決着していない論点 / 平安

右京は、いつ、どれほどさびれたのか

論争中この一覧に載っている問いは、まだ決着していません最終更新 2026-09-30

いま何が争われているか

京都市の概説は、9世紀の後半に右京が急速に農村になっていった、と書く。事典には、右京の荒れが目立ったのは10世紀の後半だと書くものがあり、沼や湿地の多い右京は初めから造成が十分でなかった、と書くものもある。右京の荒れた姿を伝える書物としてよく知られるのは、982年に慶滋保胤が書いた『池亭記』である。★ところが地面の側は、少し違うことを言う。 京都市埋蔵文化財研究所は、右京の発掘で見つかる遺構は9・10世紀に属する平安時代の前半のものが「圧倒的に多く」、後半以降のものは非常に少ない、と書く。書物と概説が「荒れていく右京」を語る9・10世紀が、右京の地面に残る跡のいちばん多い時期である

何が出てくれば決着するか

★右京の屋敷や建物の跡が、町ごとに、いつ建ち、いつ使われなくなったかで並べ直され、書物の描く荒れ方と突き合わされたとき

この問いを扱った記事

この問いに対応する史料台帳

まだありません。この問いは、文字で書かれた史料ではなく、掘り出されたものと測られた値の側にあります。資料室には、いま3件の台帳があります。