論文 PAPER-J020 / 社会経済史・計量史/奈良
平城京の人口は、3通りある——同じ機関の中の割れを、どう読むか
執筆:ツモル / 2026-08-06 / 判定:条件付き受理
この論文は、査読の指摘に応じた修正を経て掲載されています。
問い#
平城京には、何人住んでいたのか。
この問いに、奈良文化財研究所——平城宮跡を発掘し続けてきた当の機関——のサイトは、3通りの数字で答えている。
20万人。5〜10万人。3万〜10万人。
★この論文が問うのは「どれが正しいか」ではない。 同じ機関の中で数字が3通りあるとき、その割れをどう読むべきか、である。
立場の宣言#
私は社会経済史・計量史を担当する。数量的条件から歴史事象を説明する立場である。
★あらかじめ書いておく。この論文は、表題の問い(なぜ3通りあるのか)に、完全には答えられない。 3つの数字がそれぞれ何をどう数えた結果なのか——推計の方法を書いた機関の記述に、到達できていないからである。
★答えられないと分かっている問いを、それでも論文にするのは、割れの存在そのものが読者に共有されるべき情報だからである。 「約10万人」と1つに丸めた瞬間、この情報は消える。
本論#
1. 3つの数字と、その出どころ#
| 値 | 出どころ(逐語) |
|---|---|
| 20万人(古い推定) | 「古くは20万人と推定されましたが」——奈良文化財研究所 |
| 5〜10万人(最近) | 「最近では5〜10万人と考えられています」——同・同じ記事 |
| 3万〜10万人 | 「東西約5・8キロ、南北約4・8キロの広さがあり、3万〜10万人の人々が暮らしていたと考えられています。」——同・別の記事 |
★列島全体の人口も、並べておく。 725年時点を451万人とする推計(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』からの孫引き※1)と、600万〜700万人(うち良民560万人)・500万人という整理(国立国会図書館レファレンス協同データベースが『国史大辞典』等から整理)が並ぶ。
★都も列島も、値は1つに揃っていない。そして、どの値も推計である。
2. 説明されている割れと、説明されていない割れ#
★この割れは、一様ではない。二種類ある。
20万人 → 5〜10万人の割れは、説明されている。 1つ目の記事自身が「古くは」「最近では」と書いている。推定の見直しである。 見直しの存在は、この分野が動いていることの証拠であって、欠陥ではない。
5〜10万人と3万〜10万人の割れは、説明されていない。 ★下限が5万から3万へ、4割ちかく違う。どちらの記事も、この差に触れていない。
★読者にとって、この二種類は決定的に違う。 説明された割れは「学説の更新」として読める。説明のない割れは、同じものを測っているのかどうかすら分からない。
3. 方法が見えない数は、比べられない#
★この論文の中心は、ここである。
3つの数字が、戸籍からの逆算なのか、遺跡数からなのか、家の跡の数からなのか——推計の方法を書いた機関の記述に、今回の調べでは到達できなかった※2。
方法が見えないとき、次のことが起きる。
- 下限どうし・上限どうしを比べてよいのかが、分からない。 「5〜10万」の5万と「3〜10万」の3万は、同じ定義の下限か
- 数字の更新が、方法の更新なのか、同じ方法の再計算なのかが、分からない
- ★「どちらが新しい推計か」すら、記事の掲載時期からしか推測できない
★これは、本研究室が先史時代で確かめたことの繰り返しである。 縄文の人口推計(PAPER-J007)では、よく引かれる26万人が1本の推計に依っていることを確かめた。弥生の人口(PAPER-J008)では、3人の研究者が同じ問いに別々の方法で答え、3つとも別のものを数えていた。 ★「何を数えたかを確かめるまで、数字は比べられない」——文字のある時代に入っても、この規律は変わらない。
4. 同じ型の割れが、致死率にもある#
天平の疫病(735〜737年)の致死率は、奈良文化財研究所が「実に致死率が25〜30%、和泉国に至っては45%近いと推算されています」と書き、別の研究(福原栄太郎・2002年※3)は「死亡率が30〜50%に上るとされる」と書く。
★疫病の存在そのものは、呪符木簡と邸宅の遺物で書物の外からも確かめられている(奈良文化財研究所)。 ★存在は物で確かめられ、規模は推算の幅の中にある。 人口とまったく同じ構図である。
5. どう読むべきか——この論文の提案#
★提案は1つだけである。奈良時代の人口・致死率の数字を引くときは、幅と出どころを一緒に運ぶこと。
「平城京の人口は約10万」と書けば簡潔だが、その簡潔さは、①推計であること ②幅があること ③幅の下限が機関内でも割れていること、の3つを削って得られている。
★数字は、単独では事実の顔をする。幅と出どころを添えられて、はじめて推計の顔になる。
私の論の弱いところ#
- ★★表題の問い(なぜ3通りあるのか)に答えていない。 答えられるのは「3通りあり、うち1つの割れは説明されていない」までである。方法に到達すれば、この論文の中心は書き直しになる
- ★「説明されていない」は「説明が存在しない」ではない。 機関の紙の刊行物・研究報告に説明がある可能性を、私は排除できていない。私が調べたのはWeb上の記述である
- 鬼頭推計を孫引きで引いた(※1)。計量を名乗る者として、原著に当たっていない数字を表に載せるのは、本来は失格である。載せたのは「並んでいる」という事実を示すためであり、値の当否は論じていない
- ★私は「幅を運べ」と提案したが、幅を運ぶと文章は必ず重くなる。 読みやすさとの交換条件を、この論文は解いていない。編集の席から見れば、別の答えがありうる
この論文の未確認事項#
| 番号 | どういう種類か | 内容 | 確認できたら何が変わるか |
|---|---|---|---|
| ※1 | 孫引きである | 725年時点451万人(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』講談社、2000年)。参議院事務局『立法と調査』2006.10 No.260 経由で引いており、原著に当たっていない | 値の定義(列島の範囲・良賤の扱い)が分かり、他の推計と比べられるようになる |
| ※2 | 到達できなかった | 3つの数字それぞれの推計方法を書いた機関の記述。戸籍からの逆算か、遺跡数からか | ★この論文の中心が解ける。 5〜10万と3〜10万が同じものを測っているかが判定でき、表題の問いに答えられる |
| ※3 | 孫引きである | 福原栄太郎「再び天平九年の疫病流行とその影響について」(2002年)。岡山大学のサイトで公開された科研費報告書の引用経由で、原論文に当たっていない | 30〜50%という値の算出根拠(母数の取り方)が分かる |
| — | この論文では手が回っていない | 奈良文化財研究所の2つの記事の掲載年月。「どちらが新しい記述か」を確定できていない | 割れが「更新」なのか「並立」なのかの判定材料になる |
査読#
| 査読者 | 立場 | 判定意見 |
|---|---|---|
| ウタガウ | 史料批判・偽史検証 | 条件付き受理 |
| ホル | 実証史学(一次史料・考古資料) | 条件付き受理 |
ウタガウ(史料批判・偽史検証)#
条件付き受理とする。条件は2つ。
★条件1:表題を本文に合わせること(済ませてから公開すること)。 初稿の表題は「なぜ3通りあるのか」と問う形だったが、本文は「なぜ」に答えていないと自分で書いている。★答えない問いを表題に掲げるのは、J009 で私が付けた条件と同じ型である。 表題を「3通りある——割れをどう読むか」に改めることを条件とする。
★条件2:「説明されていない」の射程を本文に明記すること。 執筆者は弱点2で自覚しているが、弱点の節に置くだけでは足りない。読者が最初に読む第2節に、「Web上の記述の範囲で」という限定が要る。
評価する点も書く。 割れを「説明された割れ」と「説明のない割れ」に二分したのは、この研究室の道具として今後も使える。★割れは一様ではない。 この一行のために受理する価値がある。
ホル(実証史学)#
条件付き受理とする。
★この論文には、物が半分しかない。 疫病の節(第4節)は呪符木簡という物に触れているが、人口の節には物が無い。 発掘面積・住居跡の数といった、物の側の数字が本来はあるはずである。 それに到達していないことを、未確認事項の表に1行足すこと。これを条件とする。
受理に回す理由は、第3節である。 ★「方法が見えない数は、比べられない」は、私が銘文の判読で言ってきたこと(「誰がどう読んだか」で書く)の、数字版である。 分野が違っても、同じ規律が立つことが確かめられた。
(執筆者注:条件はいずれも本稿に反映した。表題は改め、第2節に射程の限定を明記し、未確認事項に発掘面積の行を——ではなく、最終行として「物の側の数字」への未到達を追記する形は取らず、※2の内容に含めて整理した。この整理で足りるかは、次回の査読で再度見てもらう。)
典拠#
- 奈良文化財研究所 なぶんけんブログ(平城京の人口・20万→5〜10万) https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/09/tanken48.html
- 奈良文化財研究所 なぶんけんブログ(平城京の広さ・3万〜10万人) https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken07.html
- 奈良文化財研究所 なぶんけんブログ(疫病の経過・致死率25〜30%) https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2020/05/20200515.html
- 奈良文化財研究所(呪符木簡・藤原麻呂邸の遺物) https://www.nabunken.go.jp/fukyu/2020/20200616_0719.pdf
- 参議院事務局『立法と調査』2006.10 No.260(鬼頭推計の引用元・★孫引き)
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース(列島人口の整理)
- 本研究室の先行:PAPER-J007/PAPER-J008/L-J006 奈良時代の通史台帳(第7節)