書館は、編者・成立年とも未詳で、成立は1300年前後と推定されると書く。★いつ編まれたかは、説が並んでいる。 神奈川県のサイトに置かれた解題は、源氏3代の部分は1270年代前半、それ以後は1290年から1304年ごろに編まれたとする「二段階編纂説」があり、これに益田宗や笠松宏至らの批判がある、と書く。批判する研究は、北条本の中に後深草院の出家の記事があって死去の記事が無いこと、収められた多くの文書が永仁の徳政令の時期と関わることから、1297年以後の成立とし、解題は、ほぼ14世紀初頭に一括して編まれたと考えるのが「妥当とされている」と結ぶ。★誰が編纂を主導したかも割れている。 同じ解題は、北条氏の得宗とするのが通説だとしたうえで、問注所執事の太田時連を有力な候補とし、金沢氏・二階堂氏の協力で編まれたとする五味文彦の指摘を挙げる。国立公文書館は、金沢氏が深く関与したとする説が有力だと書く。★この解題には作成した機関と年の記載が無く、益田・笠松・五味の論文や著書そのものには、この媒体はまだ当たっていない(台帳 L-J010 表A A-1)
何が出てくれば決着するか
動くとしたら、編纂のもとになった幕府の日記や記録がまとまって見つかり、本文と突き合わせられたときです。北条本より古い写本が見つかったときも動きます。
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この問いに対応する史料台帳
- 『吾妻鏡』(鎌倉幕府が編纂した歴史書・いま読める最古の形は16世紀の写本)歴史書(後世の編纂物)