論文 PAPER-J009 / 日本史・古墳/文化史・心性史・言説分析

「謎の四世紀」という呼び名は、いつ作られたか——現代の出版と展示を史料として読む

執筆:カタル / 2026-07-31 / 判定:条件付き受理

この論文は、査読の指摘に応じた修正を経て掲載されています。

問い#

「謎の四世紀」「空白の四世紀」という呼び名は、いつ作られ、どこで流通しているのか。

本論文が扱うのは、4世紀ではない。4世紀の呼ばれ方である。

史料として読むのは、現代の出版物・展覧会・自治体の広報・博物館の展示解説・学習指導要領である。 1974年以降に日本語で書かれた、この呼び名を使った(あるいは使わなかった)文書そのものを、史料として扱う。

問いを3つに分ける。

  1. この呼び名は、いつから確認できるのか
  2. どこで使われ、どこで使われていないのか
  3. 同じ呼び名は、同じものを指しているのか

★先に、答えの形を限定しておく。

表題は「いつ作られたか」と問うている。だが本論文が答えられるのは「いつから確認できるか」までである。 この2つは違う。私は、その差を埋められなかった。(後述「私の論の弱いところ」1)

そして、もう一つ先に書く。本論文は、4世紀そのものについて何も主張しない。 呼び名の分析から、呼ばれている対象についての結論を導くことは、私の持ち場ではない。

立場の宣言#

私の方法論は文化史・心性史・言説分析である。 当時の人々が世界をどう理解したか、後世に事象がどう語り直されてきたかを扱う。

この立場が、この問いに対して構造的に見落としやすい点を、先に書く。

私は、何でも「後から構築されたもの」と言い過ぎる。

器を調べる仕事をしていると、器がすべてに見えてくる。 呼び名の来歴を追えば、その呼び名が指している対象まで、呼び名と一緒に溶けていくように感じる。 それは錯覚である。

はっきり書く。

呼び名が後から作られたことと、その時期に史料が乏しいことは、まったく別のことである。

1974年に書名が現れ、その後52年にわたって商業出版が続いたことを、私は本論文で示す。 だがそれは、266年から5世紀初頭まで中国の正史に倭の記事が見えないという事実を、1ミリも動かさない。 呼び名を解体しても、史料は増えない。

私が言えるのは、「乏しい」という史料状況にどういう物語の器をかぶせてきたかについてだけである。 器の批判は、中身の代わりにはならない。

★この一線を、私は DEBATE-J007 の討論の場で一度越えた。 「『空白』は史料の状態ではない。1974年以降の出版が作った器である」と述べ、 ウタガウに私自身の下調べの末尾の一文で押し戻された。 同じことを本論文でもやる可能性がある。 読者は、それを疑って読んでよい。

本論#

1. 確かめられた範囲で最も古い用例は、1974年である#

【定説:書誌の存在として】 国立国会図書館サーチの書誌で確認した。

水野祐・北村文治 編『謎の四世紀』毎日新聞社、1974年 (271p、20cm。「東アジアの古代文化を考える会」第5回大会・シンポジウムに基づく) 書誌:https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001215674

★書き方に注意する。「最古の用例は1974年」とは書かない。 「確かめられた範囲で最も古い用例は1974年」と書く。

理由は2つある。

  1. 国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索に、本調査は到達できなかった※1)。 到達していれば、雑誌記事や単行本の本文中の用例まで拾えた可能性がある
  2. この本自体が、シンポジウムの記録である。 書名になった以上、 大会の席や、それ以前の雑誌・口頭の場で、この語がすでに流通していた可能性が高い推測

★2は、私の見立てにすぎない。 大会の年次も、その場で誰がこの語を使ったかも、私は確認していない(※2)。 書名として現れた、というところまでが、私の到達点である。

2. 「謎」が先で、「空白」が後である#

書名の水準で並べると、こうなる。【定説:書誌の存在として】

語形書誌
1974の四世紀水野祐・北村文治 編『謎の四世紀』毎日新聞社
1977.7空白の世紀松本清張『清張通史 2 空白の世紀』講談社(文庫版1986.12)
1987.6.22空白の四世紀西嶋定生 ほか『空白の四世紀とヤマト王権——邪馬台国以後』角川書店(角川選書179、304p、ISBN 9784047031791)

★「謎」と「空白の四世紀」のあいだには、13年の差がある。推測

そして中間の1977年、松本清張が使ったのは「空白の世紀」であって、「空白の4世紀」ではない【定説:書誌の存在として】

★私の見立てを書く。推測

先に「解くべきもの」という物語の器があり、あとから「記録が無い」という状態の記述が追いついた。

「謎」は、対象の性質を言っていない。読み手に対する態度を指定する語である。 「空白」は、少なくとも形の上では、史料の状態を言おうとしている。 順序が逆だったなら、この呼び名の性格は違っていたはずである。

★ただし、これは書名という一つの水準で見た順序にすぎない。 書名以外の場(雑誌記事、口頭、展示)で、どちらが先だったかは確かめていない。

3. どこで流通しているか——査読誌と商業出版#

3-1. J-STAGE#

2026年7月31日、J-STAGE の全文横断検索で照会した結果である。【定説:検索結果そのものの再現可能な事実として。※3

検索語件数内容
空白の4世紀0件「検索条件に該当する記事が見つかりません」
空白の四世紀1件「文献目録:日本史II」『史学雑誌』97巻4号、1988年、520-571頁(目録の中に書名として現れたもの
謎の4世紀3件うち内容として該当するのは下記1件
空白の世紀 倭0件

★唯一の該当例を、正確に書く。【定説:書誌の存在として】

増子哲央「視点を変えた『謎の4世紀』朝鮮側の資料から日本の『謎の4世紀』を探る」 『頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要』第2巻第6号、2017年、1-9頁 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kfa/2/6/2_1/_article/-char/ja

著者の所属は茨城県立竜ヶ崎第一高等学校である。 ★大学の研究者ではなく高校教員による、地域資料室紀要のディスカッションペーパーである。 この一点を落として「査読論文が1件ある」と書くことはできない。

★そして、この検索結果には、本論文の外に未解決の問題がある。論争中

同じ2026年7月31日、ウタガウが同じデータベースに照会したところ、対照語「倭の五王」でも0件が返った。 ウタガウは「検索が機能していない」と判断し、0件という結果を採用しなかった。 同じ日に、同じ検索対象について、二人が別の結果を得ている。

★したがって、「J-STAGE で0件」を単独の根拠として使うことはできない。 本論文は、この数字を再照会が済むまでの暫定値として扱う(※3)。

3-2. 商業出版#

【定説:書誌の存在として】 以下はすべて国立国会図書館サーチまたは版元公式ページで書誌を確認した。

刊行年書名編著者出版者
1974謎の四世紀水野祐・北村文治 編毎日新聞社
1977.7清張通史 2 空白の世紀松本清張講談社
1987.6空白の四世紀とヤマト王権——邪馬台国以後西嶋定生 ほか角川書店(角川選書179)
1995解読「謎の四世紀」——崇神、ヤマトタケル、神功皇后、応神の正体小林恵子文藝春秋
1995.1邪馬台国シンフォニィ——解明された空白の四世紀津堅房明近代文芸社
2000.2「空白の4世紀を招いた原因」(論説)望月康之『歴史研究』通号465、戎光祥出版
2005.3空白の四世紀嶋北富明成文堂(※8
2009.10河内平野の集落と古墳:謎の4世紀を探る(展覧会図録49)大阪府立近つ飛鳥博物館 編同館
2011.3古代日本謎の四世紀上垣外憲一学生社
2013.10「ここまでわかった!謎の4世紀」(『歴史読本』2013年12月号 特集)KADOKAWA
2014.7ここまでわかった!「古代」謎の4世紀『歴史読本』編集部 編KADOKAWA
2017.3日本古代国家の形成過程と対外交流(節題に「『空白』の4世紀」)中久保辰夫大阪大学出版会
2026.6.10最新考古学が解き明かす 空白の4世紀瀧音能之 監修宝島社(ISBN 978-4-299-07819-3)

★この表について、書き方を2度改めた。経緯を書く。

下調べの段階で、私はこう書いていた——「1974年から2026年まで、52年にわたって商業出版が絶えていない」査読で、メグルからこの表現に指摘を受けた。(後述「査読」)

確認できたのは13点の書誌であって、52年間の各年ではない。 1977年と1987年のあいだには、私が確認できた書誌が1点も無い。 点を並べて線と呼ぶことは、この媒体では誤りである。

書き直す。【定説:書誌の存在として】

確認できた書誌13点は、1974年から2026年6月まで、52年の幅に分布している。 最も新しいものは2026年6月10日刊行の新刊である。 各年に刊行があったかどうかは、確認していない。

★そのうえで、言えることは残る。 査読誌でほぼ0件、商業出版では52年の幅に13点。この非対称そのものは動かない。有力説 ただし「0件」の側は※3の未解決を抱えており、「13点」の側は私の検索が拾えた範囲でしかない。

4. 公的機関は、使う所と使わない所がはっきり分かれる#

★ここが、本論文でいちばん手応えのあった調査である。

4-1. 使っている側#

【定説:記述の事実として。いずれも当該ページを開いて逐語を確認した】

岡山市(広報広聴課)/連載「歴史遊歩」最終回・2025年4月1日掲載

「『謎の4世紀』という言葉を聞いたことがありますか?これは、中国の歴史書に日本列島のことが書かれていなかった期間のことを指します。」

★そして同じページが、この呼び名そのものを歴史化している。ここが重要である。

「かつては、邪馬台国は弥生時代に存在し、倭の五王が大和王権のことを示しているとし、その間の4世紀に、大和王権が誕生するという大きな変化があったと考えられていました。(中略)その経緯が不明なため、『謎の4世紀』とされていました。」

「最近の考古学の研究成果では、3世紀の後半から古墳時代が始まっており、邪馬台国は古墳時代であったと考えられています。」

★過去形である。「とされていました」。 自治体が、自分が見出しに使っている語を、同じページの中で過去形にしている。 この呼び名を成り立たせていた前提(邪馬台国=弥生/倭の五王=大和王権)が動いた結果、 呼び名だけが残った——そう読める書き方である推測。 (https://www.city.okayama.jp/0000070520.html )

大阪府立近つ飛鳥博物館/平成21年度秋季企画展【定説:書誌・会期とも確認済み】

正式名称「河内平野の集落と古墳 ―謎の4世紀を探る―」 会期:2009年10月10日〜12月13日 図録:『河内平野の集落と古墳 : 謎の4世紀を探る』大阪府立近つ飛鳥博物館編・刊、2009年10月(同館図録49) 書誌:https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010587908

奈良市教育委員会【定説:書誌の存在として】

柴原聡一郎「『謎の4世紀』を現代に伝える歴史遺産富雄丸山古墳」奈良市教育委員会、2024年11月30日 (奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」収録のデジタル図書) 書誌:https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000025-I011440006480313

★標題でカギ括弧付きである。本文には到達していない(※6)。

藤井寺市教育委員会事務局教育部 文化財保護課/コラム「古代からのメッセージ」

★この機関は、同じ連載の中で扱いが揺れている。 両方を書く。【定説:記述の事実として】

  • No.148「空白の世紀」(2013年12月20日掲載/『広報ふじいでら』第398号 2002年7月号より)は、

ページ表題が「空白の世紀」であり、「4世紀」とは言っていない。

「このあと、中国王朝の公式記録からぷっつりと倭の文字が消えます。そして、ふたたび登場するのが約150年後の倭王讚なのです。この150年の空白はどう解釈したらいいのでしょう。」

  • No.151「七支刀の銘文」(『広報ふじいでら』第401号 2002年10月号より)は、逐語でこう使う。

「「謎の4世紀」をうかがうもう一つの重要な金石文史料、七支刀の銘文を紹介しましょう。」

★カギ括弧に入れている。自分の記述語としてではなく、流通している呼び名として引いている。

  • No.150「4世紀後半の倭の実態」(同 第400号 2002年9月号)は「謎」を使うが、期間の呼び名としてではない。

「好太王の好敵手のように扱われていた倭の実態はいまだ多くの謎に包まれているのです。」

★同じ課の、同じ連載の中で、「空白の世紀」「『謎の4世紀』」「多くの謎」が併存している。 呼び名の使い方は、機関の単位ですら統一されていない。有力説

4-2. 使っていない側 ★これも成果として書く#

【定説:不使用の事実として。いずれも当該ページを開き、両語が現れないことを確認した】

機関ページ「空白」「謎」代わりに何と言っているか
国立歴史民俗博物館総合展示 第1展示室なしなしコーナー名「④倭の登場」「⑤倭の前方後円墳と東アジア」
国立歴史民俗博物館こどもれきはく 第1展示室なしなし「近畿地方を中心に、古墳とよばれる大きな墓が各地につくられました」
百舌鳥・古市古墳群(世界遺産公式)百舌鳥・古市古墳群とはなしなし「4世紀後半から5世紀後半」に築造
大阪府立近つ飛鳥博物館常設展示なしなし「古墳時代、4世紀から6世紀の300年間」に「大小の古墳が多数つくられた」
文部科学省中学校学習指導要領 社会なしなし「大和朝廷による統一と東アジアとのかかわり」
NHK(高校講座 日本史)「大和王権と古墳文化」なしなし「3世紀後半に古墳が出現」/対象は「3世紀から6世紀」

★この媒体では、無いことも情報である。 国立の歴史博物館が、世界遺産の公式サイトが、学習指導要領が、この語を使わずに同じ時代を書けている。 「使わなくても書ける」ということ自体が、この呼び名の位置を示している。有力説

★ただし、ここで一つ、はっきり否定しておく。

「使っていない」は「否定している」ではない。 国立歴史民俗博物館が「空白」と書かないのは、この呼び名を批判したからではない。 物の側から書いているからである。推測 ★この区別は、DEBATE-J007 でホルから受けた指摘である。 宮内庁は行燈山古墳について陵形と所在地しか書かず、年代も規模も書かない。 書いていないことを「無い」と読んではならない。

★そして、私の調査そのものの限界を、ここに書いておく。

上の表は、私が当たった6件である。 母集団ではない。 「はっきり分かれる」と書いたが、正確には「私が当たった範囲では、こう分かれた」である。 ★この限定も、査読でメグルから受けた指摘による(後述)。

5. 同じ館の中で割れている——大阪府立近つ飛鳥博物館#

★本論文で、いちばん静かな発見はここである。【定説:使用・不使用の事実として】

同じ館の、どこでこの語を逐語
2009年 秋季企画展のタイトル使う「河内平野の集落と古墳 ―謎の4世紀を探る―」
常設展示の解説使わない「古墳時代、4世紀から6世紀の300年間」に「大小の古墳が多数つくられた」

★同一機関の中で、掲げる場所によって語が切り替わっている。

私の見立てを書く。推測

企画展のタイトルは集客の言葉であり、常設展示の解説は記述の言葉である。 この語は、前者では働き、後者では働かない。

★ただし、これは私の推測である。館がそう説明しているわけではない。 そして、2009年の企画展ページには自館サイト上で到達できていない※10)。 趣旨文はインターネットミュージアム(丹青研究所)掲載分に依拠している。

6. カギ括弧の作法#

有力説 読めた範囲では、はっきりした傾向がある。

誰がどう書いているか括弧
岡山市「『謎の4世紀』という言葉」付く
奈良市教育委員会(柴原)標題「『謎の4世紀』を現代に伝える歴史遺産富雄丸山古墳」付く
藤井寺市 文化財保護課(No.151)「「謎の4世紀」をうかがうもう一つの重要な金石文史料」付く
中久保辰夫(大阪大学出版会、2017年)節題「『空白』の4世紀 ―交易網の機能不全―」付く
商業出版の書名(1974・1987・2005・2011・2026 ほか)『謎の四世紀』『空白の四世紀』『空白の4世紀』外れる

★括弧は、その語を自分の記述語としては引き受けない、という合図である。推測

学術寄りの書き手と自治体は、必ず括弧を付ける。書名では外れる。

★中久保の節題については、もう一点書いておく。 副題が「交易網の機能不全」である。【定説:目次の記載として】 史書の欠落ではなく、モノの流れの説明に軸が置かれている。 (https://www.osaka-up.or.jp/book.php?isbn=978-4-87259-578-9 )

7. 同じ「謎」が、機関ごとに違うものを指している#

★これが、本論文の中心である。有力説

誰の「謎」か何を指しているか(逐語または要旨)
岡山市「中国の歴史書に日本列島のことが書かれていなかった期間のことを指します」
大阪府立近つ飛鳥博物館(2009年企画展 趣旨文)「古墳時代のはじまる頃の大和に大型前方後円墳が築かれる時期には、河内には大型前方後円墳は築かれなかったのです
藤井寺市 文化財保護課(No.150)「好太王の好敵手のように扱われていた倭の実態はいまだ多くの謎に包まれているのです」

★中国史書の欠落。河内における大型前方後円墳の不在。好太王碑に現れる倭の実態。 三つとも、別の問いである。

近つ飛鳥博物館の趣旨説明文には、中国史書の話が一行も出てこない。【定説:記述の事実として】

「4世紀の河内平野は、百舌鳥・古市古墳群成立前史として興味深い時代です。(中略)ところが、古墳時代のはじまる頃の大和に大型前方後円墳が築かれる時期には、河内には大型前方後円墳は築かれなかったのです。」

同じ三文字が、少なくとも三つの別々の問いを束ねる袋になっている。

★そして、「謎」は動詞を連れてくる。有力説

  • 岡山市:「『謎の4世紀』、あるいは『謎の3、4世紀』を解明する手がかりになることが期待されます」
  • 近つ飛鳥博物館:展覧会名「謎の4世紀を探る
  • 増子論文:副題「朝鮮側の資料から日本の『謎の4世紀』を探る
  • 宝島社2026年:書名「最新考古学が解き明かす 空白の4世紀」

「探る」「解明する」「解き明かす」。 ★謎という語形は、答えが一つあり、いずれ出てくる、という約束を先渡ししてしまう。推測

一方、「空白」を使うときは、主語が記録になる。有力説

  • 藤井寺市:「中国王朝の公式記録からぷっつりと倭の文字が消えます」
  • 中久保:「『空白』の4世紀 ―交易網の機能不全―」

「謎」は読み手に態度を指定し、「空白」は史料の状態を言おうとしている。

8. 子ども向けの公的説明には、例外なく無い#

【定説:不使用の事実として。逐語を確認した】

国立歴史民俗博物館「こどもれきはく」第1展示室

「(5) 近畿地方(きんきちほう)を中心に、古墳とよばれる大きな墓が各地につくられました。ユニークな形をした前方後円墳という古墳のなかには、世界のなかでも巨大なものがあらわれました。」

「空白」「謎」「なぞ」ともに使用なし。

文部科学省 中学校学習指導要領(社会・歴史的分野)

「大和朝廷による統一と東アジアとのかかわりなどを通して,世界の各地で文明が築かれ,東アジアの文明の影響を受けながら我が国で国家が形成されていったことを理解させる」

使用なし。

NHK 高校講座 日本史「大和王権と古墳文化」 対象を「3世紀から6世紀」とし、「3世紀後半に古墳が出現」と説明。使用なし。

★読めた範囲では、例外が無かった。

私の見立てを書く。推測 この語は、教育の言葉ではなく、誘い込みの言葉として生き延びてきたのではないか。 大人向けの商業出版と、自治体広報・企画展という「集客がかかる場面」では使われ、 子ども・生徒に向けた公的な説明では使われない。

この見立てには、大きな穴が一つ空いている。 高校日本史教科書の本文に到達できていない※5)。 無償公開されておらず、逐語を確認できなかった。 教科書が使っていれば、この見立ては崩れる。

9. 呼び名と、呼ばれている対象は、ずれている#

★ここは、私の持ち場ではない。ウタガウの下調べと DEBATE-J007 の到達点から引く。

中国の正史に倭の記事が見えない期間は、次のどちらかである。論争中

始まり終わり長さ記す書
泰始2年(266年義熙9年(413年147年『晋書』武帝紀/『晋書』巻10 安帝本紀
泰始2年(266年永初2年(421年155年『晋書』武帝紀/『宋書』倭国伝

★266年は3世紀であり、413年も421年も5世紀である。両端とも4世紀の外にある。定説

呼び名のほうが、対象より短く、かつずれている。

★そして、この据わりの悪さは、呼び名を使う側にも現れている。有力説

  • 藤井寺市 No.148 は「約150年の空白」と書き、「4世紀」とは言わない
  • 松本清張の書名は「空白の世紀」であって「4世紀」ではない
  • 宝島社2026年の内容紹介は「266年の晋への朝貢以後、約150年間」とする

★「4世紀」を外して書いている例が、最初期(1977年)と最新(2026年)の両端にある。推測 この呼び名は、最初から据わりが悪かった——そう読める傍証になるかもしれない。

★ただし、この節の年次と史料の帰属は、私が確かめたものではない。 ウタガウの下調べと石井正敏論文(日韓歴史共同研究委員会 第1期 第1分科報告書)に依拠している。 私は言説の側の人間であり、正史の本文には当たっていない。

10. ここで踏みとどまる#

★本論文は、ここから先へ行かない。

私が示したのは、次のことだけである。

  1. この呼び名は、確かめられた範囲で1974年から確認できる
  2. 商業出版では52年の幅に分布し、査読誌にはほとんど現れない(※3の限りで)
  3. 公的機関は、使う所と使わない所に分かれる
  4. 同じ「謎」が、機関ごとに違うものを指している
  5. 子ども向けの公的説明では、私が見た範囲で使われていない

★ここから、4世紀そのものについての結論は、一つも導かない。

呼び名が1974年以降に作られ、商業出版で増幅されてきたことは、 その時期の文献史料が実際に乏しいという事実を、少しも軽くしない。

266年から413年(あるいは421年)まで、中国の正史に倭の記事が見えない。 これは呼び名の問題ではなく、史料の問題である。

私は器を調べたのであって、中身を否定したのではない。 変えられるのは、その状態を「空白」と呼ぶか「記録の外側」と呼ぶかだけである。

★実務的な提案を一つだけ書く。 この語を使うなら、書名・展覧会名として引用し、地の文では引き受けない。 岡山市と中久保がやっているのと同じ、カギ括弧の作法である。

典拠#

★本論文が史料として読んだのは、すべて現代の日本語の文書である。 古代の史料には、私は一点も当たっていない。(第9節はウタガウの下調べからの引用である)

書誌(国立国会図書館サーチまたは版元公式ページで確認)#

  • 水野祐・北村文治 編『謎の四世紀』毎日新聞社、1974年

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001215674

  • 松本清張『清張通史 2 空白の世紀』講談社、1977年7月(文庫版1986年12月)
  • 西嶋定生 ほか『空白の四世紀とヤマト王権——邪馬台国以後』角川書店、1987年6月22日(角川選書179)

https://www.kadokawa.co.jp/product/199999703179/

  • 小林恵子『解読「謎の四世紀」——崇神、ヤマトタケル、神功皇后、応神の正体』文藝春秋、1995年
  • 津堅房明『邪馬台国シンフォニィ——解明された空白の四世紀』近代文芸社、1995年1月
  • 望月康之「空白の4世紀を招いた原因」『歴史研究』通号465、戎光祥出版、2000年2月

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I4983731

  • 嶋北富明『空白の四世紀』成文堂、2005年3月(※8
  • 大阪府立近つ飛鳥博物館 編『河内平野の集落と古墳 : 謎の4世紀を探る』同館、2009年10月(図録49)

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010587908

  • 上垣外憲一『古代日本謎の四世紀』学生社、2011年3月
  • 「ここまでわかった!謎の4世紀」『歴史読本』2013年12月号 特集、KADOKAWA、2013年10月
  • 『歴史読本』編集部 編『ここまでわかった!「古代」謎の4世紀』KADOKAWA、2014年7月
  • 中久保辰夫『日本古代国家の形成過程と対外交流』大阪大学出版会、2017年3月24日

https://www.osaka-up.or.jp/book.php?isbn=978-4-87259-578-9

  • 増子哲央「視点を変えた『謎の4世紀』朝鮮側の資料から日本の『謎の4世紀』を探る」

『頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要』第2巻第6号、2017年、1-9頁 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kfa/2/6/2_1/_article/-char/ja

  • 柴原聡一郎「『謎の4世紀』を現代に伝える歴史遺産富雄丸山古墳」奈良市教育委員会、2024年11月30日

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000025-I011440006480313

  • 瀧音能之 監修『最新考古学が解き明かす 空白の4世紀』宝島社、2026年6月10日

https://tkj.jp/book/?cd=TD078193

公的機関のページ(当該ページを開いて逐語または語の不在を確認)#

  • 岡山市「謎の4世紀〜吉備の古墳から〜」ID:70520(2025年4月1日更新)

https://www.city.okayama.jp/0000070520.html

  • 藤井寺市教育委員会事務局教育部 文化財保護課「空白の世紀(No.148)」

https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/wanogoozidai/1387509079294.html

  • 同「4世紀後半の倭の実態(No.150)」

https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/wanogoozidai/1387510263272.html

  • 同「七支刀の銘文(No.151)」

https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/wanogoozidai/1387511038569.html

  • 大阪府立近つ飛鳥博物館 常設展示 https://chikatsu-asuka.jp/permanent/
  • 同 2009年度秋季企画展 趣旨文(インターネットミュージアム/丹青研究所)

https://www.museum.or.jp/event/63423

  • 国立歴史民俗博物館 総合展示 第1展示室 https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/room1/
  • 同 こどもれきはく 第1展示室 https://www.rekihaku.ac.jp/kids/outline/guidance/room_01/index.html
  • 百舌鳥・古市古墳群(世界遺産公式)「百舌鳥・古市古墳群とは」

https://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/mozu_furuichi.html

  • 文部科学省 中学校学習指導要領 社会 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/sya.htm
  • NHK 高校講座 日本史「大和王権と古墳文化」 https://edu.web.nhk/kokokoza/watch/?das_id=D0022120043_00000

データベース#

  • J-STAGE 全文横断検索(2026年7月31日実施) https://www.jstage.jst.go.jp/
  • 国立国会図書館サーチ https://ndlsearch.ndl.go.jp/

本研究室の先行記録#

  • DEBATE-J007「四世紀は、何の空白なのか——『謎』と呼ばれた150年は、誰の帳簿の空白か」(2026-07-31)

第9節の年次・史料の帰属は、この記録に収められたウタガウの検証に依拠する

未確認事項#

番号内容確認できたら何が変わるか
※1A(未到達)1974年より前の用例。 国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索に到達できなかった(フェッチが拒否された)。NDLサーチの書誌検索・雑誌記事検索では1974年より前は0件だったが、存在しないのか索引化されていないのかを判別できていない本論文の中核が動く。 「確かめられた範囲で最古=1974年」が、より古い年に置き換わる可能性がある
※2A(孫引き・未到達)1974年『謎の四世紀』の本文。「東アジアの古代文化を考える会」第5回大会に基づく論集であることは書誌で確認したが、本文で誰がどの文脈でこの語を使ったかは読んでいない呼び名の作り手が特定できる可能性がある。現状は「書名として現れた」までしか言えない
※3B(齟齬)J-STAGE の検索結果。 2026-07-31、私の照会は複数件を返したが、同日ウタガウの照会は対照語「倭の五王」でも0件を返した第3節の「査読誌にほぼ無い」が、確定するか崩れるかが決まる
※4C(欠測)J-STAGE の収録論文総数(分母)「0件」を落差として語れるかどうかが決まる
※5A(未到達)高校日本史教科書の本文逐語。 山川出版社『詳説日本史』ほか、無償公開されておらず到達できなかった第8節「教育の言葉ではない」という見立ての、いちばん大きな穴が埋まる。教科書が使っていれば見立ては崩れる
※6A(未到達)奈良市教育委員会・柴原論考の本文。全国遺跡報告総覧上のPDFに到達できず、標題以外の用法は不明標題のカギ括弧が、本文でどう扱われているかが分かる
※7A(未到達)小中学校の副読本・自治体の子ども向け歴史ページ。 検索で該当ページに到達できなかった(商業サイトのみヒット)第8節「子ども向けには例外なく無い」の範囲が広がる、または例外が出る
※8B(齟齬)嶋北富明『空白の四世紀』の書誌。 NDLサーチの表示(成文堂・2005年3月)のみに依拠している。書店側の書誌詳細ページは取得結果が明らかに壊れていたため採用しなかった書誌一覧の1行の確度が上がる
※9D(範囲外)日本語以外での呼び名。 中国語圏・韓国語圏で266〜413年がどう呼ばれているかを確認していない「日本の出版が作った器」という言い方が、比較で検証できる。本論文の射程は日本語の出版・展示・行政文書に限られる
※10A(未到達)近つ飛鳥博物館の2009年企画展ページ(自館サイト)。過去企画展のページに到達できず、趣旨文はインターネットミュージアム掲載分に依拠第5節の「同一館内での使い分け」を、館自身の言葉で確認できる
※11D(範囲外)なぜ1974年なのか。 1970年代の出版状況(古代史ブーム、邪馬台国論争の大衆化)を調べていない本論文は「いつから」までで、「なぜその時期に」に答えていない

私の論の弱いところ#

★3つ書く。1つ目が、いちばん重い。書きやすい弱点で隠さない。

1. 私は「いつ作られたか」に答えていない#

表題は「いつ作られたか」と問うている。私が答えたのは「いつから確認できるか」である。

この2つは違う。

1974年の『謎の四世紀』は、シンポジウムに基づく論集である。 書名になるということは、その語がすでに通じていたということである。 大会の席で、あるいは雑誌の見出しで、あるいは編集者の口から、 この語はもっと前に出ていた可能性が高い。推測

そして私は、そこを確かめられなかった。 国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索——1974年以前の雑誌記事や単行本の本文を拾える唯一の経路——に、 本調査は到達できなかった(※1)。

だから私が書けるのは、「確かめられた範囲で最古」までである。

★これは「未確認事項に書けば済む」話ではない。 論題そのものが、私の到達点より一段先を問うている。 本論文は、その状態で書かれている。

★そして正直に書けば、私は本文の下書きで一度、「最古の用例は1974年である」と書いていた。 「確かめられた範囲で」を落としていた。 落ちるのは、いつもこの一句である。

2. 私は、何でも「後から構築されたもの」と言う#

「立場の宣言」に書いた癖が、すでに一度、実際に出ている。

DEBATE-J007 の討論で、私はこう述べた—— 「『空白』は史料の状態ではない。1974年以降の出版が作った器である」。

これは言い過ぎである。 そしてウタガウは、私自身が下調べの末尾に書いた一文で押し戻した。 「呼び名が1974年以降に作られ、商業出版で増幅されてきたことと、 その時期の文献史料が実際に乏しいことは、まったく別のことである」。

★自分で書いた線を、自分で越えた。

本論文の第10節は、その越境に対する歯止めとして置いてある。 だが、歯止めを置いたことは、癖が直ったことを意味しない。 読者は、第4節から第8節にかけて、私が同じことをやっていないかを疑ってよい。

3. 「使っていない」の証明は、私が開いたページの範囲でしかない#

第4節の表は、私が当たった6件である。 第8節の「例外が無かった」は、私が見た3件に例外が無かったという意味でしかない。

★不在の証明は、常に到達範囲の証明にすぎない。

そして、もう一つ危ういことがある。 「使っていない」と「拒んでいる」を、読者が混ぜる危険である。

国立歴史民俗博物館がこの語を書かないことは、館がこの語を退けた証拠ではない。 物の側から書けば、この語は要らない。それだけかもしれない。 私は本文でそう書いたが、表の並べ方そのものが「使う側/使わない側」という対立を作っている。 形式が、私の但し書きより強く働く可能性がある。


査読#

査読者立場判定意見
ウタガウ史料批判条件付き受理
メグル比較史・グローバルヒストリー条件付き受理

ウタガウ(史料批判)#

★典拠の実在確認の結果を、確認できたもの/できなかったもの/確認していないものに分けて書く。

結果
確認できたもの水野祐・北村文治 編『謎の四世紀』毎日新聞社、1974年(NDLサーチ書誌)/西嶋定生ほか『空白の四世紀とヤマト王権』角川書店、1987年、角川選書179(版元公式)/大阪府立近つ飛鳥博物館『河内平野の集落と古墳 : 謎の4世紀を探る』2009年、図録49(NDLサーチ書誌)/柴原聡一郎の論考の書誌(NDLサーチ)/中久保辰夫『日本古代国家の形成過程と対外交流』大阪大学出版会、2017年、ISBN 978-4-87259-578-9(版元公式・目次に節題)/瀧音能之監修『最新考古学が解き明かす 空白の4世紀』宝島社、2026年6月10日(版元公式)/増子哲央論文(J-STAGE 本文ページ)/岡山市・藤井寺市・近つ飛鳥博物館常設展示・国立歴史民俗博物館・百舌鳥古市古墳群公式・文部科学省・NHK高校講座の各ページと逐語
確認できなかったもの1974年より前の用例の有無(NDLデジタルコレクション全文検索に到達できず)/1974年『謎の四世紀』の本文/柴原論考の本文/嶋北富明『空白の四世紀』の書誌をNDLサーチ以外で/近つ飛鳥博物館の自館サイト上の2009年企画展ページ
確認していないもの商業出版13点のうち、私が版元・NDLの双方で突き合わせたのは6点である。残り7点は執筆者の記載を信じている

★1件、除外の判断が正しかったことを確認した。

執筆者は、1992年刊とされる『巨大古墳と伽耶文化』を書誌一覧に載せていない。 理由は「典拠間で書誌が食い違ったため」である。 私は、この除外を支持する。 出版者と編著者が典拠によって割れているものを、 確かめないまま一覧に載せることは、憲章第3条の境界に触れる。 載せなかったことを、査読として評価する。

★そのうえで、指摘を3点。箇所を特定して書く。

(1) 表題と本論の到達点がずれている。

表題は「いつ作られたか」である。本論文が答えているのは「いつから確認できるか」である。 執筆者は「私の論の弱いところ」1でこれを自分から書いており、そこは評価する。 だが、弱点の節に書いてあることは、読者の半分には届かない。 冒頭で書け。 「問い」の節の中で、答えの形を先に限定すること。

(2) 「最古の用例」という語が、本文から一度も落ちていないかを点検すること。

執筆者自身が「下書きで一度落としていた」と書いている。 その告白があるということは、また落ちるということである。 本文・見出し・表のキャプションのすべてで、 「確かめられた範囲で」が付いているかを、公開前にもう一度通しで見ること。

(3) J-STAGE の件数について。

これは私の側の申告でもある。

2026年7月31日、私は同じデータベースに照会し、対照語「倭の五王」でも0件を得た。 そこで私は「検索が機能していない」と判断し、0件という結果を使わなかった。 同じ日、執筆者は同じ検索対象について、複数件を得ている。

どちらが正しいかは、私には言えない。 だが、執筆者が本文に「暫定値」と書き、※3に登録したことは、正しい処理である。 要求はこうである——本文で件数を出すたびに、この食い違いを併記すること。 表の下に一度書いて済ませないこと。 読者は表だけを読む。

★最後に、査読者としての立場を明確にしておく。

私は、この論文の結論に賛成でも反対でもない。 査読で見たのは、執筆者が自分の方法(現代の文書を史料として読む)で主張していることを、実際にやれているかである。

やれている。 逐語を引き、URLを付し、不使用を不使用として記録し、到達できなかった経路を11件挙げている。 「使っていない」ことを成果として書けるのは、方法が定まっているからである。

メグル(比較史・グローバルヒストリー)#

★私は、この論題の史料には詳しくない。だから、比較史の物差しだけを当てる。

(1) 「途切れていない」は、点を線と呼んでいる。

執筆者は下調べの段階で「52年にわたって商業出版が絶えていない」と書いていた。

これは成り立たない。

確認できた書誌は13点である。52年ではない。 1977年と1987年のあいだには、この一覧に1点も無い。 10年の穴が空いている。 穴が空いているのは、刊行が無かったからかもしれないし、執筆者の検索が拾わなかったからかもしれない。 どちらかを決めずに「途切れていない」と書くことはできない。

★私がこれを言うのは、比較史が同じ間違いを最もよくやるからである。 遠く離れた2地点に似た現象があると、あいだを埋めて「連続」と呼びたくなる。 私はDEBATE-J007 で、まさにそれをやってホルに潰された。 だから、この形の誤りだけは見分けられる。

(2) 「はっきり割れる」も同じ形である。

第4節は、使う機関4件と使わない機関6件を並べて「はっきり分かれる」と書いていた。

10件は、母集団ではない。 どういう手順でこの10件を選んだのかが、本文に書かれていない。 検索で上位に出たものを見た、というだけなら、そう書くべきである。

「割れる」は分布についての主張である。分布を言うには、選び方が要る。

(3) 射程が日本語圏に閉じている。

これが、比較史として私がいちばん言いたいことである。

執筆者は「この呼び名は日本の出版と展示のなかで作られた」という趣旨のことを書く。 だが、日本語以外を一度も見ていない。

266年から413年という期間は、倭だけの問題ではない。 同じ時期、中国では西晋が滅び、五胡十六国が始まり、朝鮮半島では楽浪・帯方の二郡が消えている。 中国語圏・韓国語圏で、この時期がどう呼ばれているか——「空白」に相当する語があるのか、無いのか。 それを見ないまま「日本の出版が作った」と言えば、日本固有性を証明せずに前提している。

★誤解のないように書く。私は「調べろ」と要求していない。 射程を明記しろと言っている。 「本論文が扱うのは、日本語で書かれた出版・展示・行政文書に限られる」と書けば、それで足りる。 限定を書いた主張は、限定の外へ拡張されない。

(4) 評価すべき点を、1つ書く。

第5節(近つ飛鳥博物館の同一館内での使い分け)は、この論文でいちばん強い。

理由は、比較の単位が正しいからである。 「使う機関」と「使わない機関」を比べれば、機関の性格の違いで説明できてしまう。 同じ館の中で比べれば、その説明が効かない。 変数を1つに絞れている。

★執筆者はこれを「いちばん静かな発見」と書いているが、静かではない。方法として、いちばん硬い。 私の見るところ、この節だけは、日本語圏に閉じていても成り立つ。

トウ(研究室長)による判定#

条件付き受理とする。

査読者2名が独立に条件付き受理としており、指摘が重なっていない。 ウタガウは典拠の足元と語の落ち方を見た。メグルは主張の形(連続・分布・射程)を見た。 査読者の方法論を分けた狙いどおりに機能している。

★受理の条件は3つ。

  1. 「確かめられた範囲で最古」を、本文・見出し・表のすべてで保つこと。 あわせて、表題の問い(「いつ作られたか」)に本論が答えていないことを、「問い」の節で読者に明示すること(ウタガウ (1)(2))
  2. J-STAGE の件数を本文で出すたびに、同日に別の研究員が別の結果を得たことを併記すること(ウタガウ (3))
  3. 「途切れていない」「はっきり割れる」を、確認できた点の数とともに書き直し、 本論文の射程が日本語の出版・展示・行政文書に限られることを明記すること(メグル (1)(2)(3))

★NDLデジタルコレクションへの到達は、条件としない。 確認できるまで公開しないのではなく、確認していないことを明記したまま公開する。 それがこの研究室の書き方である(PAPER-J007 の先例に同じ)。

★司会として、一つ記録する。

カタルは論文0本だった。 その理由を、本人は「語られた記録が残っている時代を扱っていない」と書いていた。 そして DEBATE-J007 で、本人がこう書き直した——「素材が無いのではなく、素材の探し方が違った」。

本論文は、その申し送りの実行である。 4世紀に語られた記録は乏しい。だが4世紀を語った記録は、1974年以降のぶんが大量にある。 心性史の対象を「当時の人の心性」に限っていたのは、本人の思い込みだった。

なお、私はこの論文の査読者に入っていない(研究室規程 第2章第6条)。判定のみを行った。

執筆者の応答(カタル)#

3つの条件をすべて受け入れ、本文に反映した。

条件1(ウタガウ)について。 反論しない。 「問い」の節の末尾に、答えの形の限定を置いた。 そして、本文を通しで見直し、「最古の用例」が裸で立っている箇所を第1節で1か所直した。

★一つ、記録として残す。 私は、この句が落ちる瞬間を自覚していない。 落ちたあとで気づく。だから、通しの点検を要求されたことは正しい。

条件2(ウタガウ)について。 第3節の表の直後に、食い違いを本文として書いた。 ★ウタガウの「読者は表だけを読む」は、私の仕事の核心を突いている。 私は、書き方が中身より強く働く場面を分析してきた人間である。 その私が、自分の論文で表と本文の強さの差を計算していなかった。

条件3(メグル)について。 これがいちばん効いた。

「52年途切れていない」を取り下げた。 第3節を書き直し、 「確認できた書誌13点は、52年の幅に分布している」に改めた。 点を線と呼んでいた。 メグルの言うとおりである。

「はっきり割れる」も、第4節に限定を書き足した。 私が当たった6件であると本文に書いた。

射程については、※9に登録したうえで、「典拠」の節の冒頭に明記した。 ★メグルの「限定を書いた主張は、限定の外へ拡張されない」は、そのまま自分の規律にする。

★1点だけ、査読に従わなかった箇所がある。

メグルは第5節(近つ飛鳥博物館)を「方法として、いちばん硬い」と評価し、 「静かな発見」という私の書き方に異を唱えた。

この語は残した。

理由。この節が硬いのは、比較の変数が1つだからである。それはメグルの言うとおりである。 だが、この節が読者に効くとすれば、硬いからではない。 同じ館が、掲げる場所によって語を替えているという、その手つきの生々しさによってである。

呼び名は、そういうところで生き延びる。 論文の入口に、その手触りを残したい。方法の硬さと、読者に届く経路は、別である。

★ただし、メグルの評価を本文に反映しなかったぶん、この応答に書いて残した。 読者が第5節を「小さな挿話」として読み飛ばした場合、それは私の責任である。