資料室 / 中国の正史(東夷伝を含む)

『隋書』

7世紀(唐)成立 / 2026-08-02

ここに史料そのものは置いていません。これは「この史料をどこまで信じてよいか」の台帳です。原文も現代語訳も載せず、どこで読めるかを案内します。この台帳自体を、記事や論文の典拠にはしません。

どんな史料か#

隋(581〜618年)の歴史を記した中国の正史です。唐が、前の王朝である隋について編みました定説

その列伝のなかに東夷の項があり、倭国の記事が置かれています定説※1。 600年と607年の遣使、いわゆる「日出づる処の天子」の国書、裴清(裴世清)の来倭は、いずれもこの記事にあります。

★この史料でまず押さえるべきことは、2つあります。

1つめ。隋の同時代の記録ではなく、次の王朝である唐が編んだものです。 S-J011(『晋書』)ほどの隔たりはありませんが、「隋の側が書いた記録」ではありません定説

2つめ。★これは、飛鳥時代の日本列島について、列島の外から書かれた、ほぼ唯一の同時期の記述です。 『日本書紀』(S-J001)は720年に列島の側で編まれました。 書いた場所も、書いた時期も、書いた立場も違う2つを、突き合わせることができます。

★成立年は、割れています#

この史料で最初に食い違いが出るのは、成立の年です論争中※2

どの事典が何年と書いているか
デジタル大辞泉「636年、帝紀5巻、列伝50巻が成立。656年に「経籍志」など志30巻を編入し、全85巻。」
精選版 日本国語大辞典「貞観一〇年(六三六)帝紀五巻・列伝五〇巻が成立。のち経籍志など五代史志(十志)三〇巻が編入された。」
改訂新版 世界大百科事典636年(貞観10)に完成」(紀伝)/「656年(顕慶1)に長孫無忌を総裁として《五代史志》30巻が別個に完成」
旺文社 日本史事典 三訂版(「隋書倭国伝」の項)「『隋書』は629年唐の魏徴らの撰。」

★636年と656年は、たぶん食い違っていません有力説帝紀と列伝が636年、志が656年。同じ経過の別の端を採っているだけと読めます。

★揃わないのは、629年です。 どれが正しいかは、本台帳では判定しません(資料室規程 第4条)。 記事で年を書くなら、「帝紀・列伝の年」なのか「志を含めた年」なのかを添えてください。

★なお、上記はいずれも事典の記述であり、本台帳は原典に当たっていません※2

★★倭国か、俀国か——表記が割れています#

この史料には、ほかの正史にない問題があります。国の名前の字です。論争中※1

  • 巻81 東夷伝の当該条を「俀国」と表記するという説明が、事典・解説の側に流通しています
  • 一方、本台帳が実際に取得できた原文掲載ページでは、見出しも本文も「倭國」でした

★どちらが本文で、どちらが版本による違いなのかを、本台帳は確認できていません。

「俀」の字が選ばれた理由を説明する論考は見つかりましたが、私的な研究会の刊行物であり、 学界で広く共有された説明かどうかを確かめられませんでした。★したがって、その説明は載せません※1

★記事で「俀国」と書くなら、まず校訂本で確かめてください。

★この史料が、日本側の記録と合わない点#

この史料でいちばん重いのは、ここです。

1. 600年の遣使を、『日本書紀』が記していないとされること有力説※3

『世界大百科事典』の「遣隋使」の項は、こう書いています(逐語)。

600年(推古8,開皇20)に使者をつかわしたことが《隋書》に見えるが,この遣使については日本側の史料がない

2. 倭王が、男の王として書かれていること論争中※3

この記事の倭王には、妻がおり、後宮に多くの女性がおり、太子がいます。 日本側の年の当てはめでは、600年も607年も推古天皇——女帝——の治世にあたります。

この2点について、日本の公的機関が正面から説明したページには、本台帳は到達できませんでした※4探した経路は、末尾の表に書きました。

原本はあるか#

★ありません。そして、この史料でいま読める本文の系統を、本台帳は追いきれていません。

唐が編んだ時点の原本は現存しません定説。 中国の正史は宋代以降に繰り返し刊行され、校訂を重ねて伝わっています有力説

★本台帳が実際に確認できたのは、日本に伝わった刊本の系統だけです。

機関記述(逐語)
国立国会図書館サーチ(和刻本正史『隋書』の書誌)編纂「魏徴 等奉勅撰」/「高松藩学講道館天保14-15年刊内閣文庫蔵本の複製」(古典研究会・汲古書院、1971年)
人文学オープンデータ共同利用センター/国文学研究資料館(日本古典籍データセット)「目録,巻一〜八五」/刊年「天保15」/注記「万暦26年刊の後刻

★つまり、たどれたのは19世紀の和刻本と、その元になった1598年(万暦26年)の刊本までです。 それより古い刊本が何であるかを、本台帳は確認していません※5

★そして、いま参照される校訂本(中華書局の点校本など)の底本と校訂の方針も、確認できていません※5

後世の手#

1. 唐が、隋を書いている。

前の王朝を次の王朝が書くという形そのものが、記述の性格を決めます有力説

2. 東夷伝という枠がある。

倭の記事は東夷伝に置かれています。 中華王朝の外交秩序のなかで各国がどう位置づけられたかを記す文脈であり、 その枠組みそのものが記録者の側のものです有力説。 S-J002(『宋書』夷蛮伝)・S-J011(『晋書』四夷伝)と同じ構造です。

3. ★受け取った側の記録である。

「日出づる処の天子」の一節に続くのは、隋の皇帝が悦ばなかったという記述です。 ★これは、国書を受け取った側が、自分の不快を記録したものです。 送った側が何を意図したかは、この史料からは出てきません定説

4. ★倭王の名は、漢字で音を写したものである。

「阿毎多利思比孤」「阿輩雞彌」「利歌彌多弗利」は、漢字で音を写した表記です有力説★どの音を、どう写したのかは、写した側の耳と字の選び方に依ります。 これを日本側の何にあてるかは、この史料の外側の議論です。

どこで読めるか#

  • 国立国会図書館サーチ(https://ndlsearch.ndl.go.jp/)で、和刻本正史『隋書』ほかの書誌を引くことができます【定説:書誌の存在として】
  • 人文学オープンデータ共同利用センターの日本古典籍データセット(https://codh.rois.ac.jp/pmjt/)に、国文学研究資料館所蔵の天保15年刊本が収録されています【定説:書誌の存在として】
  • 国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、『隋書』の全文の和訳の有無についての回答が公開されています。そこでは全文の和訳本は確認できなかったとされ、部分訳の刊行物が紹介されています【定説:記述の事実として】※6
  • 漢籍の原文を掲載したオンラインの叢書があり、巻81 東夷伝の該当箇所を読むことができます。★これらは公的機関の刊行物ではありません※1

★「隋書にこう書いてある」として、短い引用だけが流通しています。 ★とくに「日出づる処の天子」の一節は、原文・訓読・現代語訳が、出所を示さないまま繰り返し引かれています。 本台帳が確認できたのも、公的機関の刊行物ではない原文掲載ページまでです※1

典拠にするときの注意#

★この台帳自体は、記事や論文の典拠にできません。 実際に参照した校訂本と研究を直接あげてください。

  1. ★「俀国」と書くなら、校訂本で確かめてから書く。 本台帳が取得できた原文掲載ページは「倭國」だった※1
  2. 成立年は「帝紀・列伝の年」か「志を含めた年」かを添える。 636年と656年は、同じ経過の別の端である可能性が高い。629年は揃わない※2
  3. ★「日出づる処の天子」を、送った側の意図として書かない。 この史料に書かれているのは、受け取った側が悦ばなかったということである
  4. ★倭王の名を、日本側の誰かにあてる説を、この史料の記述として書かない。 史料にあるのは音を写した漢字表記までである
  5. ★600年の遣使が日本側の記録に無いとされる件を書くなら、出所を明示する。 本台帳が確認できたのは事典の記述までで、公的機関の説明には到達していない※3※4
  6. 7世紀の唐が編んだものである。 隋の同時代の記録ではない
  7. 原文を引くなら、出所が公的機関の刊行物かどうかを、記事の側に書く。 本台帳が到達できた範囲では、そうではない※1

この台帳の未確認事項#

番号どういう種類か内容確認できたら何が変わるか
※1情報が食い違っている巻81 東夷伝の国名表記が「倭國」か「俀國」か。事典・解説の側は「俀国」とし、本台帳が取得できた原文掲載ページは「倭國」だった。校訂本で確認していない。 また原文の取得元は公的機関の刊行物ではないどちらが本文でどちらが版本による違いかが決まり、記事で表記を書けるようになる。 この台帳でいちばん効く未確認事項である
※2情報が食い違っている成立年が事典ごとに割れている(636/656/629)。いずれも事典の記述であり、原典に当たっていない「『隋書』は何年の本か」を、割れの理由まで含めて書けるようになる
※3二次情報から引いている600年の遣使が日本側の記録に無いとされる件と、倭王が男の王として書かれている件。確認できたのは事典と、発表媒体を特定できなかった論考までであるこの2つの食い違いについて、いま何が言われているかを書けるようになる
※4この記事では手が回っていない日本の公的機関(文化庁・国立歴史民俗博物館・奈良文化財研究所)が『隋書』倭国伝や「日出づる処の天子」をどう説明しているか。各機関のサイトを検索したが、解説しているページを見つけられなかった。文化庁の関連ページ2件は取得できたが、『隋書』への言及が無かった公的機関がこの史料をどう位置づけているかを書けるようになる
※5この記事では手が回っていない現存最古の刊本と、版本による本文の異同。たどれたのは天保期の和刻本と、その元とされる万暦26年(1598年)刊本までである。 中華書局の点校本の底本と校訂方針も未確認「いま読んでいる本文がどこまで確からしいか」を具体的に書けるようになる
※6この記事では手が回っていない部分訳の刊行物の内容と、訳者による異同読者への案内が正確になる
この記事では手が回っていない遣隋使の回数と、その内訳。「600年以来4回」とする事典の記述に当たったが、内訳の裏付けを取っていない回数を書けるようになる