資料室 / 歴史書(後世の編纂物)

『吾妻鏡』(鎌倉幕府が編纂した歴史書・いま読める最古の形は16世紀の写本)

治承4年(1180年)4月〜文永3年(1266年)7月の記事(国立公文書館の解説による)。成立は「西暦1300年前後と推定」(同) / 2026-10-06

★ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文の翻刻も単独の現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この媒体が実際に読んだ範囲に限り、判読と下訳を「読んだ本文(対照)」の節に置くことがあります(AI の判読・専門家の校閲未了)。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。

どんな史料か#

鎌倉幕府が編纂した歴史書です。 鎌倉時代の出来事の多くは、この本で語られます。★しかし、出来事の起きた時に書かれた記録ではありません。 編者も成立年も分かっておらず、成立は記事の最後の年から数えても数十年後と推定されています。

国立公文書館のデジタル展示「歴史と物語」8. 吾妻鏡(https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/rekishitomonogatari/contents/08.html ・取得 2026-09-08/2026-10-06 に取り直して一致)は、こう書きます【定説:機関の記述として】。

「鎌倉幕府が編纂した歴史書。治承4年(1180)4月、平氏討伐を命じる以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)が伊豆の源頼朝のもとに届いた記事から、文永3年(1266)7月の宗尊親王(むねたかしんのう 鎌倉幕府6代将軍)の京都送還までが、歴代将軍の年代記の体裁で(文体は和風の漢文体)記されています。」 「編者・成立年とも未詳。北条氏の一門である金沢氏が編纂に深く関与し、幕府の日記や寺社の記録、御家人諸家に伝来する文書等を資料に、幕府の実務にたずさわった奉行人らによって編纂されたとする説が有力で、成立は西暦1300年前後と推定されています。」 「『古事記』や『日本書紀』以下の六国史が朝廷中心の歴史書だったのに対して、幕府の歴代将軍を軸に東国の武家社会の歴史を詳細に叙述しているのが最大の特色。『吾妻鏡』は戦国時代の武将たちに愛読され、江戸に幕府を開いた徳川家康も、愛読して武士の道理や治世の術を学びました。」

項目記載
何か「鎌倉幕府が編纂した歴史書」「歴代将軍の年代記の体裁」「文体は和風の漢文体」(国立公文書館)【定説:機関の記述として】
記事の範囲治承4年(1180年)4月の以仁王の令旨の記事から、文永3年(1266年)7月の宗尊親王の京都送還まで(同)【定説:機関の記述として】
編者「未詳」(同)。★編纂に誰が関わったかは、説として書かれる——「北条氏の一門である金沢氏が編纂に深く関与し…とする説が有力」(国立公文書館)/「編纂主導者としては、北条氏得宗…とするのが通説であるが、14世紀初頭に問注所執事であった太田時連(ときつら)を有力候補とし、幕府の中枢部にあった北条氏一門である金沢氏、政所執事の二階堂氏の協力によって編纂されたとの指摘がある(五味文彦『吾妻鏡の方法 (増補)』)」(下の解題 PDF)——「後世の手」3
成立「未詳」「成立は西暦1300年前後と推定されています」(国立公文書館)/「成立:14世紀初」「ほぼ14世紀初頭に一括して編纂されたと考えるのが妥当とされている」(解題 PDF)——「後世の手」2
何をもとに書いたか「幕府の日記や寺社の記録、御家人諸家に伝来する文書等を資料に」(国立公文書館・「とする説が有力」の文の中)【定説:機関の記述として・語尾は「説が有力」のまま】

★解題 PDF とは、神奈川県のドメインに置かれた「吾妻鏡(東鑑)」の解題(https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/uploads/2020/12/001azumakagami.pdf ・取得 2026-10-06)です。PDF の中に作成機関名・作成年の記載はありません(この媒体が当たった範囲で)。本台帳は、その機関名を確かめていません※4。

原本はあるか#

★原本(編纂された時の本)は伝わっていません——と書いた機関の記述にも、本台帳は到達していません。 到達したのは、いま読める写本が16世紀のものだという機関の記述です。

いま読める本の層(機関の目録・記述から)#

本時期所蔵・指定機関の語出所
北条本「書写年代は16世紀初頭と推定されますが、中には新しい写本も含まれ」/目録「写本:室町」国立公文書館(特103-0001・51冊・紅葉山文庫旧蔵)「52巻(巻45原欠)」「本書は現存最古の「吾妻鏡」であり、江戸時代以降のすべての流布本の元と」(★文は取得した文字列のここで切れている)国立公文書館 08(上)・同 デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/file/4503889 (取得 2026-10-06・2回取って同じ)
吉川本大永2年(1522年)/文化庁「時代 室町」「年代 1522」公益財団法人吉川報效会(山口県)・重要文化財(1934年1月30日)・名称「吾妻鏡〈四十七冊並ニ年譜一冊/〉」48冊文化庁のト書「第四十七冊ニ大永二年右田弘詮書写ノ奥書アリ」/解題 PDF「右田弘詮(みぎた・ひろあき)が散在していた写本を書写収集して、大永2年(1522)に写し直した本で、のち吉川氏に伝来したもである。」文化庁 国指定文化財等データベース https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/8130 (取得 2026-10-06)/解題 PDF
島津本「15世紀末に二階堂家から島津家に贈呈された『吾妻鏡』をもとに、補訂が行われて成立したものと考えられている」(所蔵は本台帳未確認※2)同左解題 PDF

【定説:機関の目録・記述として】。★吉川本の「大永2年」は、文化庁のト書(奥書あり)と解題 PDF が一致します。

★北条本は「現存最古」と国立公文書館が書きます。ただし、北条本の書写は「16世紀初頭と推定」、吉川本は奥書で1522年——同じ16世紀の初めの幅に入ります。 何をもって「最古」としたかは、取得した文字列が途中で切れていて読めません※1。本台帳は、どちらが古いかを判定しません。

★書かれた時と、いま読めるものの間#

  • 出来事 → 成立:記事の範囲(1180〜1266年)と成立(1300年前後と推定)の差は、およそ34〜120年(★本台帳の計算。成立が推定なので幅がある)。
  • 成立 → いま読める最古の形:1300年前後 → 北条本(16世紀初頭と推定)・吉川本(1522年)で、およそ200年あまり(★同)。
  • ★つまり、たとえば1192年の出来事について「『吾妻鏡』にこう書かれている」と言うとき、その文は、およそ100年あとに編まれた本を、さらに200年あまりあとに写したものから読んでいます。

後世の手#

★本台帳は、真偽や解釈の当否を判定しません(資料室規程 第4条)。判定が割れる場所、または判定できない場所を示します。

  1. 北条本は、寄せ集めて編成された本です。 国立公文書館は「中には新しい写本も含まれ、徳川家康が自らの所蔵本と黒田家献上本ほかの写本によって、51冊から成る展示資料を編成したと推定されています」と書きます【定説:機関の記述として・語尾「と推定されています」のまま】。吉川本も「散在していた写本を書写収集して」写し直した本(解題 PDF)、島津本は「補訂が行われて成立した」(同・「と考えられている」)本です。伝わった3本は、いずれも「集めて、補って」できた本だと機関が書いています。
  2. 成立の段階をめぐって、説が分かれています。 解題 PDF は「源氏三代の将軍記は文永の頃(1270年代前半)、それ以後の将軍記は正応3年(1290)から嘉元2年(1304)の頃に成立したという二段階編纂説が説かれてきたが、これについては、益田宗(「吾妻鏡の伝来について」)や笠松宏至(「徳政・偽文書・吾妻鏡」)らの批判がある」と書き、その研究が「北条本の第42巻の宗尊将軍記の袖書に後深草院の出家のことが記され、その死去については記されていないことから」成立を後深草院の出家以後・死去以前とし、収録文書と永仁の徳政令の関係から「永仁5年(1297)以後に成立した」としたうえで、「ほぼ14世紀初頭に一括して編纂されたと考えるのが妥当とされている」と結びます【定説:機関の記述として・語尾のまま】。★成立年は、外から伝わった年ではなく、本の中の記事(ある人の出家の記事があり、死去の記事が無い)から逆算された年です。 益田・笠松の論文そのものに、本台帳は当たっていません※3。
  3. 編纂を主導したのが誰かをめぐって、機関の書き方が違います。 国立公文書館は「金沢氏が編纂に深く関与…とする説が有力」、解題 PDF は「北条氏得宗…とするのが通説」としたうえで太田時連・金沢氏・二階堂氏の指摘(五味文彦)を挙げます(「どんな史料か」の表)。何を「有力」「通説」と呼ぶかが、2つの記述で違います。 本台帳は判定しません。
  4. 「北条氏に都合よく書かれた」という評価について——国立公文書館の解説にも解題 PDF にも、北条氏に有利な記述・曲筆・顕彰に触れた文はありません(この媒体が当たった範囲で)。★一般にそう言われることがあっても、本台帳が当たった機関の記述は、その語を持っていません。 無いことの確認であって、そうした研究が無いことの証明ではありません※3。
  5. 欠けている巻と、冊の無い年。 北条本の目録は「52巻(巻45原欠)」と書きます——巻45は北条本ができた時から欠けています【定説:機関の目録の記載として】。★さらに、同じ目録の冊ごとの年次欄を並べると、冊の無い年があります——範囲の中では、寿永2年(1183)、建久7〜9年(1196〜1198)、嘉禄元年〜安貞元年(1225〜1227)、仁治2〜3年(1241〜1242)、建長元年(1249)、建長7年(1255)、弘長2年(1262)、文永元年(1264)(★本台帳の読み・年号の西暦換算も本台帳)。ただし、年次欄は冊の中身の範囲を正確に示しているとは限りません——巻31「嘉禎02年 - 嘉禄03年」のように前後した欄、巻32「暦仁02年」・巻33「延応01年 - 仁治01年」・巻34「延応02年」のように重なる欄があります【定説:機関の目録の記載として・欄の文字のまま】。冊を開いて記事の有無を確かめていないので、「この年の記事は無い」とは書けません※1。欠けた理由(失われたのか、もともと書かれなかったのか)を書いた機関の記述にも届いていません。
  6. 江戸時代以降に読まれた本文は、北条本から出ています。 国立公文書館は、家康が北条本を「五十川了庵に貸与し、木製の活字を用いて出版させました」、それが「慶長10年(1605)3月に京都伏見の円光寺で出版された「伏見版」と総称される古活字版の一つ」の『新刊吾妻鏡』だと書きます(「歴史と物語」9. 新刊吾妻鏡 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/rekishitomonogatari/contents/09.html ・取得 2026-10-06)。デジタルアーカイブの目録は北条本を「江戸時代以降のすべての流布本の元と」(文はここで切れて返った)、解題 PDF は「北条本は、江戸時代初頭より多くの刊本の底本として利用されてきた」と書きます【定説:3つの機関の記述として一致】。★家康が編成した本が、その後の『吾妻鏡』の読まれ方の元になった——という伝来の形そのものが、後世の手です。
  7. 他の本が、この本を参考にして書き直されています。 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ「京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 承久記」(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00011173/explanation/jokyu ・取得 2026-10-06)は、『承久記』の流布本を「これまで写本で伝わっていた本をもとにして、『平家物語』や『吾妻鏡』などを参考にしながら、記事の正確さをはかり、文章を整えたもの」と書きます【定説:機関の記述として】。★『吾妻鏡』と流布本の『承久記』を並べても、2つの独立した証言にはなりません(★本台帳の読み)。

どこで読めるか#

この台帳は、原文も現代語訳も置きません。読める場所を指し示します(資料室規程 第1条)。

  • 国立公文書館デジタルアーカイブ——北条本「吾妻鏡」 https://www.digital.archives.go.jp/file/4503889 (特103-0001・51冊・冊ごとの年次欄つき)。検索「吾妻鏡」 https://www.digital.archives.go.jp/search?kw=%E5%90%BE%E5%A6%BB%E9%8F%A1 では、ほかに『新刊吾妻鏡』(特018-0001・51冊・目録の年代欄「寛文」)https://www.digital.archives.go.jp/file/1272043 が出ます。★この『新刊吾妻鏡』と、展示「歴史と物語」9 の『新刊吾妻鏡』(慶長10年の伏見版・内務省旧蔵・全26冊)は、冊数と年代の欄が違い、別の本です(★本台帳の読み)。画像の公開範囲・利用条件は、本台帳は確かめていません※1
  • 国立公文書館 デジタル展示「歴史と物語」——8. 吾妻鏡(北条本の解説)・9. 新刊吾妻鏡(伏見版の解説)(上の URL)
  • 文化庁 国指定文化財等データベース——吉川本「吾妻鏡〈四十七冊並ニ年譜一冊/〉」 https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/8130 。★所有者は公益財団法人吉川報效会。画像の公開は本台帳は確かめていません※2
  • 解題——「吾妻鏡(東鑑)」(PDF)https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/uploads/2020/12/001azumakagami.pdf (作成機関の表示は PDF の中に無い※4)
  • 刊本(活字本)——本台帳は、どの刊本が北条本・吉川本のどちらを底本にしているか、どこで読めるかに当たっていません※2。★記事が刊本の頁を引くときは、その刊本の凡例で底本を確かめてください

典拠にするときの注意#

★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 典拠は機関の目録・記述、または刊本の巻・頁を直接あげてください(資料室規程 第5条)。

  1. 「〜と『吾妻鏡』に書かれている」と書くときは、「出来事から数十年〜百年あまり後に、鎌倉幕府が編んだとされる歴史書に」まで添えてください。 成立は「1300年前後と推定」(国立公文書館)で、年を1つに書かないでください(「後世の手」2)。
  2. 「北条氏に都合よく書かれた」とは書かないでください。 本台帳が当たった機関の記述は、その語を持っていません(「後世の手」4)。書けるのは「北条氏の一門の金沢氏が編纂に深く関与したとする説が有力」(国立公文書館)、「編纂の主導者は得宗とするのが通説だが、別の指摘もある」(解題 PDF)までです。
  3. 「この年の記事は『吾妻鏡』に無い」と書かないでください。 本台帳が持っているのは北条本の目録の冊の並びで、冊の中身ではありません(「後世の手」5)。書けるのは「北条本の目録の上では、この年の冊が無い」までです。
  4. 「現存最古の写本」と言い切るなら、国立公文書館の語として。 吉川本(1522年・奥書)と北条本(16世紀初頭と推定)は同じ幅にあり、先後を言う機関の文に本台帳は届いていません(「原本はあるか」)。
  5. 流布本の『承久記』を、『吾妻鏡』の裏づけとして並べないでください(「後世の手」7)。
  6. 巻45は北条本の「原欠」です。 刊本でその巻に当たる年を読むときは、その刊本が何で補ったか(または補っていないか)を凡例で確かめてください※2。

この台帳の未確認事項#

番号どういう種類か内容確認できたら何が変わるか
※1この記事では手が回っていない北条本の冊ごとの中身(年次欄に冊の無い年に、本当に記事が無いか/前後・重複した欄の実際の範囲)。北条本を「現存最古」とした文の続き。デジタルアーカイブの画像の公開範囲。② 未着手——次の経路:デジタルアーカイブの冊の画像を開く(有人の回)/同目録の解題欄の全文「この年の記事は無い」を書けるかどうかが決まる。「現存最古」の根拠が分かる
※2この記事では手が回っていない島津本の所蔵と指定。吉川本の画像の公開。刊本(活字本)の底本と所在。② 未着手——次の経路:文化庁 国指定文化財等データベースで「吾妻鏡」の残りの指定品(検索結果に別の指定品 https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/7520 が出たが開いていない)/国立国会図書館サーチで刊本の書誌どの本で読めるか、刊本がどの写本に拠るかを書けるようになる
※3この記事では手が回っていない解題 PDF が挙げる研究(益田宗「吾妻鏡の伝来について」・笠松宏至「徳政・偽文書・吾妻鏡」・五味文彦『吾妻鏡の方法 (増補)』)の本文。北条氏との関係を論じた研究の有無。② 未着手——次の経路:国立国会図書館サーチ・CiNii(CiNii の検索は自動取得が robots.txt で拒否された——① 到達不可:この経路では)の書誌成立論・編者論の割れ方を、研究の側の語で書けるようになる
※4この記事では手が回っていない解題 PDF の作成機関・作成年。② 未着手——次の経路:PDF を置いているサイトの一覧の頁(同じ uploads の上の頁)解題の出所を機関名で書けるようになる

改訂履歴#

  • 2026-10-06 初版。この媒体が起草(伝来・目録・指定・解題)。国立公文書館の展示「歴史と物語」8・9、同デジタルアーカイブ(北条本の目録・検索)、文化庁 国指定文化財等データベース(吉川本)、解題 PDF、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(『承久記』)は、すべて同日の取材による。国立公文書館 8 の逐語は通史台帳 L-J009 第2-2節(2026-09-08)と一致。逐語の出所は取材の記録(2026-10-06)による。★無人の取材で、逐語は取得したページ・PDF の文字列を道具が抜き出したもの(北条本の目録と解題 PDF は2回取って同じ文字列)で、画面でも画像でも人の目でもない。「読んだ本文(対照)」の節は、本文を1字も読んでいないので置かない(資料室規程 第1条の2)。