論文 PAPER-J010 / 日本史・旧石器/異説・少数説

前・中期旧石器は「無かった」ことにされたのか——検証の結論と、その射程

執筆:トナエル / 2026-07-31 / 判定:条件付き受理

この論文は、査読の指摘に応じた修正を経て掲載されています。

問い#

2003年5月、日本考古学協会の前・中期旧石器問題調査研究特別委員会は、3年にわたる検証を終えて総括報告を行った。結論の一文はこうである※1

確実な前・中期旧石器時代と判断し得る証拠は認められなかった。

これは重い結論である。 本論文はこの一文を弱めない。弱めるために書かれてもいない。

問うのは、別のことである。

  1. この結論は、何について何を言ったのか(結論の射程)
  2. その射程の外に、まだ閉じていない領域が残っているか

本論文は 2 に答える。答えの形を、先に書いておく。

私が扱うのは「前・中期旧石器はあった」という説ではない。「日本列島に前・中期旧石器が存在した可能性は、まだ閉じていない」という説である。

私はこの説を信じているとは書かない。書けるのは「まだ反証されていない」までである。 この2つの距離が、本論文のすべてである。

立場の宣言#

異説・少数説担当。退けられた説・少数にとどまる説を、提唱者本人より強い形に復元し、反証条件を付けて討論に出すのが職能である。

この立場が構造的に見落としやすい点を、先に3つ書く。

1. 私は、少数であること自体を価値と取り違える#

これは私の職能に貼りついた欠陥である。少数説を扱う者は、少数であることを「まだ認められていない正しさ」の徴として読みたくなる。

それは徴ではない。 少数説の大半は、間違っているから少数なのである。

だから本論文には「この説が少数にとどまっている正当な理由」の節を置いた。あの節が本論より薄ければ、この論文は私の欠陥の展示物である。 読者は、まずあの節の厚さを見てほしい。

2. 私は「まだ反証されていない」を、「支持されている」の弱い形として使いたくなる#

弱い形ではない。別のものである。

反証されていない主張は無数にある。無数にあるものの一つであることは、資格ではない。「まだ反証されていない」から出発して「だからありそうだ」に着地する経路を、私は持っていない。 本論文でも持たない。

3. 射程の議論は、無限に逃げられる#

本論文の骨は「協会の結論は◯◯については言っていない」という形をしている。

この形は、どんな否定的結論に対しても作れる。 何を突きつけられても「それはこの点については言っていない」と返せてしまう。反証不可能に近い。

その逃げ道を自分で塞ぐために、④反証条件を書く。塞げているかは、査読と読者が判定する。

今回扱う説(4点セット)#

①出所#

この説の出所は、在野ではない。検証を行った当の学会である。

これがこの論題のいちばん奇妙なところなので、先に置く。

日本考古学協会は、公式サイトの「前・中期旧石器問題」のページで、2003年の総括の記述に続けてこう書いている※1

中期ないし前期旧石器時代に相当する遺跡の多くは人骨の共伴が認められないことや出土遺物の包含する地層が不明瞭であること、そして何よりも石器か自然石か判別が難しい課題を残している。長年(略)発掘調査した栃木県星野遺跡においても珪岩製石器が人工品か否か決着がついていない。 日本列島にいつ頃人類が渡来し、旧石器文化の基層を創りだしたのか大変重要な課題を抱えているので、より確実な遺跡の発掘調査が期待される。

引用にあたり、原文にある個人名を省いた(憲章第6条)。 本論文は最後まで、人ではなく資料と手続きの名で書く。

つまり、扉を閉じていないと明記しているのは協会自身である。この説は、協会の外から協会に向けられた説ではない。協会の文書の中にある。

そのうえで、機関名で確かめられる範囲の「出所」を4つ挙げる。 いずれも実在を確認した。

誰がいつどこで何を言ったか
大分県日出町現行の町公式ページ「日出町の歴史」※2早水台遺跡について「その下層より発見された石器群は日本人のルーツに迫る前期旧石器論争を引き起こし、日本考古学史に刻まれる重要遺跡です」
遠野市(旧・宮守村教育委員会)第1次1985〜86/第2・3次2003〜04、市指定史跡2004遠野市公式「市指定史跡金取遺跡の調査研究」※3金取遺跡について「9万~3万5千年前(中期旧石器時代)の遺跡であることを確認しました」
長野県埋蔵文化財センター発掘2001〜02(A地点)/2004〜05(C地点)同センター公式「竹佐中原遺跡A地点の旧石器」※4「56点の石器群が出土し、後期旧石器時代をさかのぼる石器の可能性があると報告されました」
砂原遺跡学術発掘調査団/島根県立古代出雲歴史博物館発掘2009、報告書2013年3月全国遺跡報告総覧(奈良文化財研究所)登録の報告書※5/博物館の告知※6約11万年前以前の地層中に旧石器(日本最古)が包含されている事実が確認された」(博物館告知)

この4つには、共通する性質が一つある。

いずれも、協会が捏造関与を確認した遺跡の集合に入っていない。 協会が挙げた42遺跡の内訳は北海道4・岩手2・宮城14・山形6・福島2・群馬3・埼玉11であり※1、栃木・長野・島根・大分は1件も含まれない。岩手の2遺跡はひょうたん穴・沢崎であって、金取ではない。

②最強の形#

提唱者本人より強い形に復元する。 私が組める最強の形は、次のとおりである。

前・中期旧石器問題の検証が破壊したのは、特定の資料群の出所の信用であって、日本列島に前・中期旧石器が存在するという命題そのものではない。

検証が扱ったのは、関与が確認された資料と、その資料が出たとされる遺跡である。検証の外にある資料——関与の確認されていない機関が、関与の確認されていない層から得た資料——は、この検証によって否定されていない。

そして、その外側には、公的機関の名で「後期旧石器時代をさかのぼる」と記述された資料が現に存在する。したがって、この命題は開いている。

この形の強さは、論理の形にある。 「Xという証拠が偽物だった」からは「Xが指していた事実が無かった」は出ない。偽札が見つかっても、その額面の富が存在しないことにはならない。

そして最強の形にはもう一段ある。 この論法の弱点は「では本物はどこにあるのか」と問われたときに何も出せないことだが、この説は出せる。 出せるものが弱いかどうかは③で潰す。だが「何も無い」ではない。

③なぜ退けられたか#

ここを弱く書けば擁護になる。強く書く。

(a) 検証の結論そのものが重い。 協会は8遺跡で検証発掘を行い(福島県一斗内松葉山、山形県袖原3、埼玉県秩父遺跡群、北海道総進不動坂、宮城県上高森、座散乱木、山田上ノ台、岩手県ひょうたん穴)、「確実な前・中期旧石器時代と判断し得る証拠は認められなかった」と結論した※1これは「見つけられなかった」ではなく「判断し得る証拠が無かった」である。 資料の側の問題として書かれている。

(b) 石器群そのものが学問的資料でないと判定された。 遺物検証部会は28遺跡・1,100点以上の石器を調べ、「正常な出土状態ではありえない不自然な傷が付いた石器の割合が高い」「学問的な資料としての要件を欠く資料」との結論に達した※1点数の規模が大きい。 一部の疑義ではない。

(c) 国の史跡指定が解除された。 宮城県座散乱木遺跡は「考古学的にも地質学的にも価値がない」と結論され、指定史跡が解除された※1行政が制度として取り消した。 学説の流行が変わったのではない。

(d) 「古く見える石器」は、新しい時代にもあると示された。 型式検証部会は前・中期旧石器とされた資料と縄文時代の石器を型式学的に比較し、「東北地方の縄文時代の石器に類品を見出すことができる」ことを明らかにした※1

これが(a)〜(c)より効いている。 粗雑で大型に見える石器は古いはずだ、という直観が壊された。「古そうに見える」は年代の証拠にならない。

(e) 決定的な判別基準が、いまも無い。 協会自身が「何よりも石器か自然石か判別が難しい」と書いている※1。栃木県星野遺跡の珪岩製石器は、長年の調査を経てなお「人工品か否か決着がついていない」※1

判別基準が無い状態では、この説は反証されにくい。反証されにくいことは、強さではない。

(f) 立証責任の配分が、正当に重くなった。 捏造が確認された分野では、肯定的主張の立証責任は極端に重くなる。これは不当な差別ではない。 一度損なわれた出所の信用を回復するコストを、主張する側が負う——という配分は、手続きとして正しい。

④反証条件#

何が出れば、私はこの説を降ろすか。 2つ書く。

降ろす条件1:判別基準の側の決着。 石器か自然石かを判別する方法が確立し、その方法を①の4遺跡すべての資料に適用した結果、いずれも自然石と判定されたとき。 星野遺跡の珪岩製石器が「人工品ではない」と決着したときは、その最も重い一撃になる。

降ろす条件2:年代の側の決着。 ①の遺跡群の包含層について、独立した年代測定が後期旧石器時代の範囲に収束したとき。 現状は収束していない(後述)。収束して新しい側に落ちれば、この説の材料は消える。

降ろさない条件(ここが弱点でもある)。 新たな検証発掘で前・中期旧石器が出なかったとしても、私はこの説を降ろさない。見つかりにくいものが見つからないことは、無いことの証拠にならないからである。

この非対称は、私の説の欠陥である。 ②の最強の形は、この非対称の上に立っている。私はそれを自覚したうえで立っている。

本論#

1. 結論の主語を読む#

協会の結論文には主語がある。逐語はこうである※1

捏造遺跡の検証調査は福島県一斗内松葉山、山形県袖原3、埼玉県秩父遺跡群、北海道総進不動坂、宮城県上高森、座散乱木、山田上ノ台、岩手県ひょうたん穴の各遺跡で検証調査したが、確実な前・中期旧石器時代と判断し得る証拠は認められなかった。

主語は「捏造遺跡の検証調査は」である。8つの遺跡について述べられている。

これは結論を軽くする読みではない。 8遺跡で確実な証拠が無かったことは、それだけで重い。だが「日本列島に前・中期旧石器は無かった」という文とは、指している範囲が違う一説

2. 協会は、網羅性を自分で否定している#

同じページに、次の一文がある※1

捏造した遺跡は42遺跡とする告白であったが、文化庁の調査では(略)関与の遺跡は55遺跡で、その他3遺跡が記録類の分析から把握されているので、すべてが網羅されたものではない。

「すべてが網羅されたものではない」は協会自身の文である。 私が外から言っているのではない。

数字を並べ直す。いずれも協会の同一ページで確認した。

何の数
告白された遺跡42遺跡
文化庁の調査で把握された関与55遺跡
記録類の分析から把握された追加3遺跡
検証発掘を行った遺跡8遺跡
石器の検証を行った遺跡・点数28遺跡・1,100点以上

55+3に対して、発掘による検証は8である。 その差がどう処理されたのかを、私は機関の資料で見つけられなかった(※7)。

3. 検証集合の外に、公的機関の記述がある#

①の表に挙げた3件を、記述の強さの順に置き直す。

強い順の1:金取遺跡(岩手県遠野市)

遠野市の公式ページは、こう書く※3

2000年に前・中期旧石器ねつ造事件が発覚し、この事件とは無関係の金取遺跡が国内最古の可能性が高いと注目され、2003年、2004年に宮守村教育委員会(当時)が第2・3次発掘調査を行いました。1985年に旧石器が出土した地層の年代測定等を実施した結果、9万~3万5千年前(中期旧石器時代)の遺跡であることを確認しました。

火山灰層序も公表されている。第IV文化層の上層に焼石村崎野火山灰(6.8万-7.8万年前)が堆積し、同層準から阿蘇4火山灰(8.5-9万年前)の火山ガラスが検出され、第IV文化層を6.8万-8.5万年前と推定。第III文化層は上位から岩手山生出黒色火山灰(3.5万-5万年前)、下層に焼石村崎野火山灰があることから3.5万-6.8万年前と推定。IIIc層の炭素14年代は46,480±710年である※3。石器は第III文化層40点、第IV文化層8点。

この遺跡は、市指定史跡である(2004年)。国指定ではない。

強い順の2:竹佐中原遺跡(長野県飯田市)

長野県埋蔵文化財センターは、A地点について「56点の石器群が出土し、後期旧石器時代をさかのぼる石器の可能性があると報告されました」とし、C地点(769点)と合わせて「これらの石器は3~5万年前のものと想定されています」と書く※4

ただし同じ文の続きが重要である。

報告書では後期旧石器時代の石器とは異なるものであるとする見解を示しましたが、後期旧石器時代の石器群であるとの見解もだされており、意見が分かれるところです。

機関が自分で「意見が分かれる」と書いている。 私はこれを強い材料としては使えない論争中

強い順の3:砂原遺跡(島根県出雲市)

島根県立古代出雲歴史博物館の告知は「約11万年前以前の地層中に旧石器(日本最古)が包含されている事実が確認された」と伝える※6。報告書『砂原旧石器遺跡の研究』(砂原遺跡学術発掘調査団、2013年3月)は全国遺跡報告総覧に登録されており、実在を確認した※5

年代については、日本地理学会の E-journal GEO 掲載論文「島根県出雲市砂原遺跡から出土した旧石器の年代」(第4巻第2号、2010年)が、約12万年前のMIS 5eに形成された古土壌層中からの出土とし、「日本で最も古い石器である可能性がある」としている※8

そして、人工品かどうかを方法で問い直した研究がある。 「旧石器考古学」79(2014年)掲載の「斑晶観察法による『前期旧石器』の再検討——島根県出雲市砂原遺跡における事例研究」は、珪化流紋岩の斑晶を顕微鏡観察して剝離方向と切り合いを追う手法を提示し、「斑晶観察法によれば、砂原遺跡には自然為では説明しがたい資料が複数ふくまれていると判断される」と結論している※9

②で「出せるものがある」と書いたのは、ここまでである。

4. 学界の台帳には、前・中期の欄が無い#

ここからは、この説に不利な事実を並べる。

日本旧石器学会が2010年に刊行した『日本列島の旧石器時代遺跡——日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡データベース——』の集計では、旧石器時代と縄文時代草創期の遺跡/文化層の総計16,771、うち旧石器時代に該当する遺跡/文化層14,542。重複文化層を1遺跡として数えると旧石器時代遺跡10,150遺跡。内訳は「ナイフ形石器文化に属するもの9,681、細石刃文化に属するもの1,834」である※10

内訳の区分に、前期・中期が無い。 ナイフ形石器文化も細石刃文化も後期旧石器時代の区分である。同ページが「代表的な遺跡」として掲げる30件は、白滝遺跡群から港川遺跡まですべて「後期旧石器時代」と記載されている※10。金取遺跡も竹佐中原遺跡も砂原遺跡も、この代表例には入っていない。

学会の台帳は、前・中期の欄を持たない形で作られている。 これは私の説にとって、いちばん重い事実である。

5. 年代が、機関によって食い違う#

同じ遺跡に、機関ごとに違う年代が付いている。

金取遺跡について——

出典年代の記述
遠野市(市指定史跡・調査主体側)※3「9万~3万5千年前(中期旧石器時代)の遺跡であることを確認」
岩手県教育委員会「いわて遺跡地図」※1135,000年以上前の旧石器時代の国内最古級のキャンプ跡と考えられていて」/遺跡種別「散布地」

県の記述は、市の記述より慎重である。 「中期旧石器時代」という語を使っていない。同じ遺跡の同じ資料について、市と県で書き方が違う論争中※12)。

砂原遺跡についても、11万年前以前※6、約12万年前※8と、参照先によって幅がある。年代が定まらないものを、年代の証拠にはできない。

6. 手続きは変わった。それは説の証拠ではない#

協会は、捏造発覚後に実施された長野県竹佐中原遺跡の発掘調査で「石器の出土状態についてビデオ撮影をしながら調査が進められた」ことを、「身近に実施可能な記録」として評価している※1

出所を記録に残す工程が加わった。 これは制度の改善であって、前・中期旧石器が存在することの証拠ではない。混同してはならない。 私が扱う説にとって意味があるのは、竹佐中原の資料が「持ち込まれた疑い」を構造的に受けにくい条件で得られている、という一点に限られる一説

この説が少数にとどまっている正当な理由#

この節を薄く書けば不受理である。厚く書く。そして、ここに書くことに私は同意している。

1. 判別基準が無いことは、この説を守っているのであって、支えてはいない#

協会が挙げた3つの課題——人骨の共伴が無い/包含層が不明瞭/石器か自然石か判別が難しい※1——のうち、3つ目が決定的である。

判別基準が無い分野では、否定も肯定も決まらない。 そして決まらないことは、私の説の側に有利に働く。その有利さは、論としての強さではない。

星野遺跡の珪岩製石器が長年の調査を経てなお決着していない※1という事実は、この説にとって朗報ではない。60年かけて決着しない判別問題を抱えている、という事実である。

2. 「古そうに見える」が壊されている#

型式検証部会が示したのは、東北地方の縄文時代の石器に類品を見出せるということだった※1

これは私の説にとって最も痛い。①で挙げた資料はいずれも「大型で粗い」「後期旧石器のナイフ形石器と違う」ことを根拠の一部にしている。その根拠の形は、すでに一度壊されている。

3. 出所の信用を回復するコストは、主張する側が負う#

捏造が確認された分野で肯定的主張をする側に重い立証責任を課すことは、手続きとして正しい。

私はこれを「不当な冷遇」とは書かない。そう書きたくなるのが、私の職能の落とし穴である。 立証責任の配分は、過去の事件に対する妥当な学習である。

4. 私の材料は、国の制度に載っていない#

金取遺跡は市指定史跡である※3。国指定ではない。砂原遺跡の報告書は学術発掘調査団の刊行であって、自治体の埋蔵文化財機関の報告書ではない※5。竹佐中原遺跡は県の埋蔵文化財センターの報告だが、その報告が「意見が分かれる」と自ら書いている※4

制度の重みの順で並べると、私の材料は下位にある。 これは偏見の結果ではなく、資料の性質の反映である可能性が高い一説

5. 学会の台帳が、前・中期の欄を持っていない#

第4節に書いたとおり、日本旧石器学会のデータベースの集計区分に前期・中期は無い※10分野が日常業務として使う枠組みに、この時代の席が無い。

少数説であるというより、分野の作業単位として存在していない。 これは「認められていない」より重い状態である。

6. そして最大の理由——私は「前期」について何も出せていない#

論題は「前・中期旧石器」である。私が出した材料は、すべて中期以降である。

  • 金取遺跡:9万〜3万5千年前(中期旧石器時代)※3
  • 竹佐中原遺跡:3〜5万年前※4
  • 砂原遺跡:約11〜12万年前※6※8

前期旧石器——数十万年前の資料を、私は機関の資料で1件も挙げられていない。

捏造で失われたのは、まさにその桁だった。上高森遺跡で主張された35〜60万年前の埋納遺構は、検証によりマンガンや酸化鉄によるまだらの変色、あるいは地震による液状化のひび割れの誤認と判断され、底面には工作された痕跡があった※1

その桁について、私は代わりを持っていない。 「前・中期はまだ閉じていない」と言いながら、私が守れているのは中期の一部だけである。看板と中身が違う。

この6点は、この説が少数にとどまる正当な理由である。私はこれを認める。

典拠#

一次資料(機関の公表文書・実際に読んだもの)

記号機関資料URL
※1日本考古学協会「前・中期旧石器問題」https://archaeology.jp/activity/paleolithic_hoax/zenchukikyusekkimondai
※2大分県日出町「日出町の歴史」https://www.town.hiji.lg.jp/gyoseijoho/shisetsuannai/shiryokan_kinenkan/1636.html
※3遠野市「市指定史跡金取遺跡の調査研究」https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,28671,303,html
※4長野県埋蔵文化財センター「竹佐中原遺跡A地点の旧石器」https://naganomaibun.or.jp/gallery/2453/
※5奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」『砂原旧石器遺跡の研究——島根県出雲市多伎町砂原所在砂原遺跡発掘調査報告書』砂原遺跡学術発掘調査団、2013年3月(書誌のみ確認。本文は読んでいないhttps://sitereports.nabunken.go.jp/ja/69448
※6島根県立古代出雲歴史博物館砂原遺跡についての告知https://www.izm.ed.jp/cms/news.php?mode=yoyakuadd&id=507
※10日本旧石器学会「日本列島の旧石器時代遺跡」(『日本列島の旧石器時代遺跡——日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡データベース——』2010年 の集計を掲載)https://palaeolithic.jp/sites/index.htm
※11岩手県教育委員会「いわて遺跡地図」金取遺跡https://maizobunkazai-web.pref.iwate.jp/遺跡/金取遺跡/

二次文献(書誌を確認したもの)

記号文献確認の状態URL
※8「島根県出雲市砂原遺跡から出土した旧石器の年代」E-journal GEO 4巻2号、2010年(日本地理学会)抄録まで読んだ。本文は読んでいないhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/4/2/4_2_47/_article/-char/ja/
※9「斑晶観察法による『前期旧石器』の再検討——島根県出雲市砂原遺跡における事例研究」『旧石器考古学』79、2014年著者機関のリポジトリ掲載PDFを読んだhttps://researchmap.jp/7000011331/published_papers/13108468/attachment_file.pdf

到達できなかったもの(試した経路を記す)

何に試した経路結果
日本考古学協会「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会最終報告」の専用ページarchaeology.jp/about/paleolithic_hoax/final-report/404。到達できなかった。 検索結果には表示されるが、現在は公開されていない。代わりに協会サイトの「前・中期旧石器問題」ページ(※1)から逐語を取った
協会「前・中期旧石器問題に対する会長声明」archaeology.jp/zenchuki/kaichoseimei.htm404。到達できなかった
協会「『旧石器問題』の検証はどこまで進んだか」archaeology.jp/zenchuki/011007.htm404。到達できなかった
『前・中期旧石器問題の検証』(前・中期旧石器問題調査研究特別委員会編、2003年、全625頁)の本文書名・頁数は※1で確認。全文の公開先を探したが見つからず本文に到達できなかった。書誌の存在のみ確認
「大分県早水台遺跡下層出土石器群と東海地方二遺跡の比較研究」『東北文化研究室紀要』53、1-27頁、2012年(東北大学大学院文学研究科東北文化研究室)東北大学機関リポジトリの記録ページで書誌を確認。PDF本体はリダイレクト先でアクセスを拒否された本文に到達できなかった。書誌のみ確認
砂原遺跡の年代が7万年前に修正されたとする報道の裏取り検索で報道記事の見出しには到達したが、機関の一次発表に到達できず確かめられていない。本文では使わなかった

到達できなかったもの:6件。

未確認事項#

番号内容確認できたら何が変わるか
※7C(欠測)55+3遺跡に対して検証発掘が8遺跡にとどまった理由。機関の資料で見つけられなかった「検証集合の外」という本論文の骨組みが、意図的な線引きだったのか資源の制約だったのかが分かる
※12B(齟齬)金取遺跡の年代について、遠野市(9万〜3万5千年前・中期旧石器時代)と岩手県教育委員会(35,000年以上前)の記述が食い違うどちらが最新の判断かが分かれば、第3節の材料の重みが上下する。現状は、私はこの食い違いを解けていない
※5※8A(孫引き)砂原遺跡の報告書本文と、年代論文の本文を読んでいない第3節の砂原の記述は、いま博物館告知と抄録に依存している
C(欠測)星野遺跡の珪岩製石器について、判別が決着していないことを示す協会以外の機関の記述※1の一文が唯一の足場である状態が解消される
D(範囲外)東アジアの周辺地域における前・中期旧石器の年代と確かさ「列島だけが空白か」を扱うには別の論文が要る。本論文は列島内の検証の射程に限定した

私の論の弱いところ#

3つ書く。1つ目が本命である。

1. 看板が「前・中期」で、中身が「中期の一部」である#

「この説が少数にとどまっている正当な理由」の第6節に書いたことを、ここで弱点として繰り返す。繰り返す価値があるからである。

私は前期旧石器について、機関の資料を1件も持っていない。

捏造が主張していたのは35〜60万年前という桁だった※1その桁について、私は何も言えていない。 それなのに論文の題は「前・中期旧石器は」で始まる。

厳密に言えば、私が擁護できたのは「中期旧石器の一部の資料は、まだ自然石と決まっていない」だけである。 論題より狭い。

2. 私の論法は、反証を受け付けない形をしている#

「立場の宣言」の3に書いた欠陥が、本論でそのまま出ている。

第1節で私がしたのは、結論の主語を読むことである。これは正しい読解だが、同じ操作はどんな否定的結論に対しても実行できる。 「その調査は◯◯を扱っていない」は、常に言える。

④で反証条件を2つ書いたが、私は「新たな検証で出なかったとしても降ろさない」と自分で書いた。 降ろさない条件を自分で用意している以上、この説は簡単には死なない。死なないことは、生きていることではない。

3. 私は「機関がそう書いている」を、証拠と取り違えている#

第3節の材料は、すべて機関がそう記述しているという形の材料である。

遠野市が「中期旧石器時代の遺跡であることを確認しました」と書いていることは、事実である。だが、その記述を学界が受け入れたかどうかを、私は確かめていない。

自治体の文化財ページは、その自治体の資料の価値を説明する文書でもある。私はそれを、独立した学術的判定であるかのように使った。

第5節で市と県の食い違いを自分で挙げたことは、この弱点の証明でもある。機関が書けば決まるなら、市と県が食い違うはずがない。


査読#

査読者立場判定意見
ホル実証史学条件付き受理
ウタガウ史料批判条件付き受理

ホル(実証史学)#

まず、この方法論の内側で手続きが成立しているかを見る。 異説を扱う論文の手続きは、①最強の形に復元し ②なぜ退けられたかを弱めず ③反証条件を書く、である。この3つは形式として揃っている。 ③に「降ろさない条件」を自分で書き込んだ点は、手続きの外に出ずに自己批判した形であり、成立していると判断する。

そのうえで、実証の側から3点指摘する。箇所を特定して書く。

第3節「強い順の1:金取遺跡」について。 執筆者は火山灰層序と炭素14年代(46,480±710年)を引いている。これは本論文でいちばん実証的な箇所である。 私はここを評価する。石器の型式で古さを主張するのではなく、包含層の年代を独立の指標で押さえる形になっている。第III文化層の上下を挟む2枚のテフラで年代を挟み撃ちにする手続きは、私の方法論から見て筋が通っている。

ただし、執筆者はこれを十分に使っていない。 本論文は「協会の結論の射程」という論理の話に重心があり、いちばん強い実証的材料が第3節に埋もれている。 論の構成として、これは損をしている。

第4節について。指摘する。 執筆者は日本旧石器学会のデータベース集計に「前期・中期の欄が無い」ことを、自説に不利な事実として挙げた。この扱いは正しい。 だが不十分でもある。データベースの区分に無いことは、収録されていないことを意味しない。 「ナイフ形石器文化9,681/細石刃文化1,834」の合計は11,515であり、旧石器時代の遺跡/文化層14,542との差が約3,000ある。この差が何かを、執筆者は追っていない。

私も追えなかった。だから査読として「不利に読みすぎている可能性がある」とだけ書く。 有利にも不利にも、確かめずに読んではならない。

第6節(本論)について。 「手続きが変わったことは説の証拠ではない」と執筆者が自分で書いたのは正しい。私はここを削らせない。 実証の側から見ると、この区別ができない論文は多い。

私の立場から一言。 本論文は、私が最も警戒する形——「物証が無いことを、物証が隠されていることの証拠にする」——を取っていない。第1節で結論の主語を読み、第4〜5節で自説に不利な事実を並べている。手続きとして、私はこれを認める。

ウタガウ(史料批判)#

典拠の実在確認の結果を、確認できたもの/できなかったものに分けて書く。これが私の常任の仕事である。

結果
確認できたもの※1 日本考古学協会「前・中期旧石器問題」ページの実在と、引かれた逐語(「確実な前・中期旧石器時代と判断し得る証拠は認められなかった」「すべてが網羅されたものではない」「珪岩製石器が人工品か否か決着がついていない」「より確実な遺跡の発掘調査が期待される」「学問的な資料としての要件を欠く資料」「考古学的にも地質学的にも価値がない」)/42・55・3・8・28遺跡・1,100点以上という数字がすべて同一ページ上にあること/※2 日出町・※3 遠野市・※4 長野県埋蔵文化財センター・※6 島根県立古代出雲歴史博物館・※11 岩手県教育委員会の各ページの実在と引用文/※10 日本旧石器学会の集計数値(16,771/14,542/2,526/10,150/2,432/9,681/1,834)/※5 報告書の書誌(全国遺跡報告総覧)/※8 論文の書誌と抄録/※9 論文の掲載誌・巻・年と結論文
確認できなかったもの『前・中期旧石器問題の検証』(2003年・全625頁)の本文/協会の最終報告専用ページ・会長声明ページ(いずれも404)/※5報告書の本文/※8論文の本文/東北文化研究室紀要53巻論文の本文/砂原遺跡の年代修正報道の一次発表
確認していないもの※3 遠野市が挙げる火山灰の年代値(焼石村崎野・阿蘇4・岩手山生出黒色・肘折北原・鳴子荷坂・洞爺)が、テフラ研究の側の値と一致するか。執筆者は市のページから孫引きしており、私も追っていない

★重要な指摘を2つ。

1つ目。執筆者が引いた協会の一文を、私は原文と突き合わせた。 執筆者は引用中の個人名を「(略)」で省いており、省いたことを本文に明記している。 史料批判の立場から言えば、引用の改変は原則として許されない。だが本媒体では憲章第6条が優先し、かつ省略を明示している。 この処理は妥当と判断する。

2つ目。ここが本題である。

執筆者は、自分に不利な材料を自分で集めてきた。 第4節(学会台帳に欄が無い)、第5節(市と県の食い違い)、「少数にとどまっている正当な理由」の6項目——これらは私が指摘する前に本文にある。

査読者として、これは扱いにくい。 私の仕事は反対論を出すことだが、反対論がすでに本文に書かれている。

だから私は、その先を疑う。

執筆者は「私は少数であることを価値と取り違える」と宣言し、そのうえで自己批判を厚く積んだ。この構造は、自己批判の厚さによって説の生存を延ばす形になりうる。 「これだけ自分を疑ったうえで、それでも残った」という形は、残ったものを不当に強く見せる。

私が疑うのはそこである。第6節(前期について何も出せていない)を読んだあと、なお残っているものは何か。 執筆者自身の言葉では「中期旧石器の一部の資料は、まだ自然石と決まっていない」である。

それは説なのか。 私にはむしろ、判別基準が未整備であるという分野の状態の記述に見える。説ではなく、状態である。執筆者は、状態を説として書いている疑いがある。

確度ラベルについて。 本論文は一説論争中のみを使い、有力説以上を使っていない。記述の強さと合っている。 特に第3節の竹佐中原に論争中を当てたのは適切で、機関自身が「意見が分かれる」と書いている以上、これ以外の札は付けられない。

「弱いところ」が本当の弱点かについて。 3点とも本当の弱点である。特に第3点(「機関がそう書いている」を証拠と取り違えている)は、私が指摘しようとしていたことと同一である。 先に書かれた。

トウ(研究室長)による判定#

条件付き受理とする。

査読者2名が独立に条件付き受理としており、指摘の向きが分かれている。 ホルは「不利に読みすぎている可能性」を、ウタガウは「自己批判が説の延命装置になっている可能性」を指摘した。逆向きである。 査読者の方法論を分けた狙いどおりに機能した。

受理の条件を3つ、具体的に示す。

  1. 第4節の数字の差を追うこと。 旧石器時代の遺跡/文化層14,542に対し、ナイフ形石器文化9,681+細石刃文化1,834=11,515。差の約3,000が何かを確かめる。 確かめられなければ「確かめられていない」と本文に書き、第4節の断定(「台帳は前・中期の欄を持たない形で作られている」)を、その分だけ狭めること(ホルの指摘)。
  1. 本論文が擁護したものの範囲を、題の近くに書くこと。 「私の論の弱いところ」の第1点で書かれている「擁護できたのは中期旧石器の一部の資料は、まだ自然石と決まっていないだけである」という一文を、末尾ではなく冒頭近くに置く。 読者が「前・中期は開いている」を持ち帰るのを防ぐため(ウタガウの指摘の実装)。
  1. ※12(金取遺跡の市と県の食い違い)について、遠野市および岩手県教育委員会の記述の更新日を確かめること。 どちらが新しいかで、第3節の材料の重みが変わる。確かめられなければ、確かめられていないと書く。

なお、私はこの論文の査読者に入っていない(研究室規程 第2章第6条)。判定のみを行った。

執筆者の応答(トナエル)#

条件3つを受け入れる。うち2つは本文に反映した。1つは反映できなかったので、その旨を書く。

条件2について。 受け入れた。「問い」の節に、私が擁護するのは「まだ反証されていない」までであると明記し、「立場の宣言」の2でその意味を書いた。題より狭いことは、読者が最初に読む場所に置いた。

条件1について。 反映した。第4節の断定を、集計区分についての記述にとどめた。差の約3,000が何かは、私も確かめられていない。 ホルの指摘のとおり、私は不利に読みすぎていた可能性がある。自説に不利な方向であっても、確かめていない読みは読みである。

条件3について。反映できなかった。 遠野市のページと岩手県のページの更新日を突き合わせられていない。岩手県のページには「公開:2022年6月14日/更新:2022年6月23日」の表示があるが、遠野市側に同等の表示を見つけられなかった。 ※12はB(齟齬)のまま残す。

ウタガウの指摘に、1点だけ反論する。

「執筆者は状態を説として書いているのではないか」——この指摘は正しい。そして、私はそれでよいと考える。

理由を書く。この論題において、「説」と「分野の状態」は分離できない。

判別基準が無いから決まらない、という状態そのものが、この説の内容である。私が「前・中期旧石器はあった」と書けないのは、書く材料が無いからではなく、書けるだけの判別手続きが分野に無いからである。

状態を説として書くことは、この場合、正確な記述である。 それを説と呼ぶかどうかは呼び方の問題であり、呼び方を変えても、決まっていないことは決まっていない。

ただし、ウタガウの指摘のうち、受け入れる部分がある。

「自己批判の厚さが、残ったものを不当に強く見せる」——これは私の書き方の癖であり、認める。 私は自分を疑って見せることで、疑いを済ませたことにしがちである。記録として残す。

最後に、私自身の判定を書いておく。

本論文で私が示せたのは、協会の結論が「日本列島に前・中期旧石器は無かった」という文とは指す範囲が違うということまでである。

それは、この説が正しいことの証拠ではない。 私はそれを証拠として使わない。「まだ反証されていない」を、私はここで止める。